作戦

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「今回ばかりは少しでも計画を練ってきた方が良かったんじゃないか?」 「そうね。どうにかして二人を離さないと」  こうなってはいつまでも受動的ではいられない。彼ら自身が能動的にことを起こす必要がある。佐伯と薫はそれぞれの脳をフル稼働させ、柔軟に思考を巡らせていた。  最も警戒されにくく、最も効果がある方法。期せずして辿り着く答えは同じだった。 「変装するしかないか?」 「かもしれないわね」  ホテルスタッフに化けてしまえば、余程様子がおかしくない限り怪しまれることはない。何より、自然に誘導が行える。例えばフロントスタッフであれば、「部屋に荷物が届いた」などと適当な口実を作ることができるし、レストランスタッフであれば尚更自然に近付くことができる。容易と言っても過言ではないだろう。 「できれば丁重に拝借したいところだが」 「そんなの無理に決まってるでしょ。盗むしかないわ」 「仕方ない。スーツに着替えるか」  佐伯は、ビジネスマン時代から着ている愛用のスーツを取り出した。これで舞台裏に侵入しさえすれば、本社の人間か、或いは営業マンにでも見えることだろう。とはいえ彼はスパイではないので、靴にナイフが仕込まれていることはない。  佐伯の目的はあくまでレストランの制服。薫はフロントの制服を盗みに行くらしい。  ここで佐伯はふと、我に帰る。何故こんなに行き当たりばったりな仕事をしなければならないのかと、素朴な疑問を抱いた。  だが不思議なことに、薫と組んで失敗したことはない。 「そっちは、準備いいか」 「ええ」 「第二段階だ、行こう」  佐伯の役割はターゲット二名を分断すること。薫は亀井を引き留めておくこと。その後合流し、二人で亀井を始末する。  分断方法は、今朝のフロントでのやり取り。“亀井の荷物”とやらが届いていることは、既に確認している。  色々な心得や取り決めが記された舞台裏の扉を開け放つ。その先には、絢爛豪華で煌びやかな空間が広がっていた。  然程広くはないが、それ以上に開放的に感じさせる造りだ。  和洋のみならず、様々な国の料理が敷き詰められたビュッフェを中心に、適切な間隔で配置された花や観葉植物の数々。高い天井から吊り下げられたシャンデリア。どれを取っても一級品であることは、素人目にも明らかだった。さすがは高級リゾートホテルだ。  流れる人の数も、この規模にしてはかなり多い。レストランは宿泊客以外も利用できるからこそ、これだけの人数がいるのだろう。半分程はスキー客だろうか。  これなら大抵のことはバレずに実行できる。何より、自分の正体が看破される心配もない。  佐伯は想像以上の光景に圧倒されていたことに気付き、今一度襷を締め直した。  心を痛めながらも適当にシャンパンとグラスを調達し、それをトレーに乗せながらフロアを徘徊する。まずは二人がどこにいるのかを確かめるところから始める——が、どこにも姿が見当たらない。しかし直後に、このフロアの奥には個室があることを思い出す。  結果的に面倒な方を買って出てしまったことを後悔しながらも、彼は仕方なく個室を順番に訪ねて行くことにした。  一部屋目は扉が開いていて、すぐに空だと分かった。二、三部屋目からは、家族連れと思しき話し声が聞こえる。そして四部屋目。扉が閉まっているのに、中からは大きな話し声が聞こえず、妙に静かだ。  佐伯は思い切って扉を叩く。すると「はい」という野太い声が返ってきた。あからさまに嫌がっている声色だとすぐに分かった。 「失礼します」  そこにいたのは間違いなく、亀井だった。眉間に皺を寄せながら、訝しげにこちらをじとっと見つめている。そこから少し視線を逸らすと、高橋の姿も確認できた。やはり彼らを含めて六人一組の団体のようだ。 「亀井様はこちらにいらっしゃいますか?」 「私だが」  容赦のない不遜な態度。普段の生活振りがありありと脳裏に浮かんだ。 「フロントより言伝です。亀井様宛てにお荷物が届いておりますので、ご確認いただけますでしょうか」 「荷物? ああ、今朝のか。分かった」  今朝のフロントでのやり取りを耳にしていてよかった。亀井の反応を見るに、どうやら重要なもののようだ。 「それじゃあ、少し失礼するよ」  残された一行——高橋以外はめいめいに返事をする。高橋は終始無言を貫いていた。 「ロビーのエレベーター前にフロントスタッフがおりますので、そちらからご案内致します。それでは」  これで分断は成功した。亀井の引き留めを薫が上手くやってくれることを願うばかりだ。  この後、佐伯も合流して亀井を始末すれば、残るは高橋のみである。  残りの四名も何かしら悪事に加担しているだろうから、いっそまとめて——というのも他の殺し屋なら選択肢に入るのだろうが、佐伯は無用な殺生を避けたいのでターゲット以外は殺さない。  更に、仕留める順番も関わってくる。例えば仮にここで、佐伯が高橋を殺したことが亀井の知るところとなれば、亀井は自己保身の為、即座に逃亡するだろう。その先で雲隠れでもされようものなら計画は失敗である。  いずれにしても、ここから更に高橋を釣り上げる必要がある。佐伯は、計画そのものが行き当たりばったりであるが故に、ここでもまた悩まされることとなった。  それはそうと、薫に連絡しなくてはならない。ひとまず個室エリアを離れ、佐伯はスマートウォッチを操作して、薫に電話をかける。彼女はたったの三コールで応答した。 「亀井がそっちに行くぞ」 「了解」  流石の薫も仕事中は寡黙になる。それだけ緊張しているのだろう。  佐伯は次の一手を見出す為、思考回路に火を焚べる。そこでふと、疑問が浮かんだ。   「薫、届いた荷物って何だか分かるか?」 「分からない」  それもそうだ。常に情報を共有しているのだから、何かが分かれば佐伯にも知らせるはずである。 「そろそろ切るわよ」 「ああ。気を付けて」  ホールでシャンパンを持ったまま突っ立っているだけというのは、スタッフに扮していても無理がある。厳密には、スタッフに扮しているからこそ怪しまれてしまう。  シャンパンを丁寧に元あった場所へと戻し、それからホールを後にした。  豪奢なレストランから扉一枚を隔てた先は、やはりまるで別世界に来たかのように殺伐としていた。すぐ目の前を慌ただしく駆け抜けて行ったレストランスタッフに、少し奥を覗けば炎を纏うコック——いや、違う。  今、佐伯の目の前を駆けていったのはレストランスタッフではない。自分と同じ制服ではないから、すぐに分かった。そもそも制服ですらない、ただのスーツ姿の男だった。しかも一人だけではなく、二人、三人と見る間にその数は増えていく。  彼らの表情からは、ホテルマンとしての優雅な風格や泰然としたオーラが全く感じ取れない。佐伯も伊達に裏社会で生き抜いてきていない。その様子を見て、即座に直感が脳内で警鐘を打ち鳴らした。 ——薫に何かあったのか……?  一度そう考えてしまうと、どうしても拭い切れないものがある。  佐伯は急いで更衣室で元のスーツに着替え、鞄にそれを詰め込む。あくまで拝借するのであって、盗みではない。  それはそうと、焦ったホテルマンたちについて行けば、何が起きたのかを直接訊くことができるかもしれない。  直後、彼は逡巡する。果たして今このタイミングで薫に連絡を入れるべきだろうか、と。  電話を切ってから経った時間を鑑みるに、彼女はもう亀井と出会っているはずだ。そんな状況で連絡を入れたら却って危険かもしれない。  だが、何もしないという選択肢も取れない。佐伯は悩み抜いた末に、念の為電話をかけることにした。  しかし、応答はない。上手くいっていようがいまいが、やはり今はそれどころではないようだ。その分、余計に不安感が増した。  佐伯は薫の無事を祈りながら、走るスーツたちの影を追った。
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