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 ところがこれは、意味がない所か逆効果だった。幼少のころから勉強ばかりやらされていた雄太に人と、まして他人とまともな対話ができるはずもなく、客と顔を合わせる度にトラブルを起こした。当然、オーナーの柳沢氏の元には相当数のクレームが寄せられた。「一体、どんな教育をしたらあんなのが育つんだ? 」、「あれを人前に出すなんて、あなたは何を考えているんだ? 」。そして労働意欲にも乏しく、気に入らないことがあればすぐ居住区内の自室に引きこもり、父親に相談もせず勝手に引いたWi-Fiの回線を用いてオンラインゲームに興じた。特に去年の四月に入った従業員の岳飛との折り合いも最悪で、根は生真面目な岳飛は雄太のことを厄災の如く忌み嫌った。事件があった時にペンション内の電話が壊れていたのも、雄太が岳飛と大喧嘩をし、雄太が近くにあったそれの親機を岳飛に投げつけた結果だった。  ある時、雄太が部屋に籠もって最後まで客の前にその姿を見せず、そのまま客が帰ったことがあった。その客は帰り際にオーナーに対して言った。「このペンションは本当に素晴らしかった。お料理も、サービスも。またスキー旅行で長野を訪れる時は、是非またこのペンションを利用させてほしい」……その言葉を聞いたオーナーは、心に大きな穴が空いたような感覚がした。息子が自室から出てこない方が客も、そして自分自身も、穏やかな時間を過ごせるということに気が付いてしまったのだ。ペンションの経営者となり、そこで客から寄せられるクレームの数々によって皮肉にも柳沢氏は、初めて世間体というものを意識し始めていたのだった。  その後、ペンションの評判はそれなりに良い物となったが、当初の『親子の仲を修復する』という目標を達成することは永遠にできなくなった。  殺人事件が発生し、一刻も早く救助を要請しなければならない状況になっても、息子を説得してインターネットの回線を使うことが阻まれた。先ほど真介に指摘された通り、客に頼んで自分の代わりに雄太を説得してもらうこともできただろう。だがオーナーにとっては、姿の見えない殺人犯の存在よりも、人前に息子を出すことの方が遥かに恐ろしかった。 「……あなた様の妹様を、死に至らしめた責任も私にあります。事件が発覚した時点で迅速に救助を呼べていたのならば……詫び申し上げます。  私はオーナーとしても、父親としても失格です。子どもを母親からの虐待から見捨て、暴君となったその子どもを恐れた結果、あなたの妹様、ご友人、そして親友の娘を死なせました。  改めて申させて頂きます。弓嶋様には何の落ち度はありません。全ては、私の自分可愛さが招いた結果です」  ――柳沢オーナーの懺悔は終わった。
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