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枷と誘惑 *
オルフェは、いつの間に、こんなに力が強くなったのだろう。
彼はいつだって穏やかな笑みを浮かべ、静謐な空気を身に纏っていた。イオリーが知らない間に、オルフェは剣を取り王宮の騎士団に入ることが決まっていた。
友達になった日、イオリーが手を引いて、窓から連れ出したときは、自分の方が、はるかに力強かったのに。
今のオルフェは一本の剣のように見える。イオリーを決して離さないと握られた手、青い瞳には揺るぎない決意が見えた。
「いつから、こうなると」
イオリーは、何を、とは言わなかった。
イオリーが自らの手で誓約の魔法を解くこと。
ハンプニーの村がアルメリアの手に奪われること。
死霊術に手を出し、身を滅ぼそうとしたこと。
オルフェはイオリーから目を離さなかった。
「……初めから。いくつも道はあった。イオリーがハンプニーでいれば一番良かった。けれど、そうはならなかった。だから、私は出来るだけ今の世の中が続けばいいと願った。それも叶わないなら、せめて――」
少しも後ろめたさを感じていない。頭の奥でバチバチと火花が散ったような気がした。イオリーの中にあるのは明確な怒りだった。
イオリーは口から溢れた鮮血を手の甲で拭う。そしてオルフェのシャツの胸元を掴んだ。
「ッ、どこまで、俺を馬鹿にすれば気がすむんだ。そんなに俺を思い通りにしたいか、オルフェ・アルメリア!」
「そうだ、と言ったら、イオリーは私を殺してくれるの」
オルフェは恍惚とした表情を浮かべた。イオリーはそんなオルフェを見て体を硬直させる。
「殺す……って」
「私は、君が幸せになれる未来のためなら、どんな手でも使う。言っただろう。君が一番大切だ、と」
「オル……」
血液が喉に張り付いていて、イオリーの声は掠れていた。
「ねぇ、君を、思い通りにできたら、どんなに幸せだろう。私の望むまま」
イオリーはオルフェに気圧されて後退り、背後の木に背があたる。地面の小枝が折れる音が聞こえた。
絶対に逃がさない、そう目が、体が、全てを物語っている。
今のオルフェは正気じゃない、と。
「私を恨めばいい。憎ければ殺したっていいんだ」
「お前……何……言って」
「私は、イオリーに手折られるなら本望だ」
オルフェに幸せになって欲しかった。笑って欲しかった。
けれど、イオリーは、もう願えないと思った。
自分の中にある醜い気持ちと向き合えなかった。何度、彼の立場ならこれが最善だと言い聞かせても、納得できなかった。
誓約の魔法を解いてから、イオリーの中で抑えていた心が悲鳴をあげている。
イオリーとハンプニーの村を守るためと、勝手に一人で全部決めて、イオリーに何も相談してくれなかったオルフェが憎かった。許せなかった。
イオリーのことを全部、綺麗に終わらせて、結婚するオルフェが憎かった、許せなかった。
口では古代魔法使いが羨ましいと言いながら、心の底ではイオリーを見下し、己の力を誇示したオルフェが憎かった、許せなかった。
どんなに足掻いても、オルフェはイオリーの魔力の前では、無力だと自分も同じように彼を見下していたのに。
古代魔法の力をオルフェに知らしめたいなどど、黒い気持ちに囚われてしまった。
「君が、ここで私を殺さないのなら、私は君を王宮へ連れて行くよ」
オルフェはイオリーの背に腕を回し耳元で囁いた。
「っ、王宮って、なに言って」
「イオリーが死霊術に手を出した以上、こうする以外、私に選択肢は残っていない」
「禁術を使ったんだ。俺は遠からず死ぬ」
「君は、私の監視下に置く。私は君を死なせない。どんな手を使ってでも」
その瞬間、イオリーは入学した頃にトレニア先生が見せてくれた本を思い出した。
みすぼらしい布切れを身に纏った挿絵の男は、後ろで手を組み、騎士の前で膝をついている。オルフェはイオリーを罪人として拘束するのだと分かった。
「――どうすれば、君がこの世界で笑っていられるのか……それだけを、ずっと考えていた」
「……高慢、だな」
「お互い様だろう」
イオリーを幸せにしたいなんて、オルフェの中に流れる、貴族の血が許せない。
けれど、自分も同じことをした。
オルフェを幸せにしたい。魔力など、いくらでもあげるなんて、古代魔法使いの傲慢でなければ、一体なんだというのだ。
仮初の幸せに手をのばし、オルフェにキスをねだった。あの時は、純粋に彼が欲しかった。もう、その時の綺麗な気持ちは思い出せない。
「どんなに君が大切だと気持ちを伝えたところで、君の魔力の前で、私は正気ではいられない。でも記憶は残るよ」
オルフェはイオリーに向けて、ふわり、と微笑んだ。嫌な予感がした。
「イオリーどうして、首の鎖を消してしまったの?」
オルフェはイオリーの首に、そっと手を当てる。ぞくり、と背が甘く疼いた。オルフェとの首の繋がりが、身体を重ねている時、どれほど、甘美なものだったか。それを思い出した。
「夜、イオリーから部屋に来てくれて、嬉しかったのに」
「……お前、俺が……ずっと、何しているか、分かって」
どうせ覚えてないとオルフェに何度も行為をねだった。一気に顔が朱に染まる。
「忘れるわけないだろう。最初から、君との記憶は残るように、誓約の魔法をかけている。この魔法の私への服従は上書きできない」
イオリーの魔力に囚われ潤んだ青い瞳。最初の魔力酔いで体を重ねた時以外、その行為の記憶は都合よく改竄され消えているはずだった。
イオリーがその場で立ちあがろうとすると、オルフェはイオリーの肩に手を伸ばし地面に組み敷いた。イオリーはその場で暴れたが、すぐに四肢の自由を奪われてしまう。
「ッ、オルフェなんて……俺の、魔力が欲しいだけのくせに、俺は、お前の餌だ」
「言いわけはしない。好きなように罵ればいい」
「嫌い、大嫌いだ、お前なんて……」
叫びながらも胸が痛んだ。本当は、大好きだった、誰よりも愛していた、お前が欲しい。
出会った頃に戻りたい。
「覚えておいて……それでも、私は君が一番大切だ」
「嘘だ、大切なんて」
口端から血を流し続けるイオリーに、オルフェは、そっと口付ける。寂しげな細い月の下、オルフェの唇はイオリーの血液で赤く染まっていた。
「信じてくれなくていい。心から、愛している。イオリー・オーキッド」
「……オル……フェ?」
それは、ずっと聞きたかった言葉だった。愛している、ただ、その言葉だけが欲しかった。
同時に、イオリーのお前の魔力が欲しい、そんな幻聴が聞こえる。死霊の禁呪にふれたイオリーに悪霊が囁いた。
こんな愛し方、信じられるわけがない。
「イオリー」
オルフェはイオリーの名を呼び、血に濡れたイオリーの体を強く抱きしめた。
地面に広がる小枝が身体にふれて痛い。けれど、そんなことも気にならないほど、性急な求めだった。
「イオリー……愛している。誰よりも、君だけを」
堰を切ったように、オルフェの口からは何度もイオリーの欲しかった言葉が紡がれる。信じられないと首を横に振るイオリーを、オルフェはさらに拘束した。
イオリーの頭の横にオルフェのレイピアが突き刺さった。魔力のこもった剣はイオリーの身体の自由を奪う。もとより、死霊術を使った反動でイオリーは自由に動けない状態だった。
オルフェはイオリーの口から、溢れた血液を吸った。イオリーの魔力を吸えば、また正気を失うのに。オルフェの手はイオリーの苦しさを取り除くように、イオリーの身体のラインをなどった。
その優しい手つきに惑わされそうになる。
村へ行ったあとのことなんて、イオリーは何も考えていなかった。自分の行為でオルフェを傷つけた、そのあとのこと。
「もっと、深く刻もうか。徴を、首じゃ、君は解いてしまうから、もうこんな悪いことをしないように」
「ッ、お前に、できるわけ」
侮るような言葉なのにオルフェは気にもしていないようだった。弧を描く唇は悦んでいるように見える。
「できるよ。言っただろう。私は、古代魔法使いのような潤沢な魔力は持ち合わせていない。けれど、君に刻む程度の魔力はある」
オルフェはイオリーのシャツを開け、性急にイオリーのズボンと下着を取り去った。オルフェはイオリーの腹部に手を当てる。そのしなやかな指先は、イオリーの抵抗を無視して術を刻んだ。
その魔法が発動すると、身体を支配していた死霊術の痛みが、苦しみが、たちまち変容していくのを感じた。
「ッ、ぁ……これ、な……」
「イオリーお腹の奥、気持ちいい? ここ、欲しくてたまらないでしょう。今までみたいな、キスじゃ足りないよね」
ずっと、オルフェが与え続けてくれたものだから。身体は忘れていない。温かくて、優しくて、気持ちよくて。
臍の上を手のひらで軽く押し込まれる。不思議と喉が鳴った。
甘く純然な快楽だった。
「やっ、な、何、何するの、オル……オルフェ……」
「君が、知らないこと。――すぐに分かるよ」
イオリーの腹部には、薄桃色の文様が妖しげに浮かんでいる。こんな魔法をオルフェが知っているはずがない。痛みを、苦しみを、全てを快感に変える。――誘惑。
「ぁ、んんっ、オル……やっ、やら……これは、俺が……考えた」
自分の吐息が魔力混じりの、相手を誘惑するものに代わっているのが分かった。それはイオリーがオルフェにも使った魔法だ。同じ魔法が使われている。
「一年分、お返しだ、イオリー。君も、同じように気持ちよくなって」
全身が性感帯に変わっている。身を捩って素肌が衣服にふれるのも、背に地面の小石があたるのも、全部が気持ちいい。
それだけじゃなかった。オルフェが魔法の刻まれた腹部に手を当てると、その刺激が下腹へと続き、あらぬところがじわじわと潤むのを感じた。
オルフェはイオリーの後孔に指先でふれると、そこに人差し指を差し込む。
「やっ、あっ、んんんっっ!」
顎を突き出し、イオリーはその強烈な刺激に上体をのけぞらせた。
体がびくびくと痙攣して絶頂に達している。赤く腫れている竿の先からは、トロトロと白濁が溢れている。
気持ちいい、気持ちいい、それ以外なにも考えられない。もっと考えないといけないことがあるのに。
目の前のオルフェが欲しい以外のことを考えられなくなった。
「あぁ、指を入れただけでいってしまった。でもまだ、君の呪は解けていない。体が痛いでしょう。全部快楽に変えないと、終われないよ」
「ぁ、あああっ、やっ、オル、ダメだってば、んんっ」
オルフェはイオリーの孔から溢れる粘液でイオリーの後孔を入念にほぐした。そこを行為で使ったことがない。どうして今さわられているのか分からない。イオリーは女の子じゃない。好きな人と繋がる手段なんてないし、その必要もない。
だって、自分はオルフェの花嫁じゃないから。
オルフェは、イオリーじゃない誰かと。
(俺が、どうして、オルフェと)
オルフェの指がイオリーの双丘を押し開き、緩んだ窄まりにオルフェの昂りが突き立てられた。膝裏を抱えられた次の瞬間。
オルフェが内側に入ってくるのを感じ、オルフェの体の重さを感じた。二人の身体が隙間なく重なり合う。
「ぁ……」
「イオリー……イオリー」
耳元で名前を呼ばれるたび、どうして、心が満たされているのか分からない。分からないのに、ずっと自分は、これが欲しかった気がした。
そのまま、何度も、何度も、オルフェの熱杭がイオリーの奥に突き立てられる。身体を揺さぶられながら、情欲に支配された目で見つめられている間、イオリーは、オルフェから目を離せなかった。
また、仮初の関係に手を伸ばしてしまった。
悔しくてイオリーはオルフェの背に爪を立てる。
「イオリー、おいしい?」
それは、自分がオルフェに言った言葉だ。
イオリーは、オルフェの魔法に囚われていた。
これは自分が、オルフェにかけた魔法だったのに。
「イオリー、私から全て奪えばいい」
「オル、っ、こんなの、駄目だよ……駄目なんだ……俺は……もう」
「イオリー、君が堕ちても、私が必ず手をのばすから」
オルフェは頬を赤らめ、愉悦の表情を浮かべている。誰よりも大切だ、と偽りない表情で。
「ぁあああっ、ああっ」
どこまでも危ういオルフェの表情は、イオリーのせいだ。
何も信じられない。
それでも、今の彼を一人にしてはいけないと本能が訴えていた。
* * * *
夜が明けた時、イオリーは既にオルフェに抵抗する力は残っていなかった。
イオリーが古代魔法を使いハンプニーまで移動したことは、すでに評議会の人間に伝わっていた。
村の入り口で、オルフェに体を支えられているイオリーは、評議会の人間に取り囲まれた。
イオリーは、彼らによって両手に枷をかけられる。
当然だと思った。
禁術を使った。
イオリー・オーキッドは、その夜、牢獄へ送られることが決まった。
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