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「あぁ、盗電されたわ」
宿屋の快い人は、急な出来事に扉を開けたまま私に話し掛けた。
「え?ここって電気が通っていたんですか?灯台とガス灯しか未だ見ていないし、頂いたお風呂も薪を焚いていて……、あ、とても良いお風呂だった、でしたけど……」
ここに来るまでも汽車だったことも踏まえ、私はつぎはぎだらけになりながら、疑問を呈した。
「今、この町には汽車しか通っていないことを思い出しながら、質問したね?」
宿屋の深い人――快い人の旦那さんと云うのが私の見立てだ――が、薪の俵積みを花束の様に抱えて問答に加わった。
この人は、他人の考えていることを予想しながら話すのだ。
なんなら、予想しながら話さないときは一度たりとないのだ。
深いのだ。
「電力って云うのは、万能なエネルギーなんだ。ガスにしろ、蒸気機関にしろ、働き続けるには電力が要る」
深い人は、ここで一呼吸置いた。
その一呼吸は折りたたみ傘で、忘れないうちに回収された。
「……夜になったら、電力を盗んだ者を探しなさい。狭い島なんだし、外周をぐるっと行けば、到達できるだろう。もし、行き違って巡り会えなかったら、またこの宿に帰ってくるだけだ。迷うことは、ない」
深い人が抱えていた柴は、次々とチップに変わっていき、隠れていた、歯の少ない老人の顔が顕れた。
島の南側には行ったことがなかったし、地図を持っていなかったので、私は手掛かりを幾許か尋ねようとした。
しかし、向こうは早く気付き、
「ヒントが欲しい、と思ったね?その店は、黄色いお化けが経営している。あと、お前を必ず歓迎してくれる」
楠の並木道が暗くならない内に出掛けようとしたが、夜にならないといけないらしい。
快い人の昼食の知らせに即刻返答し、私は夜まで暇のままでいることにした。
六時。私はここからが夜だと考えている。
六時十五分からだと言う人も多いが、ここは、歩いていれば十五分は掛かるだろうと云う精神だ。
強烈な海風は、夕立で道路標識に溜まった雨粒を、私の方に飛ばしてきた。
もし私が、雨になりたいと考えている人だったら、全身を風に任せ、一滴のサイズに細分化し、山の方へ散っていっただろう。
私はまず、思い切って未知の島南を歩いてみた。
外周から外れぬよう、摺り足で歩いた。
十分程、歩いたころだろうか――その道はずっと、柑橘系の香を発散していた――、ゴッホが既に描いていそうな小建築が現れた。
カーブの先から現れた。
私は今まで、パワーストーンの付いたネックレスを掛けた駅伝選手を、密かに小馬鹿にしていたが、今だけはそれを撤回したい。
あの光の建物には、電力があった。
燐には燐の発光があるように、あの場所にはあの場所の電力が働いているのだ。
意志なき力では僅かにも対抗できない、引力が存在していた!
――気が付けば私は、中のカウンター席に座っていた。
「……」
言葉を話せないのか、不要と受け取ったのか、黄色いお化けは黙ってグラスを寄越した。
レモンの香がしたが、飲むとただの水だった。
「ありがとうございます。えっと、喋るのはマナー違反ですか……?」
目の前の、シーツを被った――目の位置には穴が空いている――何者かは、またレモンの香だけ水を差し出した。
「ようこそ、エレクトリック・カフェーへ。二人しかおりませんので、無礼講です」
やはり水だったグラスを飲み干し、私は、黄色いシーツではなく、黄色く発光している白いシーツだと云うことに気が付いた。
「失礼なのですが、人、なのですか?」
「だから無礼講だと言ったでしょう。聞けばあなたは旅人だと……無言でシーツを引っペ返す勇気くらいは必要ですよ」
その物言いに腹が立ったので、私はシーツを鷲掴みにした。
――冷たっ
脊髄反射で感じてはいたが、手は動かなかった。
低温火傷をするときは、冷たすぎて熱く感じるが、今回はその逆である。
例えるなら……
「冬に悴んだ手足を湯に入れたとき、と考えましたね?」
勝ち誇った様にグラスが出される。
しっかりとレモンの味がした。
店内の灯りが疎らになってきた。
電力が切れてきたのだろう。
「本日はもう、お開きです。歓迎の意が伝わったなら、幸いです」
カウンターを越え、店主が礼をした。
サンダルを履いた生足が少し見えて、本物の幽霊より不気味だった。
暗くなった店を出ると、橋が見えた。
さらに遠くへ行くための、橋だ。
宿屋の方に向かえば、私がここに来るために通った橋が見える。
勇気がなくても、橋があればいい。
実際、私がなぜこの島に来たのか分からないし、あのしゃきっとした足は深い人のものとは大きく違っていた。
行き先と、帰り道がわかっていれば、それでいい。
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