商人と男の子と、女の子と

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商人と男の子と、女の子と

 ある日私は、王都の東部にある市場を調査することにした。  それは王都の優良商会として、よりニーズに応えた供給をしなければいけないからだ。  とは言っても技術的な面での真似事はしない。  なぜならそれは、一朝一夕に成し得ることではないからだ。  もちろん物資的な面でも正当な契約に則り取引する。  これは私のモットーであり、私の商会のモットーでもある。  人がこれを聞けば、綺麗事だと笑うかも知れない。  ──いや、笑うだろう。  確かに、権力を振るい、圧を掛け、自分達だけ儲かることもできるだろう。  しかし、それをする商人が信頼されるだろうか?  ──否、信頼されない。  商人は信頼関係があるからこそツテができ、お得意様ができ、利用して下さった方々の笑顔が溢れてやり甲斐にも繋がる。  特に利用して下さったお客さまの、あの満足そうな顔が商人をやっていて良かったと思える証でもあるのだ。  だから、誠実でなくてはならない。    市場調査をしていると一つの露店を見つけた。  その露店にはスクスクと育った光沢のある瑞々しいラズベリーが、商品として並ばれていたのだ。  ラズベリーとは育てるのがとても難儀で、成長してはあちこちに蔦を生やし、他の作物にも影響を与える。  だからこそ、ここまで育ったものを見るのは商品としてはかなり珍しいのだ。  私は店前で顎に手を当て、ラズベリーをまじまじと深く見つめる。  見れば見るほどラズベリーの良さに驚かされた。  二十過ぎとは言えど、私も男の子だ。  好奇心に抗えるはずもなく、ここは一つ、買って食べることにした。  お金を払い、ラズベリーが数個入っているカゴを受け取って早速口にする。  ラズベリーの甘さとそれに負けない程の酸味が混ざり合っていて、紅茶が欲しくなる程にとても美味だった。  この美味しさは商会で加工したりブランドで付加価値をつければ、より世間に広まるのではないか?  そうすれば、この感動も共有できるのでは?  と考え、採取地はどこなのかを尋ねた。  もちろん、情報も商品の内なのだから求められた対価を払うのは当たり前のことだ。  だが、対価は要求されなかった。  怖いほどにすんなりと、自分の島で収穫したのだと教えてくれた。  いや、本当に怖かった。  商人にとって情報とは命に等しいもの。  それをすんなりと、しかも無償でとは……何かあるのではないか?と、不躾ながらも勘ぐってしまった。  おそらく、この時の私は難しい顔をしていたのだろう。  ラズベリー屋のお兄さんはそれを察したのか、島の話をしてきた。  島には森があってそこで狩りをして生活していること。  島には同じ日に生まれた二人の子どもがいて、その内の一人は島の大人より賢くて、本が好きなこと。  だから、島に留まるには惜しいということ。  もう一人の方は太陽みたいに明るくて、周りも照らしてしまうほどだということ。  つまりは、その男女二人に世界を見せてほしいということだった。  ラズベリーは幅広く扱われ、あれほどの品質であればかなりの儲けが出ると予想できる。  ならばそれに対価を払うのが筋というものだ。  だから私は、ラズベリー屋のお兄さんの優しさに心から感謝し、そして了承した。 「分かりました。では、また後日」  と、私が了承したときの彼の顔は、和やかさに満ち満ちていて、私と同じ商人とは思えないほどに眩しく思えた。    強い日差しに世界が照らされ、涼しい風が潮の匂いを運ぶ季節になった頃、私は島へと赴いた。  大陸から島へは船で数十分のところで、遠目から見ても自然に溢れている場所だと分かった。  波で船が揺れるたびに、辺りには潮風がチラつく。  私はこの心地良い揺れと嗅ぎ慣れた潮風が、言葉にはできないが好きだった。  島に近づくと、遠目にこの船を見た島の住民達が手を振って出迎えてくれていた。  私は、それが心の底から嬉しかった。  誰しも拒絶されるより受け入れてもらいたいものだ。  だからこそ受け入れてくれることが伝わってきて、本当に嬉しかった。    島に着くと村の大人が数人、前に出て来て歓迎してくれた。  その中にはこの前会ったラズベリー屋のお兄さんもいて、私はホッとする様な懐かしい気持ちになった。  歓迎されたからには、こちらも礼を尽くさなければならない。  胸に手を当て、腰を落とし、頭を三十度下げ挨拶をする。  村の大人達はその優雅な立ち振る舞いに驚きつつも、最敬礼で返してくれた。  頭を上げた村人と目が合うとラズベリー屋のお兄さんに改めて挨拶をし、ラズベリーの売買取引や例の子どもの話を聞いた。  その間周りの人等は大雨に吹かれ無数の木々が掠れ合う様な、そんなガヤガヤとした騒がしい音を発していた。  その音には、余所者に対する好奇心や少々の不安を孕んでいる空気感があった。    ラズベリーの売買取引は上々で、まだ正式な契約を交わしてはいないものの継続的な取引も可能となった。  例の二人の子どもことについては、世間話感覚で色々と聞いた。    男の子は文字の読み書き、算術、生物、地理、商業等を独学で覚えたこと。  小説などの物語をよく読み、そちらの方にも長けているということ。  昔は比較的体力が少なくて身体が弱かったけれど、最近は体力がついてきて健康体そのものであること。  本人は気づいていないけれど、心の中では世界を見てみたいと思っていること。    女の子は学力こそないけれど、男の子とは運命共同体で互いの支えになること。  コミュニケーション能力が高く、比較的誰でも仲良くなれること。    そして二人は無意識的に、互いが互いに特別な感情を抱いているということ。  だから、できれば二人共面倒を見てほしいということ。 「この島の大事な宝を、どうか宜しくお願い致します」  と、話し合いの末にラズベリー屋のお兄さん諸共、島の住人達が頭を下げながら私に頼んだ。    この話を通して、私は男の子に対する興味を抱いた。  読み書きをできるだけでなく各方面に優れていて、しかもそれを独学で修めている。  それが本当なのだとしたら世界中を探しても、ここまでの逸材は限られているだろう。  二人の話を聞いている時の私は表面上平然を取り繕っていても、内面ではどうしようもなくワクワクしていた。    二人の話が終わる頃、雑木林の様に乱れる人々の中から二人の男女が顔を出していた。  その男女は私に興味があるらしく、二人合わせて周りをキョロキョロしては近くの大人と話し出した。  ラズベリー屋のお兄さんと話している時に近くで補足をしたり相槌を打っていた村の老人が、詳しい話は座りながらしましょう、と大方そんな話をしてきた時に男の子と村の大人の話が聞こえてきた。  その内容を聞いた私は驚きを隠しきれずに、子ども達の方へと視線が向いた。  先程まで話を聞いていなかった十二歳の男の子が大人との少ない会話の中から要点を合わせ、自分から補足するという異常さを持ち合わせていたのだ。  話の要点を合わせ予想し、自分なりの補足や解釈をすることは別に難しいことではない。  だがしかし。  それはあくまで要点ごとに経験則があり、たかが十二歳が簡単とは言え商業のことで口を出すのは異常と言うほか無いのだ。    彼のことであれこれ頭を働かせていると、彼の方から笑い声が聞こえてきた。  その声は無邪気で、元気があって、楽し気で、子どもであることを分からせてくれる、そんな声だった。  その声を聞いて男心が刺激され、私の心の一部に好奇心を孕む。  その好奇心とは男の子と直接話をしたいと言うものであり、それ以外の何ものでもない。  だから私は仲間に合図を出し、私の代わりに対等な契約することを命じてから男の子の方へと歩み出したのだ。  堂々と背筋を伸ばして、一歩一歩をゆっくりと歩く。    彼との距離が少しずつ縮んでいくと、彼自身が私に近づいて来た。  一歩、また一歩。  彼と私の距離は、ある一定の距離で留まる。  それに対して私だけでなく、後ろで控えている仲間までもが驚愕した。  それもそのはずだ。  本で知識を身に付けているとは言え十二歳の子どもが初めての実践で、踏み込んだ剣先がわずかに届かない位置で留まったのだから。  どんなに育ちが良くともここまで警戒して、剣先一寸たりとも届かない位置で留まれる子どもは、一体どれだけいるだろうか。  驚愕を超えて、もはや感動さえ覚えるほどだ。    立ち止まってから、一二秒ほど経っただろうか。  これ以上は彼に遅れをとってはいけないのだ、と直感的なもので闘争心を燃やした。  しかし、たった一秒だ。  たった一秒の差で、彼に遅れをとった。  大商会の代表として島の小さな子どもに負けたのだ。  彼が優秀だという話は聞いていたが、ここまでとは思っていなかった。  侮っていた。  そんな私を、私自身が愚かだと思った。  それもそのはずだ。  たった一秒速く先手を打たれたそれが、貴族の挨拶だったからだ。  剣先一寸たりとも当たらない間合いを撮ることは、別に出来ない芸当じゃない。  まぐれの可能性だってある。  でもその挨拶だけは覆すことのできない真実であり、彼の学の高さを示しているのだ。  この挨拶も私の仲間だってできなくはない。  しかしそれは、私が教えているからだ。  それに、仲間の場合はもっとぎこちないだろう。  それを初めての実践で、しかも完璧に近い形にして見せられるのは、まさに鳩が豆鉄砲を食らった様な心情だ。  相手の礼には、こちらは最大の礼を返さなければならないと思った。  ──彼のそれは、限りなく完璧に近い。  ──だが、それは完璧ではない。  ──だから、私が完璧を魅せる。  ──彼と私の差、それは経験の差だ。  手の位置や礼の角度は完璧だが、足の方がほんの少しだけオボついていた。  そのほんの少しは、見る人が見ればすぐに分かる。  だから完璧ではないといけないのだ。    私が彼に完璧を心の中で求めてしまったのは、私が彼に可能性を感じたからだろう。  彼が私の商会に来ることがあれば凄まじい風を吹かせ、新たな可能性という名の種を蒔いてくれる。  そんな気がしたのだ。    それからは彼と彼の彼女さんと、小さな島の全般を少し散歩した。  散歩している最中は彼に様々なことを聞いた。  ──ラズベリーのこと。  ──二人のこと。  ──未来のこと。  ──小さな声でこっそりと、君は彼女のことをどう思っているのか?とか。 「かけがえのない宝物です」  私の質問に真っ直ぐな顔で男の子は答えた。  男の子の答えに、聞いた私の方が耳が赤くなる程に恥ずかしくなったし、羨ましいとも思った。    女の子との会話は全部男の子との思い出ばかりで……。  私を間に挟みながら惚気るのは勘弁してくれと、歳不相応に照れてしまったが結構楽しかった。    互いが互いの話をするときの表情と言ったら、絵に書い様に満面の笑みで。  これで、まだ男女の関係じゃないのだから驚きだ。  そもそも私自身が恋だの何だのと腑抜けている暇がなかったのだから、耐性が低くて然るべきである。    しかし、私は悪い大人かもしれない。  男の子に私の経験談を語ることで、他所の世界に興味を持たせて商会に引き込んだのだ。  しかもそれだけではない。  女の子と別れ男の子と二人っきりになると、彼が私にしてきた頼みごと「女の子も一緒に連れて行く」に、とある条件を出したのだ。  それは……一緒に連れて行くのを三年後の朝まで女の子に秘密という、性格の悪い条件だった。  そんな性格の悪い条件を出すことで、より香ばしい青春の味付けを出来るのだ。  そして、そんな男女二人の行方を私が楽しむ……と言った、大人にあるまじき下品さを発揮したのだから。    女の子のところに戻った時の彼の顔はぎこちなく。  そこから……女の子に対する好感や、好感からくる罪悪感が見え隠れしていた。  そして、そんな男の子を眺めてる私は心の底からドキドキしていた。 「こんな気持ちは初めてだ……」  この時の気持ちはラズベリーよりも甘酸っぱくて……知らなかった新たな感情に、私は高揚感を抱いていた。    それからのことは特に語る必要もないだろう。  部下から情報を集めて整理し、状況確認をする。  荷運びをし、島の住人と挨拶を交わしてから大陸の方へと帰路へと着いた。    水平線の彼方には日が沈み、海は闇を孕み始める。  潮風に髪を揺られながら胸いっぱいに吸った空気には、肺を威圧する程の冷気が纏われていた。  私は普通なら気にも留めない様な日常の一部に、まるで誰かの人生を示唆している様な……そんな、悪い気がしてならなかった。  
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