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――真介の推測通り、事件当時ペンションには魁達の他にもう一人、人間がいた。
三十年前に生まれた柳沢氏の息子、雄太である。
柳沢氏の元妻で雄太を産んだ女は熱心な教育ママ――の皮を被った異常者であった。学校が終われば数多の塾に通うことを強制し、勉強の妨げになるからと言ってテレビ等の娯楽、果ては友人を作ることさえ禁じ、雄太から勉学以外の全てを奪った。そして何か自分の気に障るようなこと――息子が満点以外の答案を持ち帰る、食事を食べるのが遅い等すると、一体何処で手に入れてきたのか、警棒で激しく彼を打ち据えた。回数、時間はその日その時で異なったが、決まって服で傷が隠れる箇所に限られた。
柳沢氏は最初の内こそ元妻の雄太に対する仕打ちを諫め咎めたが、元妻はその度に逆上し、終いには柳沢氏に包丁を突きつけたため、柳沢氏は仕事の多忙を言い訳にして家族から距離を取った。
柳沢氏は、母親の虐待から息子を見捨てたのだった。
破綻がきたのは雄太が高校生の時だった。中学までは学年でトップクラスの成績を納めてはいたものの、高校に進学してからはテストの点数が振るわず、成績も下から数えた方が早い順位にまで落ち込んでいた。また学校生活でも、学級委員等の責任ある役職に就いていたものの、それは彼に人望があったからという訳ではなく、面倒事を周囲から押し付けられていたからで、その面でも相当の精神的負担を抱えていたらしい。
成績の件で母親から罵倒され、例によって警棒で打たれそうになった時、雄太は遂に壊れた。男の腕力で母親の手から警棒を奪い取ると、それが折れて使い物にならなくなるまで、母親を叩きのめした。母親は一命を取り留めたが、教育という名の支配が失敗したことを悟ったのか、単に命の危機を感じたのか、退院してすぐに離婚届を置いて家を去ったのだった。
母親の重圧から解放され、騒がしい相手は力によって黙らせられることを知り、味を占めた雄太はそれまでの鬱憤を晴らすかのように、様々な娯楽にのめり込んでいき、遂には学校を辞め、家にこもってインターネットのオンラインゲーム三昧の日々を送るようになった。柳沢氏は何とか息子を外に連れ出そうとしたものの、その度に激しく抵抗しされ、時には暴力を振るわれた。
元妻同様に逃げ出したくはなかったのと、かつて一度息子を見捨てた負い目もあった柳沢氏は、今度こそは息子を救いたいと思った。そこで、以前から漠然と脳裏に描いていた自分の夢こそ、雄太の更生に良いであろうと考え、定年退職を機にそれまで住んでいた家を払い、それで得た金と退職金を使って長野の山奥に売りに出されていた土地を購入し、建物を建て、ペンションを開いた。電波も届かない自然豊かな山奥で心機一転、やってくる様々な客との触れ合いを通して息子の心、そして離れてしまった親子の仲をやり直そうと思ったのだった。――息子がペンションの名を『スケープゴート』等といった不吉なものにしたのは、様々な難事を押し付けられてきた自身の人生を反映させたのではないか。そう父は考察している。
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