藤色の指先

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 少し大きめの紙は、ドラマや映画でしか見たことがないものだった。たくさんの記載事項が連なる個人情報の宝庫には、岬先生のフルネームに始まりご両親の名前、本籍などといった私の知り得ない事柄が詳しく書いてある。  まじまじと眺め気付くのは、びっしり文字で埋め尽くされた片側に比べほとんど空欄のもう半分。 「こ、れは…?」 「見てわかるでしょう、婚姻届です」  立ったまま私を見下ろし告げた先生の言う通りそれは婚姻届だった。  胸ポケットからすっと差し出されたボールペンが目の前に置かれ、私はまた疑問を顔に浮かべる。  婚姻届とボールペンを渡されることなど十数年生きていて当たり前に経験がない。経験がないので、先生の意図がいまいちわからなかった。 「どうすれば…」 「空欄を埋めて下さい。わかるところまでで構わないので」  そう言いながら、先生の綺麗な指がとんとん、と示すのは"妻になる人"と書かれた欄。 「(妻に…え? 何…?)」  まさかドッキリ?  先生がこんな趣味の悪いドッキリをするとは思えないけど、本気でこんなものを私に書かせるとも思えなくて変な汗が出る。  しばらくそのまま固まって紙と睨めっこしていたら、痺れを切らしたのか強制的にペンを握らされた。
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