キスからはじまる。

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「だからっ! なんで俺が姫なんだよ?」 「もう当日だ。あきらめろ、(むらさき)」  純白のドレスの長い裾を思いきりからげると、俺の健やかにすね毛の生えつつある筋肉質なふとももがあらわになった。 「文哉が王子様ってのが満場一致で決まったのは異存ねえけど、コレは違うだろっ?」  あいつとかあいつとか、いるじゃん!  噛みつくように叫んだ。小柄で細身で色白の原田や、モデル事務所に所属してて、フォロワー数がどうとか噂になってる宮本が。  俺がびしっと指さすと、そいつらは書き割りの影に逃げて行きやがった。 「ストップ。こわがってるぞ」  あきらめろ。もう一度そう言って文哉はすっかり仕上がった王子の扮装で、俺の首に腕を巻きつける。  見下ろすなっ。  ひらひらしたシャツと細身のパンツにブーツ。黒く長いマントがそれらしさを醸す。首固めされながら、メイク係が待ち構える椅子に連行された。手が伸びてきて、スポンジでぱたぱたとおしろいを塗られる。独特の匂いに閉口する。  文哉はとなりで涼しい顔をして、黒く艶のある髪をくしでとかれ、その必要はないだろうに、眉を描いて整えられている。  レースなんぞが付いたシャツでも、さまになる。某量販店で買った安い王冠も、バカ殿には見えないのが悔しい。  くらべて俺は百八十ある文哉におとらずでかいのに、大柄の外国人女性サイズだというてかてかの白いドレスを着せられている。今にもはち切れそうな背中のファスナーの下には、悪のりしたやつらが仕入れてきた女性用下着まで着けさせられている始末だ。かっこつかねえ。 「口紅塗ってるから食えねえだろ。腹ごしらえしておけ」  文哉はどこかのクラスの売り物だろう、フライドポテトをつまんで差し出してくる。 「俺が王子なら紫は姫。決まってる」 「んなこと決まってねーよ!」 「ニコイチだろ?」 「…ん」  俺は口を大きく開けて、まるでひな鳥のように少しひえたポテトを受ける。  学年一かっこいいのが文哉なら二番は俺だ。それは自他ともに認める厳然たる事実。だって正門や駅で、ふたりまとめて女子にまちぶせされたことは一度や二度じゃない。それにクラスでも、「紫は黙って文哉のとなりに立ってりゃ絵になるのに」と半ばあきれられ、ひやかされる。  でもそんなこととは関係なく、ニコイチだとほかでもない文哉に言われるのにはめっぽう弱い。  本当に、そう思ってくれてるのか? 「やるからには頑張ろうぜ」  くそ爽やかイケメンめ。  俺はちゃらそうな女子にはよく声をかけられて、ちゃらそうな男子にはすれ違いざまに舌打ちをされたりする、とっぽい見た目。こわがられ敬遠されることも多い。  でも文哉は男にも女にも、年寄りにもガキにも犬猫にもよくもてる。野良猫を保護団体に引き渡して、その後飼い主が見つかるまでなにくれとなく世話を焼いたのも知っている。さっきは文化祭の客の老人を、親切にもその人の孫のいる教室まで送り届けていた。  届かない。  悔しくなって、ポテトをつまむ指にかぷりと噛みついてやる。 「…痛ぇ」  もちろんほんの軽く、甘噛みってやつだ。王子様にけがなんかさせられない。  文哉の、驚いたり困惑した顔はレアだ。 「俺の勝ちぃ」  にっと笑ってみせる。 「機嫌は直ったみたいだな」  俺の、これから金髪ロングヘアのヅラをかぶせられようって頭を軽くひとなですると、文哉は一足先に舞台袖に消えた。  白雪姫やシンデレラ、赤ずきんにアナ雪をごった煮し、そこにコントやバンド演奏、手品なんかをぶち込んだ男子校クオリティーの劇。それが二年三組の出し物だ。  意図せずしてヒロイン役と相成った俺は、袖から舞台をのぞいた。  全身タイツの悪役と立ち回る文哉。まさか剣をふるった経験はないのだろうが、弓道部だからか一つひとつの所作がさまになり、凛として見える。体育館に集まった観客も注目しているようだ。  はあ。あいつは、あいかわらずかっけーぜ。  文哉。  入学してすぐ、前後の席になったのがはじまりの縁。馬鹿話、同じバスケ部のやつには言えない愚痴(主に愚痴るのは俺だった)、試験勉強のための図書館通い。放課後のファストフード。映画にゲーセン。すぐに行動をともにするようになった。  学級委員にして弓道部のエースで文武両道。ついでに両親ともに公務員。教師のおぼえもよく、だが友人と冗談も言い合えるようなコミュ力も高い。  対して、茶髪にピアスのチャラい見た目でけんかっ早い俺。だが不思議と気が合った。  二年でも同じクラスになれたのは、クラス分けの掲示板の前で自然とガッツポーズが出てしまったくらいうれしかった。  いつからだろう。文哉を目で追い、文哉がいないときでもあいつのことを考え、遊べない、予定が入ってるって返事が来るとしょげている自分に気がついたのは。  あ、台詞とんだ。 「…『武道場で弓矢の練習を黙々とする王子の横顔に、ノックアウトされました』」  アドリブでしのいだ。七人の小人たちに、王子とのなれそめを話す場面。本当は、剣の練習をする姿にどうのこうのだった気がする。まあ大意は合っているだろうなのでよしとする。  冒頭の台詞を言い終れば、あとはりんごをかじって棺を模した箱の中に横たわるだけの簡単なお仕事だ。眠っちまおうかな。  動物のかぶりものをした軽音部のやつらの演奏を聞きながら、目を閉じる。去年の春と夏のさかいめの出来事を思い出す。クラスメイトのやや棒読みの台詞が、すうっと遠くなる。  部の一年だけで行ったミニゲーム。俺のチームは負けた。それ以上に腹が立ったのはメンバーの連携が取れておらず、まるで形になっていなかったことだった。強い口調で責めてしまったし、責められた。くさくさして、タオルとドリンクを投げつけ第二体育館を抜け出した。  しとしとと嫌な雨が降っていた。  小学生の頃から、悪いくせだという自覚はあった。直情径行の負けず嫌い。でも頭にがあっと血がのぼると止められなかった。  そのとき武道場のそばに来ていたことにも、すぐには気づかなかった。  湿った空気を切り裂く、小さいが鋭い音に顔を上げた。  透徹した、文哉の横顔がそこにあった。  俺とくだらないことをだべっているときとも、学級委員としてみんなの前で話しているときとも違っていた。  弓道部は練習が休みだったのか、ほかには誰もいなかった。だがひとりしかいない空間に、緊張がはりつめているのがわかる。  真剣なまなざし、ひき結んだ口元。あごを伝う汗を、ときおり手の甲で拭う。  放たれる矢は、素人の俺からすればすべてほぼ真ん中に刺さっているように見えた。だが文哉は緩んだ表情になることなく、矢を放ち続けた。  しばらくそれを見つめていた。声をかけることなど思いつかなかった。  文哉は自分のしていることと向き合っている。  うちのめされた気がした。俺の心や、ぐちゃぐちゃになった頭の中を貫く透明さに。  俺は体育館にもどって、同じチームだったやつらに頭を下げた。先輩もコーチも、みんな驚いていたと思う。俺自身も驚いた。その後は空気が和らいで、互いに冷静に反省点や強化ポイントなどを話し合うことができた。はじめてのことだった。  あれからだ。  あいつならどうするかって、なにかあるたび考えるようになった。文哉を、心の真ん中に置いた。勝手に。お守りみたいに。    来た。  王子が眠った姫に近づいて、キスのふりをする。姫がめざめる。劇はそれでおしまいだ。 「『姫…今お救いいたします』」  衣擦れと、文哉のかすかな整髪料の香り。目を閉じていてもわかる。  今だ。  唐突に両腕をいきおいよく伸ばす。文哉の体をひっぱって抱きついた。文哉の、息を吸った気配。 「『王子様、助けてくれてありがとう、大好き!』」  俺の、とてもか細い姫のそれとは思えないどすの効いた声が響き渡る。  目を丸くして固まる、でかくてすらりとした図体。俺の好きな男。  観客からは笑いが起きた。 「…へへっ、びっくりした?」  息をのんで驚く文哉を見られただけでよしとする。客にもやや受けしたし。  さっきのアドリブの台詞はでまかせだけど、嘘じゃない。でも本当の気持ちは伝えられない。だって文哉には、他校の女子からコクられたとか試合後にプレゼントをもらっていたという噂がたえずある。  俺にできることは、このくらい。  明日からは、いや、舞台が終わればニコイチの親友だ。それでいい。  よし、これでお開き、と。あとは一列に並んでカーテンコールだ。  そう思ったとき。  文哉が俺の両肩をがしりとつかんだ。 「『姫、私も長い間…そう、昨年の春に出会ってすぐから、お慕い申し上げておりました』」  え?  アドリブ、だよな? こんな台詞はなかった。 「『笑ったり、ときに怒ったり泣いたりするあなたのお姿にいつしかどうしようもなく惹かれ、励まされていたことをあなたは知るまいて』」  心地よいバリトンボイスは、低いのによくひびく。俺の耳の中にも。  それから、まっすぐに俺を見る黒い瞳。  俺、今、ねえちゃんよりむしろ母親《ババア》に似てんなって感じた下手な濃い化粧してんだけど?  そんな俺を、文哉は真剣なまなざしで見つめている。  俺たちを囲む小人役の七人は少し驚いていたものの、微笑んでうなづいたり小さく拍手などしてアドリブを受け入れているようだ。 「『私は永遠の誓いのくちづけをあなたに捧げます』」  え? え? 「…ずっと、好きでした」  近づいてくる。かたちのよい唇。  え、「ふり」だろ? それにもう芝居は終わったはずだ。  そう思うはずなのに、文哉のまぶたが閉じるから、俺も反射的にぎゅっと目を閉じた。体が動かない。信じられないほどの鼓動。  それから。  熱くやわらかい感触が俺の唇を確かにふさいだ。  壁を何枚も隔てたような遠くから、破裂したようなどよめきが聞こえた。 「…え?」 「行くぞ。カーテンコールだ」  目を開くと、文哉のきれいな顔のアップ。 「…おう…?」  文哉のさしのべた手を取り、がにまたで棺をまたいだ。クラスの皆と一列に並び、温かい拍手を受ける。俺はきょろきょろと文哉を見、クラスメイトに視線を移し客席を見、またとなりの文哉の横顔を見上げる。  したよな…キス。  キス? これは夢か?  それに、「昨年の春から」? 「ずっと好きでした」? 「…俺の勝ち、だな」  ささやきにはっとする。  文哉は俺の唇にひとさし指をあてた。 「は、へ…ふ?」 「は」行でしかしゃべれなくなったのか俺は。  視点も頭の中も焦点を結ばないうちに、文哉は背中を向けて舞台袖にはけていく。見慣れた肩のラインが、おかしそうに笑っている。 「…まっ! 待ちやがれ! 説明しろ!」  文哉は一度立ち止まると、マントをひるがえして走り出した。  スカート、不利じゃねえか!  来客や生徒たちが驚いて振り返る人混みをかきわけて、視界の端でひらめくふざけたマントを追う。 「ファーストキスだったんだぜ!?」 「知ってる! そんなこと、大きな声で言うな」  あくまで爽やかなよく通る声が返ってくる。シューティングガードのプライドに賭けて、追いついてやる。  知ってる、だ? なんでだよ。 「待て文哉! 逃げんな!」   おわり
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