憂う彼女と無力な僕

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憂う彼女と無力な僕

 それから五年の月日が経ち、十五歳になった頃。  昔の身体の悪さは、すっかりと鍛えられていた。  日々の生活は、よく食べ、よく遊び、よく寝るの繰り返しで、その内三分の二は彼女と過ごしていた。  成長期の身体とは不思議なもので、前とは見違える程に体力は上がり、大人たちと島の南方にある森に狩りに行くようにもなった。    その森の中には鳥やら猪やらの動物に、薬草や木の実まで……ありとあらゆる自然の恵みが詰まっていて、いつも僕たちの生きる糧を譲ってもらっている。  その代わりに僕たちは特定の老木以外の大きな木を伐採することで次の命が芽吹きやすいようにと手伝い、森の生き物を減らし過ぎないように家畜を飼っているのだ。  と、そんな感じのことを、森に入る前に村の大人が言っていた。  その全部を理解していたかといえばそうではないが、表面上の内容だけは理解していたと思う。    森で血抜きした猪三匹と籠に入っている木の実数十個を採った帰路に、彼女の爽やかな海色の髪に似合う黄色の花を見つけた。  その花を優しく摘むと、少しでも傷つけることのないようにとハンカチでそっと包む。  そのハンカチは彼女から貰ったもので、僕の名前が刺繍されている宝物だ。  村に着くと血抜きされてる猪を大人が、僕が木の実を調理場へとそのまま持って行った。    調理場には腕の効く村の大人たちが居て、受け取った籠に入っている木の実を種類ごとに取り分ける。  ジャムにするものに、そのまま生で食べるもの、果汁を絞って飲み物にするもの、とそれぞれだ。  僕と彼女は小さい頃から特に飲み物が好きで、夏場に大人からラズベリーをもらっては潰して飲んでいた。  そんな思い出深いラズベリージュースを作って貰うよう大人に朝から頼んでいたので、二人分貰って彼女がいつもいる薬草畑へと足を運ぶ。    高台にある薬草畑からは海を見ることができる。  僕が狩りで遊べない日の彼女は、いつもそこのベンチに座って海の向こうを艷めいた黒い瞳で見つめながら、胸まである海色の後ろ髪を革紐で一つに結んでは潮風に靡かせている。    ここ二年間の彼女は何かに憂いていることが多い。  僕はその姿を見る度に罪悪感に駆られながらも、その妖艶さに息を呑んでしまう。  ほんの数秒間見惚れていた僕に気づいた彼女は目尻の下がった瞳から雫を零し、血色に染まった頬を潤わせながらこちらへと振り向く。  彼女はこちらへ振り向くと……溢れ出したそれを鎮めようとハンカチで優しく、それでいて無造作に拭う。  そんな彼女に対して焦りの様なものを感じたのだが、当時の感の鈍い僕にはその答えまで辿り着くことが出来なかった。    一瞬立ち尽くした僕は少しずつ彼女の方へ進み、両手に持つラズベリージュースの片方を渡す。  ジュースを渡した時の彼女の表情は今さっきの出来事が無かったと思える程に明るく、感の鈍い僕でも無理をしていることだけは分かった。  彼女が何に無理をしているのか?  何故無理をしているのか?  どのくらい無理をしているのか?  昔から三日三晩一緒にいる彼女の知りたいこと、知らないことが僕には山ほどある。  木製のコップに柔らかな薄紅色の唇を付けジュースを喉に流す彼女に、僕は心の中の蟠りを無意識的に曝け出していた。    それは…  何に憂いているのか?  何に焦っているのか?  何故泣いていたのか?  ──なんで、何もなかったように笑っているのか?    最初は無意識だったそれを、僕は次第に意識的に曝け出していった。  彼女はそれらの疑問を静かに聴いていたが、彼女がそれらに答えることはない。  何も答えてくれない彼女に対して、言葉にできないほどの無力感を抱いた。  生まれた時から三日三晩一緒にいた彼女に、僕は確かな強い絆を感じ特別に思っていたのだ。  だからこそ僕は彼女が何かに悩んでいるのなら力になりたかったし、力になれるのだと……そう、心のどこかで思っていた。 「悔しいなぁ…」  下唇を噛む僕に、静かにジュースを飲んでいた唇は重々しく言葉を投げかける。 「あの日まで…あと、ほんの少ししかないわね…」  と、寂しげに。  
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