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空が泣いている。
そう表現できそうなくらいの雨が、ポツポツと降っていた。
そのポツポツはやがてザアザアと音を立てだし、窓ガラスを叩いていく。
「雨ですねェ」
ハートのトランプが言った。
真っ赤な手足の生えたそれは、スペードのトランプを椅子にしながら窓の外を見る少女へと体を向ける。小さな台に上り、じいっと窓の外を見続ける少女の目は、心做しかキラキラしていた。
「……お嬢さまは雨がお好きですか?」
ふと疑問を口にしたトランプに、窓の外を眺めていた少女は振り返り、小首を傾げた。不思議そうなその様子に、トランプは座っていたスペードのトランプから降りて、てこてこと少女に寄る。
「雨、お好きですか?」
再び問われる疑問。
少女はトランプを見て、窓の外を見て、またトランプを見てから、やがてにこりと愛らしく笑う。トランプはその様子に、「そうですかぁ」と頷いた。
「雨は良いですよね。渇いた地面に潤いを与え、植物に生命力を与える。雨あればこその世界。恵みの雨とはよく言ったものです」
「?」
「そうですよ。雨はとても大事なもの。世界が生きていく上では欠かせないものです。雨なくしては地は枯れ果て、また草木も生えにくくなるでしょう。まるでお嬢さまやシアナ様のような存在ですね」
優しい声色のトランプに、少女は不思議そうな顔をした。今しがた言われた言葉がやや理解できないといった風な彼女に、トランプは「本音ですよ」と静かに告げる。
「本音です。当然。この世界にはあなた方は欠かせない存在。あなた方がいるからこそ、世界は成り立っているのです」
「……?」
「……そうですね。少し古い御話をしましょうか」
トランプは踊り合うクローバーとダイヤを一瞥してから、よじ登るように少女の上る台の上へ。「良いですか?」と問うてから、ちょこんとその場で膝を折る。
「──そもそも、世界のハジマリは初代龍神、ヨルドーンの誕生からでした」
話が始まる。
「ヨルドーンが誕生したのは、星々煌めく宇宙の真ん中。天の川を流れたひとつの星が、彼を形作りました」
ヨルドーンは誕生してすぐに、己が創造主であることを自覚し、そして、まだ何も無い世界の構築をはじめました。
「まず、ヨルドーンが作ったのは世界の土台。星々を軸に地上を作り、そこに空気と水、それから命を植え付けました。彼により作られたそれらは、時に無意識に、時に自我を持ちながら成長していきます」
そうして長い年月を経て作られたのが、『ハジマリの世界』と呼ばれるこの世界。今、皆様が住むこの世界こそ、一番初めに作られた世界なのです。
「創造主の創造により、世界は徐々に進化を遂げていきます。命は分裂し、形を成し、やがてヒトが生まれます」
ヒトは知恵を持つ、知能ある生命体でした。
彼ら、または彼女らの成長に伴い、世界もゆっくりと成長を遂げ、そして今のこの世があるのです。
「世界を創ったヨルドーンは、己と同じ血族の魂を生み出し、そしてその魂たちに己と同じ役目を与えました。役目を与えられたそれらはセラフィーユの一族と名付けられ、今でも世界の誕生、構築、進化に貢献しています。お嬢さまもその名だたる血族のひとりなのですよ」
世界はセラフィーユを中心に回り、セラフィーユは崇められる存在となりました。セラフィーユなくしては世界は生まれず、そして回らないと、全ての命が理解しているからです。
「しかしその理解も、ヒトが成長するにつれて……」
黙り込むトランプ。どこか悲しげな様子のそれに、少女はじっと目を向ける。雨足が強まり、窓を叩く雨粒の音が、徐々に徐々にと大きくなっていく。
やがて雷鳴がなり始めた頃、突如として家の扉が開かれた。ハッとそちらを見た道具や家具たちに倣うように、少女もまた、開いた扉の方へと目を向ける。
「うへぇ、ひっでえ雨! なんでいきなり土砂降りになるんだよ! お陰で見ろよ! 俺めちゃくちゃびしょ濡れ!」
「まあまあ、近くに建物があったからいいじゃない。あと言っとくけど僕もびしょ濡れだから」
「お前は人間なんだからいいだろ! こちとら人狼! 濡れるのNGなの!」
「それ偏見だと思うんだけど……って、あれ?」
話していた声が止まった。なにかに気づいたように音をなくしたそれに、もう一方の声が「なに?」と不思議そうに問いかける。
「いや、あの……あの子……」
「? あの子?」
くるりと、何者かがこちらを向いた。その瞬間、巨大な雷鳴を轟かせ、一筋の稲妻が地に落ちる。慌てて扉を閉めたふたりの来訪者は、恐る恐ると扉から離れながら、明かりの着いた部屋を一瞥。不思議が溢れるそこをゆっくりと見回し、やがて窓際で硬直する少女に目を向けた。
「……だれ?」
黒紫の髪を持つ、ウルフカットの少年が一言。
「……かわいい……」
次いで、全体的に色素の薄い、栗色の髪をもつ少年が仄かに頬を染めた。黒紫の髪の少年が、睨むように隣の少年を見やる。
「おい、なにが『かわいい……』だ。騙されるな。アレは魔獣だ」
「ばっ! ばっかお前、あんなかわいい子が魔獣なわけないだろ! 天使! きっとあの子は天使だよ!」
「そんなわけないだろ! アイツからはなんかこう、ヤバい感じがするからぜってえ天使とかじゃない! 魔獣に一票入れるね俺は!」
吠えたてる少年。そんな少年を危険と思ったのだろう、動く家具や道具たちが、一斉にふたりに飛びかかる。
「うわっ!?」
「ななな、なんだ!!??」
動揺する彼ら。しかして全体的に小さめなそれらが攻撃してもなんの効力も発しないため、ふたりは動揺しただけで大したダメージは負っていない。まあ少し痒いかな、程度のものだ。
しかして小柄なもの等に群がられるとウザイはウザイ。トランプたちに蹴られる黒紫の髪の少年が、痺れを切らしたように「おいお前」と少女を呼んだ。睨むような視線を受けた少女は、ビクリと肩を跳ねさせ、肩身を狭くするように縮こまる。
「お前! コイツら止めろよ! 鬱陶しいんだけど!」
「っ、……」
「止めねえなら無理矢理止めさせるぞ!」
「ッ、!」
わたわたと手を振る少女。焦ったようにパクパクと口を動かし首を横に振る彼女に、色素の薄い少年が何かを察したのだろう。「君もしかして……」と口を開く。
「──何をしているの?」
そこに、響いた冷たい声。
驚きに飛び上がり振り返ったふたりの少年の視線の先、少女の母である女性が佇んでいる。これまでに少女が見た事もないほどの冷めた目でふたりの子供を見下ろす彼女に、少年たちはその顔から血の気を引かせた。
「し、……」
「シアナ・セラフィーユ様……っ」
名を呼ばれた女性が、さらに冷たくふたりを見下ろす。
「ち、違うんですシアナ様っ! 僕たちはただ雨に降られてこの家をたまたま見つけてっ!」
「あ、雨宿り、したくて……っ」
「そう……なら早く出ていって。雨はもう止んでるでしょう?」
「「え……」」
バッと振り返り家の窓の外を見たふたり。その先には確かに、晴れ渡るほどの青空が広がっている。今までの悪天候はなんだったのか……。あんぐりと口を開ける両者を無視し、シアナは無言で家の中へ。オロオロとする少女にそっと腕を伸ばすと、彼女を己の元へ抱き寄せる。
「ただいま、愛しい私の子」
耳に優しい音が紡がれ、少女は安心するように肩の力を抜いた。女性はそんな少女の様子に微笑むと、ゆっくりと彼女の髪を撫で梳かす。
「愛しい子、って……」
「し、シアナ・セラフィーユの子供、ってこと……?」
有り得ない。黒紫の髪の少年が青ざめたまま首を振る。
「あれ、あのガキ、黒髪だ……ってことは、黒龍ってことだろ……それってさ、つまり……」
「黒き龍は禁忌の子……禁忌の子は、災いを生む……」
ごくりと、色素の薄い少年が生唾を飲み込んだ。どこか怖々としながら少女を見やる彼の隣、「こ、殺さなきゃ世界終わるぞ……」と黒紫の髪の少年はぶるりと震えた。これが聞こえていたのだろう。女性が少女を離し、その背に隠すようにふたりの子供を振り返る。
「この子に手出しすることは許さないわよ」
ピシャリと一言。
告げられたそれに、少年たちは「でも!」と吠える。
「世界が終わるんですよ!? 俺ら死ぬんですよ!? ソイツがいたら、みんなダメになっちまうんですよ!?」
「い、いかなセラフィーユ様といえども、禁忌を犯すことはタブーなはず……許されないことです、シアナ様……」
震える子供たちを、女性は睨む。全ての憎悪を孕んだようなその視線に射抜かれた両者は、蛇に睨まれた蛙のように固まった。
ただでさえ、彼女は命あるものにとって巨大な存在。故に、怯えることは仕方の無いことだ。
「……」
震える少年たちを不憫に思ったのか、少女がくいくいっ、と女性の服の裾を引く。そうして振り返った彼女に困ったように笑えば、女性は沈黙。小さく笑い、少年たちを振り返る。
「この子に免じて、今日は見逃してあげる。だからもう二度と、ココへは来ないでちょうだい」
「……っ、……」
震える口を開き、閉ざした少年たち。何かを言いたげに右往左往と目線を泳がせる彼らの背後、扉が開いて少女の父たる男性が入ってくる。
「へ、ヘリート!!??」
色素の薄い少年が、驚きに声を上げた。
同時に、少年と同じく驚いた顔をした男性が、「やあ、リオル」とにこやかに笑う。まるでこの瞬間を待っていたとでも言いたげな彼に、女性が静かにその名を呼んだ。
「ただいま、シアナ。それに僕のかわいい天使。酷い雷だったね。怖くはなかったかい?」
「そんなことより説明してちょうだい、アナタ。どうしてこの家にこの子たちを招いたの?」
「そりゃあ、我が子に友達をと思ったからさ!」
明るく告げた男性に、女性が冷めた目を送る。まるで納得していない彼女の様子に、男性はカラカラ笑うと少年たちの肩に手を置いた。突然のスキンシップに、ふたりは肩を跳ねさせる。
「紹介しよう、シアナ。コイツはリオル。僕の従兄弟。それからこっちは睦月。リオルの護衛を勤める人狼だ」
「そんなことを聞きたいんじゃないの」
「分かってるさ。でも、紹介は大事だろう? なにせ、この子らは我が娘のお友達になるのだから!」
「「はぁ!!??」」、とふたつの声が重なった。 幼いそれに笑う男性は、呆れたと言わんばかりの女性の様子にただ微笑む。
「我が子に幸せを。外に出られないならせめて、外からのお土産くらいあげたいだろう?」
「……」
「気持ちはわかるとも、シアナ。けれど、信じてくれ。この子達は悪い子じゃない。特にリオルはこの僕が信用してる子だ。決してこの事を口外はしない。決してね」
黙り込む女性。何かを考える様子の彼女を前、ハッとしたのだろう。黒紫の髪の少年が「勝手なこと言うなよな!」と怒声をあげる。彼は現状に納得がいっていないのだろう。吠え立てるように抗議した。
「なんで俺らが禁忌に触れなきゃいけないんだよ!! こんな危ないヤツと、しかも友達? ふざけんのもいい加減にしてくれ!!!」
「おいおい睦月。よく見ておくれよ。確かに禁忌かもしれないが、この子は決して危ないヤツではないよ。ほらごらん。この可憐なる愛らしい容姿を……」
「関係ないだろ!!! 禁忌を生かせば俺らが死ぬんだ!!! そんなのごめん被るね!!! なあリオル!!!」
振り返る少年。しかし、隣に友人の姿はない。どこに行ったのか。
慌てて周囲を見回せば、友人は小さな少女の前、一輪の花を差し出し微笑んでいた。恭しい態度で「初めまして可憐なお嬢さん、お名前は?」と問う彼に、少年は思わずズッコケる。
「てっめぇリオル!!! 何してんだよ!!!」
「いや、睦月、見てくれこの愛らしい彼女を。透き通るような綺麗な瞳を……この子はきっと悪い子じゃない。僕の勘が告げている」
「てめぇの腐りきった使えねえ勘なんてどうでもいいんだよぶっ飛ばすぞ!!!!」
「じゃあ睦月はこんな小さな子が悪事を働くと、そう言うのかい!? こんなに、かわいい、女の子が!!!」
ぐぬぬ、と口ごもる少年。そんな少年の前、ずっと女性の背に隠れていた少女が、おずおずと前へ。もらった桃色の花を手に、それをキュッと握りながら、少年を見やる。
「な、なんだよ……」
「……」
にこり。
微笑んだ少女に、少年はドスリと、胸に何かが突き刺さる音を聞いた。それはきっと、恋のキューピットとかいう奴のやべえ武器に違いない。
「……ま、まあ? ちょっとだけなら? 話したりしてやってもいいけど?」
告げた少年に、少女は花咲くように笑った。その無邪気な、キラキラとした笑みに、ふたりの子供は眩しいものを直視した時のようにギュッと力強く目を瞑る。
「はは、いい友達が出来そうだ」
笑う男性。
「……肝が冷えるわ」
男性の傍に移動した女性が、やれやれと言いたげに呟いていた。
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