# 3 バイオリンの音色

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# 3 バイオリンの音色

校門をくぐると、僕らは練習室棟へ向かった。 今日の2限は実技レッスンで、いつも使う練習室は僕が202号室で将生は205号だ。 練習室にあるアップライトピアノでラの鍵盤を叩きながらバイオリンのチューニングをしていると、先生がやって来て、壁際の椅子に座り、楽譜を広げる。 挨拶もそこそこに急いでチューニングを終わらせ、将生から返してもらったバッハの無伴奏パルティータ第3番ガヴォットの楽譜を譜面台にセットして、演奏を始める。 クラシックは「再現音楽」なので、作曲家たちが残してくれた楽譜に沿って「忠実に」弾かなければならない。 楽譜には作曲家のメッセージが詰まっていて、それを隅々まで網羅し自分なりの解釈を加えて、指先に込める。そこに演奏家の個性が重なって音色が表現となる。 演奏が終わると、先生からいつもと同じような感想をもらった。 「いいですね。楽譜もよく読み込まれているし、安心して聞いていられます」 ――安心して聞いていられる―― つまり、これが今の僕の表現力という事で、こんな演奏でお客様から時間とお金をいただき続ける事は、……きっと難しい。 「……ありがとうございます」 とりあえずの相槌みたいな簡単返答しか、言葉が出なかった。 どうしたらいいんだろう。どんな練習をすれば表現力はアップするんだろう。 将生みたいな自由自在の表現力は、どんな練習をしたら手に入るんだろうか。 すると先生から1枚のメモを渡される。 そこには「プッチーニ / 誰も寝てはならぬ 」「マスネ / タイスの瞑想曲 」「ガーシュイン / サマータイム 」と書かれていた。 「これは?」 「次から新しい曲をやりましょう。この中から好きなのを1曲選んで練習してきなさい」 この3曲は全てオペラの曲だ。 どれも登場人物やストーリーに関わる重要な曲で、世界観をぶち壊さないためにも下手な演奏は絶対に出来ない超有名曲ばかり。テクニックに加え表現力も必要な、かなりの難曲だ。 先生には、僕の弱点が分っていたようだった。 レッスンが終ると、将生と合流していつものように大学の食堂でランチを取る。 昼時なのでさっさと食べて席を空けると、食堂に設置されている100円自販機で食後のジュースを買って、中庭に向かってブラブラ歩き始める。 中庭まではゆっくり歩いても3分くらいだが、少し歩くと女性から声を掛けられた将生の足が止まる。 僕は将生を置いて歩き続け、空いていたベンチに腰を降ろす。 10月中旬の今日の陽気は、ベンチでのんびりするのに丁度良く、午後の授業までまだ30分ある。 僕はさっきの授業で先生から渡されたメモを見ながら、どの曲にしようか考えていた。 「何それ?」 いつの間にか隣に座っていた将生が、メモを覗き込んでくる。 「次にやる実技の候補曲だよ。この中から1曲選ぶように言われたんだ」 「えぇ、いいなぁ! どれもチョーいい曲じゃん。俺もそういう曲やりたい」 「将生だったら簡単に弾きこなせそうだよね。僕にはどれも難曲だよ」 すると将生は立ち上がり、いきなりバイオリンを弾き始めた。 その曲は、ガーシュインのサマイタイムだった。
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