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堕ちた花びら
どうして我慢できなかったのだろう。
イオリーは幾度となく後悔した。月夜の晩にイオリーが誘い、再び体を重ねて以来、オルフェとの関係は歯止めがきかなくなった。
(アレに意味なんてないのに。魔力をあげているだけ)
オルフェが行為の最中に、愛していると、口にしないのが答えだ。
イオリーだって彼を縛り苦しめるような、未来の言葉が欲しいわけじゃない。後腐れのない関係でもいいと先に手を伸ばしたのは自分だ。
七階のオルフェの部屋に自ら訪ねて行くようになった。
オルフェの部屋に行く日は、決まってキスをねだった。それ以上も。
苦しいから、と理由をつけてオルフェに魔力を吸ってもらう。首につけられた誓約の徴以外の繋がりを感じて体は満たされた。でも心は、ずっと虚しくて寂しいままだ。
「はぁ……俺、ただれてるな」
放課後、レイモンド先生から話があると医務室に呼び出された。体は、どこも悪くないのに北棟に向かう足取りは重かった。アルメリアには黙ってくるように、と言われたのもあって内心穏やかではない。
(魔力でオルフェを誘惑しているのがバレたのだろうか)
寮とはいえ学内だ。神聖な学びやでイケナイことをしている後ろめたさもあった。
ふと、顔をあげると、魔法言語学教室の前で見覚えのある顔を見つけた。二年生になってから顔を見ていなかったが、入学してすぐの頃、イオリーに魔法で怪我をさせた生徒だった。
あれから姿を見なかったので気になっていた。
「待って、えっと……名前、そう! キース、だ」
「っ、ぁ、え、オーキッド、様」
「様って、イオリーでいいのに。元気にしてたか? ごめんな、俺のせいでクラス変わって」
イオリーに名前を呼ばれたキースは、目を丸くして逃げるように扉の中に入ってしまった。
(あ……やっぱり、俺のこと恨んでる、かな)
一年生のときイオリーたちの学年のクラスは二つに分かれていた。もちろんクラスが移動したからといって学ぶ内容に差はない。それでも成績順で下のクラスへ移動させられたのだから、プライドの高い貴族なら恨んでいて当然だ。
イオリーはちゃんと謝ろうと思い、教室に入りキースを追った。部屋の中の彼は本を胸に抱え縮こまっている。もしかして、彼は古代魔法使いに対して、まだ嫌悪感があるのだろうか。
「キース、俺」
古代魔法使いは近代魔法使いを傷つけたりしない。誤解は解けたと思っていただけに少しショックだった。
「すぐ出て行くから、ずっと謝りたかったんだ。俺のせいでクラスが変わっただろう。申し訳なかったと思っている。クラスは成績順だし、不本意だったんじゃないかって」
「違うんです!」
イオリーがそう言って教室から出ていこうとすると、ローブの袖を掴まれた。
「僕が、間違っていて」
「間違うって?」
「オーキッド様は、子爵家で、僕は貴方より下の身分です。それに、どんな理由でも怪我をさせたのなら、退学は当たり前で、それなのに……だから謝罪するのは、僕の方だし、合わせる顔がない」
「そうなの? あー俺さ、あんまり、身分とか気にしてなくて」
イオリーが迫害を受けている古代魔法使いの村出身でも、貴族社会の身分制度はある。彼が気にしていたのなら、もっと早く探して声をかけたらよかった。
「学校に残れたこと、感謝しています。オーキッド様みたいに身分とか関係ないって、今は怖くて思えないけど……でも、オーキッド様とアルメリア様を見て、いつか国が変わればいいなって、考えるようになりました」
キースのその言葉にイオリーは目を見張った。そして小さく微笑む。
「そっか、オルフェにキースのこと、お願いしてよかったよ。俺には、そんな権利ないしね。怪我のことも気にしていない、魔法で治してもらったから」
「本当に、お二人は仲が良いのですね。アルメリア様もオーキッド様と話されている時、とても楽しそうで」
「そう見える? ……だったらいいなぁ」
イオリーは、そう言ってキースに手を振って教室を出る。自分のエゴで首につけた誓約の魔法。この学校に残りたくて、オルフェとの楽しい学校生活を失いたくなくて。
そんな自分本位な願いのためにつけたものだった。けれどキースが、イオリーたちを見て何か感じたのなら、この鎖にも意味があったのかもしれない。
たとえこれの本質が服従の魔法でも、今日までオルフェとは正しく友人関係を築いてきた。
(ま、それで、いま自分がしていることの正当化はできないけど、さ)
長い廊下の先、放課後で北側の廊下には生徒が誰もいない。医務室に入ると、イオリーを呼び出したレイモンド先生はまだ来ていなかった。
医務室の大きな窓からは夕日が差し込んでいる。
こんな一方的な関係は続けてはいけないと分かっている。イオリーはベッドに仰向けに寝転がると腕で顔を覆った。
夕日を見ていると二人に残された時間を考えて切なくなる。
この学校を卒業すれば、オルフェはイオリーの前からいなくなる。
駄目だと分かっていても、この後、寮に戻って、またオルフェの部屋に行ってしまう気がした。
しばらくベッドで待っていると、医務室の扉が開く音が聞こえた。イオリーはベッドから上体を起こし、扉から入ってきた人物に視線を向けた。
「あ、レイモンド先生、に……なんで、トレニア先生も」
二人の表情を見て嫌な予感がした。どうして医務室に呼ばれたのか。
人払いが必要だった。
あるいは、イオリーが倒れるようなことが伝えられる。
「オーキッド、落ち着いて聞いて欲しい」
先に口を開いたのはトレニア先生だった。その暗い表情と口ぶりで分かった。人払いが必要で、イオリーにとって倒れるようなつらいことが告げられるのだと。
「……先日、セラフェンの王国評議会でアルメリア公爵が、ハンプニーの村、オーキッド子爵の反体制的な振る舞いについて進言した」
「それで村の人たちは、大丈夫なの」
伝えられた内容に驚きはしたが、自分の声は酷く冷静だった。
自分の家族ではなく、真っ先に村の人たちの顔が浮かんだ。道を間違えた責任を取るのは、領主として当然で、その息子も無関係ではない。
パズルのピースが次々に頭の中で埋まって行く。
いつからオルフェは、こうなると分かっていたのだろう。
自分の首につけられたアルメリア家への服従の証。浅い息を繰り返し吐いていた。自分たちは対等な関係だ。出会った頃は、間違いなくかけがえのない友だった。
頭がおかしくなりそうだった。
それでも、確かめなければいけない。自分は、オーキッド子爵の息子だから。
「オーキッド、無理しなくていい、君の家族は」
「トレニア先生、いいから。村はどうなったの」
「……村は、アルメリア公爵の領地に」
「先生、俺、行くよ。どちらにしても、俺は学校にはいられないんでしょう」
イオリーはベッドから立ち上がり扉に向かって歩く。すれ違いざまにトレニア先生に肩を掴まれた。
「オーキッド、いま行っても村には誰もいないんだ。彼らはすでに亡命して隣国のロスーン国が彼らを受け入れている。あちらは古い魔法がまだ残っているから」
イオリーが想像した通りだった。
誰も、傷ついていない。
きっと家族は、向こうで元気に過ごしているのだろう。たとえ村を奪われたとしても命を奪われたわけじゃない。父は村の人たちを守り最善を尽くしたのだろう。自分たちの生き方は変えられない、なら、仕方ないと外へ行くのを受け入れた。
けれど、イオリーは受け入れられなかった。
貴族としてのプライドなんて、最初から持ち合わせていない。あったとしても何の役にも立たないから。そんなものより、ここで学ぶべきことがあった。
これは、イオリーの中に流れる血だと思った。
「ねぇ、どうして、俺だけ」
イオリーはオルフェが首につけた誓約の鎖に爪を立てた。この徴を付ける前に、もっと深く考えていればオルフェの思惑に気づいただろうか。
この首につけられたアルメリアへの服従の証がある限り、イオリーは、この国で誰からも罰せられることはない。
イオリー・オーキッドは、近代魔法学校に入学し、今は古代魔法を捨て近代魔法を学んでいる。もう、彼はハンプニーの村を捨てた、反体制派ではないと周りは考えている。
それは、この学校にいる間の嘘。
イオリーは、村のことが大好きで、卒業したら、故郷の村に帰って学校の先生になる。
けれど、もう村はない。
学校でイオリーはオルフェと親友だ。
この二年で、学校の誰もが分かっている。目の前で楽しそうに語り合う姿を毎日見ているから。
だから、誰も、イオリーを疑わない。イオリーは、アルメリア家には絶対に逆らわない人間だと理解している。
服従の魔法が彼らに知らしめている。
「オーキッド」
「俺、そんなつもりじゃなかった」
体の中心に重い石があるみたいだった。それを言葉に変えて吐き出した。
「俺は、いつもお気楽で。政治のことなんて興味なくて。好きな魔法の研究ができたら、それで幸せだ。けど、俺は村の人だって、同じくらい大事なんだ。花の魔法だって、ひいばあちゃんとの約束で。村の人にも見せたかったから」
何より、オルフェに見せたかった。彼の、少しはにかむような優しい笑顔が見たかった。
「ッ、自分一人だけ、平和な学校に入学して、無関係でいたかったわけじゃないよ。俺は、そんな薄情な人間じゃない!」
血が滲むような声で叫んでいた。
「大丈夫だよ、先生たちは分かってる。君は、何も心配しなくてもいい。まぁ、目下の君の問題は、来年度の学費か、そういえば教職取ってたよな? 君ほど優秀なら、うちの学校で欠員があれば……」
背中で聞こえたレイモンド先生の声は途中で止まった。トレニア先生が止めたのだろう。
トレニア先生の大きな手が頭の上に置かれると、我慢していた涙が頬を伝って溢れてしまった。イオリーは慌ててローブの袖で顔を拭った。
「オーキッド。とにかく学校は、君を異端審問官に引き渡したりしない。だから、まずは安心して欲しい」
「――それは、首に服従の魔法が、あるからでしょう」
「……そうですね。私もアルメリアがここまで考えてるとは、思いませんでしたが」
その先の言葉の続きはなかった。
オルフェ本人に聞かなければ、事実なんて分からない。けれど、この件に関してイオリーはオルフェに真実を確かめるつもりはなかった。
自分が、どれほどオルフェに大事にされていたのか、嫌というほど理解した。
けれど、オルフェの愛の形を、自分の中にあった「魔法使いの血」が受け入れられなかった。イオリーは、自分の中にこんな感情があるなんて知らなかった。
「先生。お願いがあるんだけど」
「何ですか」
「今の話、全部、俺が知らないことにして、オルフェには黙ってて」
「それは……でも、遅かれ早かれ」
「――俺、大丈夫だから。教職免許あるし、三年生にはなれないけど、ここで働きながら研究を続けるよ。だって、ここの図書館使えなくなるなんて、もったいないじゃん」
「オーキッド」
「だから、おねがい。黙ってて」
忘れられたくない、その思いで、イオリー・オーキッドは、新しい魔法を作った。
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