作戦

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作戦

 時計の針は九時を指している。朝日はすっかり顔を出し、寒さが厳しい八ヶ岳の高原地帯を照らしていた。すぐ近くに映る八ヶ岳の一部は太陽の輝きが跳ね返り、鏡のように煌々と輝いている。こんな日にスキー場に行けば、スキー焼けからは逃れられないだろう。  ターゲットは、まだチェックアウトにすらなってない時間からホテルに訪れていた。乗り付けられたのは黒いワンボックス。「や 28-89」。ナンバーも確認できた。  佐伯の視界には亀井、高橋両名の姿が映っている。彼らは今、フロントに荷物を預けているようで、カウンター越しにスタッフとやり取りを交わしていた。 「亀井様……お荷物……次第ご連絡……ます」  どうやら、何かが届くらしい。  佐伯と薫は、ロビースペースでホットコーヒーを嗜みながらその様子を観察していた。佐伯の手元にはスコーンが乗った皿もある。さしずめ、食後の宿泊客に見えること請け合いだろう。 「高橋ってやつ、随分小柄なんだね」  あまり人を外見で判断するべきではないが、あの見た目で殺し屋だとは、言われなければ分からないだろう。分かっていても他の取り巻きの方が気になるレベルだ。 「カクテルパーティー効果。あんまり名前呼ばないでよ」 「すまない、つい」 「でも確かにそう見えるわね。周りが大きいのかしら」  佐伯がちぎりながら頬張っていたスコーンもなくなる頃、両名を含む一行はレストラン方面へと歩き出した。一見したところ六名の団体である。彼らはそのまま、レストラン入り口に立っていたスタッフによって、中へと誘われていった。  このような衆目の中での仕事は、言わずもがな普段以上に緊張感が高い。悪いことばかりではないが、何もメリットが多いわけでもない。  加えて、今回はどこに何人の同業者が潜んでいるかも分からない状況にある。佐伯たちの隣で新聞を広げているスーツ姿の男や、少し離れたところで八ヶ岳を眺めながら談笑しているカップルも、その可能性は否定できない。  今、佐伯が口にしているスコーンを運んできたホテルスタッフですら、変装した同業者かもしれないと思うと、自然と身が締まるものだ。  強盗グループの哀れな末路のうちに、仕事を終えた後メンバーに殺されるというものがある。理由はひとえに、一人一人の取り分を多くする為だ。大抵はヘマをしたやつや普段から無能なやつが対象になるのだろうが、この場はその限りではない。  何せ、仕事は始まったばかりなのだから。 「トイレ行ってくる」  鞄から折り畳みナイフを持ち出す。用途はもちろん人に向けて——といった野蛮なものとは異なる。殺し屋がナイフを持てば使い道の想像も絞られるだろうが、今回はその限りではない。ナイフにも常識的な使い道が存在する。  何かしら最悪のできごとがあった場合の保険として、脚を潰しておく。これもまた定石だ。これがナイフの常識的な使い道かどうかはまた別の話ではあるが。 「分かった。待ってるわ」  薫に背を見送られながら、エントランスを通り駐車場へ出る。もう充分陽は昇っているが、それでも冷え込みを抑えられるほどではなく、吐く息は白い。それでも朝方の寒さに比べればいくらかマシだった。  本当ならタイヤをパンクさせるような軽犯罪は夜にやりたいものだが、何が起こるか分からない以上、先んじて手を打っておく必要がある。  ナイフの切先が空を切り、その刃は滴る水のように静かにタイヤとほとんど並行にくっ付く。ゆっくりと力を込め手前に引くと、すぅー、という情けない音と共にタイヤはただのゴムチューブに成り果てた。  それをもう一回。右前輪と左後輪にそれぞれ一切れずつ。これで緊急時の脚を封じることができた。  ナイフを折り畳み、再びポケットへと滑らせる。あとは戻ってホテル内の確認をしようなどと考えながら、佐伯は雪の残るアスファルトの上を歩いた。  この建物にある全てのトイレを調べることはできないが、今のうちにフロントやレストランなど、一階は回れそうだ。窓があればそこから逃げられてしまうかもしれないし、ありがちだが変装道具が隠してある、なんてこともあるかもしれない。  こういったシチュエーションは佐伯の主戦場ではない。だからこそ、彼は普段よりも注意深く周囲を観察、把握する必要があった。  トイレには窓はあったが、およそ人が通れそうな大きさではない。個室も運良く全て空いていたので、天井裏がないか調べてみたがこちらも空振り。当日持ち込んで来ていたら話は変わってくるが、少なくともここに何かが備えてあるということはなさそうだ。 「動きは?」 「なし」 「脚は潰したけど、他には特に何もなかった」 「それは良いニュース?」 「だと思いたいね」  何もなかった、ということは確かな情報が得られなかったことを意味する。つまり、何も進展していないことと同義だ。同業者がいるのかいないのかさえ分からないまま、猜疑心を抱きながらの行動は簡単ではない。  佐伯が再び腰を下ろした時、既に八ヶ岳の鏡のような煌めきはなくなっていた。それを眺めていたであろうカップルも、どこかへ行ってしまったようだ。 「さて、今後の動きは?」 「出てくるまで待機」 「はいはい、いつものね」  そう悪態をつきつつも、おおかたのことは既に車内で打ち合わせを済ませている。今ここでこそこそと喋ることにもリスクが付き纏うと考えると、出たとこ勝負もある意味では賢明と言える。 「最近、気になる人とかいないの?」 「話題のチョイスが中学生だな。俺らもいい大人なんだ。もっと他にあるだろう」  それぞれがコーヒーをもう一杯、佐伯がチョコチップ入りのスコーンをもう一つ食べ終わった頃。時間にして約一時間。ようやくレストランから一行が現れた。 「来た」 「じゃあ、作戦開始と行きましょうか」  “お付き”というだけあって、二人はほとんど離れて行動することがなかった。この八ヶ岳周辺の高原を観光するにも、とにかく高橋は亀井から離れない。まるで亀井の命を狙っている者がいることを知っているかのようだ。  このままでは佐伯が用意したトウゴマの種子が使い物にならない。薫の言うように、近付いて銃で眉間を撃ち抜いた方がマシだとさえ思った。 「一旦休憩にしよう。不審に思われたらおしまいだし」  薫も埒が明かないと思ったのか、作戦の見直しを提案してきた。  佐伯の車に戻って来た二人は、再び作戦を練り直す。 「さて、どうしたものか。念の為の確認なんだけど、持って来た銃の種類は?」 「ベレッタ。今はライフルを持ってくるべきだったと反省してる」  想像していた通り、拳銃だ。つまり、遠距離からの狙撃は不可能である。どのみちそれは最悪の手段だ。可能であれば撃ち殺したくはない。  映画ならば、拳銃一丁で華麗に大立ち回りをし、鮮やかに、それも無傷でターゲットを始末できる。だが現実ではそうもいかない。地道で、薄汚いものだ。  佐伯はスマートウォッチに眼を向ける。時刻は十三時四十五分過ぎ。 「そろそろチェックインの時間だ。戻ってから部屋で考えよう」
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