傷つきたくないのに

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 やってきたのは、乗り換えの駅にあるファミレスだった。  ドリンクバーから持ってきたアールグレイとミルクポーションをわたしの前に、アイスコーヒーを自分のほうに置いて、高見くんはボックス席の向かいに腰を降ろす。 「ごめん。高見くんまで、サボるの巻き込んじゃって」 「いえ。おれも気になってるんで。やっぱり日を改めるより、このほうがいいでしょう? 学園内だと誰に聞かれるかわかりませんし」 「うん……。でも、もし先生に見つかったら……」  ミルクポーションの蓋を開ける手が、少し震えた。  制服での寄り道も校則違反。見つかったら、きっと怒られるよね? 「そのときは、一緒に怒られましょう」  ははっと笑う高見くんは観念しているというより、どこか楽しそう。 「けど、ふたりそろって部活に出ないなんて、初めてじゃない? 部員の子たちに噂されるかも……」 「おれは、噂されても構いませんけど」  高見くんはサラリと言う。  ……もう。また赤面させないでよ! わたしはミルクを淹れた紅茶に口をつけ、カップで顔を隠した。  ひと呼吸置いて、わたしのほうから切り出す。 「さっき、謝りたいって言ってくれたけど、高見くんはなにも悪くないの。ただ、その……わたし、自分のことで悩んじゃって、言い出せなかったの。それでつい避けちゃって」 「どうしていいかわからない、って言っていたことですか?」  わたしはうなずく。  少しためらったけど、わたしは正直に言った。 「わたし、HPVワクチン接種を……しようか、どうしようか、すごく迷ってて」 「ん?」  高見くんはグラスを持つ手を止め、こちらを見た。 「この前、叔母さまが子宮頸がんになった、って話してくれましたよね。それで、長瀬先輩もHPVワクチンを接種したいって」 「そう。そのつもりだったんだけど、やっぱり決心がつかなくて……」 「どうしてですか?」 「そ、それは……」  わたしはとりあえず、副反応が心配なことや、SNSの攻撃的なコメント、接種をする子の親まで否定するコメントを見たことを話した。  うなずきながらひと通り聞いた高見くんは、納得したように言った。 「たしかに副反応は人によって違うみたいですし、そこは不安になりますよね。それはわかりますけど……SNSで見たことで、そこまで思いつめていたんですか」  グラスを置くと、高見くんは腕組みをして、うーん、と唸った。  う。もしかして、呆れたのかな。 「だ、だって……。HPVワクチンを打ったら3世代に渡って不妊になる! 危険なワクチンだ! ってコメントしてる人もいて……」 「おれはそのコメント見てませんけど……なにか正確なデータを引用していたんですか?」 「え? データって?」 「例えば、実際にHPVワクチンを接種した女子の何割がそうなった報告書とか。何年にどこが発表した調査結果とか」 「え? ……いや、そういうのなくて、コメントだけだけど……」 「なのに、そのコメントを信じるんですか?」  あれ? そうだ、言われてみれば。  あ、でも! 「け、けど、プロフィール欄に現役の医師って書いてあったの。関西の大学病院に勤めているって……」 「その人って、婦人科の先生なんですか? 女の人?」 「そこまではわかんないけど……。文章からすると、男の人みたい」 「なのに、そのコメントを信じるんですか?」 「…………」  あれ? わたし、あんなに悩んでたはずなのに。  高見くんに言われたら、たしかにバカバカしくなってきた。 「そのコメントをしている人が、本当に医者かどうかも怪しいです。プロフィール写真も本物とは限りませんよ。ネット上なんていくらでも嘘をつけるし、デマを流してストレス発散するような人もいるくらいですし」  肩をすくめ、高見くんは続ける。 「仮にその人が本当に医者だとしても、医者なら誰でもいいわけじゃない。病気やその予防については、専門の医師に直接聞いたほうがいいと思います。数学の先生に英語の質問なんてしませんよね。同じことでしょう? 会ったこともない人の話を鵜呑みにするより、専門の先生に対面で話してもらうほうが安心できませんか?」 「そ……そっか。たしかに、そうかも」  さすがというか、なんというか。学年トップレベルの言い分は説得力もあるな。 「そもそも――」  珍しく、眼鏡の奥で、いつも冷静な高見くんの目が冷たさを滲ませた。 「おれ、SNSってあんまり好きじゃないんです。匿名で人を攻撃する道具みたいなものですから」 「…………」  思い出した。あの神崎くんが――本っ当に信じられないけど――1か月くらい不登校になっていた時期に、ネット上で誹謗中傷もひどかったこと。うちの学年でも、スマホやSNS利用の注意点について、プリントが配られたっけ……。
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