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真介は自分の首に、腰に、両足に何か重りでも着けられたような感覚がしたが、それでも何とか口を動かした。
「それで……雄太氏は今どうしているのですか。現在も、今もこのペンションに? 」
「年が明けてから間もなく、自らここを去りました。事件で赤子のころから知っている卯月ちゃんが亡くなってしまい、あの子もあの子なりに思う所があったのでしょう」
柳沢オーナーは口元に悲しげな微笑を浮かべると、窓の方を向いた。外では豊かな緑の木々の葉が穏やかな風に揺られてカサカサと心地よい音を立てていた。
「小森様、あなた様のお陰で決心がつきました。私はこのペンションをたたみます」
「そんな、俺はただ……」
思わず真介は叫んだ。そこまでさせるため、ここへきた訳では無かった。まして、心からの反省の色を見せている人物に。
しかし柳沢氏は真介に向き直ると、ゆっくり首を横に振った。
「私には、卯月ちゃんや弓嶋様のように自らの過ちを命をもって償うほどの気骨はございません。何か責任を取ろうと思えば、このぐらいのことしかできないのです。ご容赦下さい。
それに、あなた様がご指摘した通り、私はお客様の安全を保証するオーナーとしての責任を放棄しました。もうオーナーをする資格などなかったのですよ。ですが本日、あなた様のお陰でようやく眼を覚ますことができました。感謝致します」
柳沢氏に深々と頭を下げられた真介に、返す言葉はなかった。
スケープゴートを去る前、真介は柳沢氏にペンション二階の一室を開けてもらった。
三号室。妹が友人とともに泊り、そして最期を迎えた部屋。一応死人が出た部屋であるため、事件から今日まで誰も泊らせてはいないそうだが、内装は整頓され、床にも埃は積もっていなかった。
「わざわざ開けて下さりありがとうございます。用事が済んだら鍵はちゃんとそちらへ持って行きますので。それで、妹が使っていたのはどちらのベッドですか」
真介に問われた柳沢氏は二つあるベッドの内、奥の窓際の方のベッドを指した。
柳沢氏から鍵を受け取って彼を下がらせると、真介は指し示されたベッドへ歩み寄り、その上に横たわる。
クリーム色をした珪藻土の天井が見えた。
――これが、あいつが最後に見た景色か。
性別が異なり、歳も大きく離れて色々と手が掛かったが、それでも可愛い、愛おしい妹であることには変わりはなかった。それは真介や両親以外の人々にも共通した認識であったようで、彼女の通夜、葬儀は年末であったにも関わらず、多くの同級生、教員、近所の人々が集まり、その早すぎる死を惜しんだのだった。
「真理花……」
目頭が熱くなり、そこから溢れた生暖かい液体がこめかみを伝った。布団を汚してはいけないと理性を働かせ、あわてて腕で涙を拭い、身体を起こしてベッドに腰を掛ける。
――柳沢太志はまだ良識を備えた人物であった。しかし手記の描写を見る限り、これから会おうと考えている残りの連中は、彼のようにそのような物は欠片も持ち合わせていない曲者ばかりだ。
しかしここで終えてしまう訳にはいかない。亡き妹の友人のために。
真介はベッドから立ち上がった。
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