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入学試験の成績と稲妻
初めての授業は入学試験の答案返却から始まった。
教室で名前を呼ばれた生徒から順に、教壇のミーリア先生のところまで結果を受け取りに行く。
入学試験は記述式で、各自が出題項目について調べて学校に送付する形式だった。
魔法学基礎については、図書館などで調べれば初等部の子でも答えが分かる内容だが、魔法応用学については研究者でもなければ、知り得ないような内容だった。
イオリーは村で研究者をしていたので、多少の知見があり最終問題の論文試験では有利だったように思う。
今日まで生徒たちは合格の結果だけが知らされていて、その詳細までは把握していなかった。
教室では皆が、答案用紙と先生の講評に一喜一憂していた。
(俺、何点だったんだろう)
ミーリア先生は魔法薬学担当で、イオリーとは同じ研究分野だ。
丈の長い黒のワンピースを着ていて、グレイヘアーを頭の上で綺麗に丸くまとめている。穏やかな優しい顔つきのおばあちゃん先生だ。
結果を返すとき、一人一人に声をかけていたミーリア先生は、最後のイオリーの番になったとき突然、周囲に明かりが灯ったように目を輝かせた。
「あらあら、あなたがオーキッドね。そう、あなただったの」
歌うような、それでいて興奮気味の声だった。
「え、はい、そうです」
「そう、そうなの!」
何度も確認する意図が分からず首を横に傾げた。イオリーはミーリア先生の言葉にたじろぐ。
「最後の論文が特に素晴らしかったわ。あなたが入学試験で一番でしたよ。とても魔法薬学に関して造詣が深いのね。あなたのような生徒を持てて先生嬉しいわ」
「ありがとうございます。えっと先生、俺も嬉しいです」
そう言って試験結果の紙を受け取ったときだった。教室中にイオリーを揶揄する声が起こった。
「えー試験が一番でもさ、そいつ、ただのガリ勉じゃん」
「昨日だって、花を蘇らせたいとかさ、変なやつだし」
「そうそう、入学式にも遅刻しそうになってさ、学校の場所も分からなかったオーキッドくん。基本の探索魔法も使えないなんて、魔法使い失格じゃん」
「新入生代表だってアルメリア様だしなぁ、入学できたのが間違いだったんじゃね?」
「そうよねぇ、文武両道どちらもできてこそ本物の魔法使いよ」
生徒たちが口々にイオリーの入学試験の成績に疑義を唱えた。
イオリーは彼らの言葉を聞いても、特に腹が立ったり悲しいとは思わなかった。
(まぁ、普通はそうなるよなぁ)
近代魔法の基本が使えないのは本当だし、今セラフェンで主流となっているコードと呼ばれる便利な魔法道具についても、まだよく分かっていない。
彼らの基準でイオリーは、入学に足る人物に映らない。だから、先生から入学試験が一番だと褒められたのが気に食わないのだろう。生徒たちの批判はもっともだし納得ができる。
「みなさん! お静かに。ほら、授業を始めますよ教科書を開いてください」
生徒を諌めるミーリア先生の声が教室に響くが、まだ生徒たちの小声のお喋りは終わらなかった。
イオリーは、その場でへらりと笑って、一番後ろの自席に向かう。机と机の間の階段を歩きながらイオリーは、ちらりと横目で一番後ろの席に座っているオルフェを見た。
オルフェは己の責務として無用な争いには関わらない。そして学校で、今の危うい政治上の均衡を崩すような軽率な振る舞いはできない。
自分で決めたのなら完全にイオリーの無視を決め込めばいい。それは正しいことだ。表立ってイオリーと仲良くしないと決めたのなら、いっそのこと、自身の立場をより強固にするため、クラスメイトたちと一緒になって馬鹿にすればいいのに。オルフェはイオリーが馬鹿にされている姿を誰よりも悔しがっている。
結局のところオルフェは根っからの善人で悪い人にはなれないのだ。
イオリーにとって心底どうでも良いことで心を痛めているオルフェが、哀れだった。
誰よりも誇り高いアルメリア家のお坊ちゃん。
(これじゃ、俺がオルフェをいじめているみたいだ、まぁ、そういうこと、なのか)
堂々と一位の顔をして座っていればいいのに。オルフェは、それができない男だった。
クラスメイトが言う通りオルフェ・アルメリアが文武両道なのは事実だ。イオリーは貴族が当たり前のように習うような剣術などやったことがない。本気でやりあえば、イオリーはあっけなく地面に臥して負けてしまうだろう。
オルフェは答案用紙を見つめたまま、長いまつ毛を伏せ、苦しげな表情を浮かべていた。
通路の階段を一番上まできたときだった。不意に、後ろから魔力が動くのを感じとった。生徒の誰かが羊皮紙に書かれた魔法術式のコードを使って何かこそこそとやっている。
何をしようとしているかは、すぐに分かった。
実際は浮かれてなどいないが、良い成績で浮かれているイオリーに嫌がらせをしたいのだろう。
(なんだろう、熱源が浮かんだ。丸い、違う。次はなんだ? 炎を出すのか? 違うな、もっと鋭くて……ッ)
気づいたときには、体が先に動いていた。
側の机に足が当たりノートや教科書が床に落ちる。そんなことには構っていられなかった。
術式が間違えて書かれていたのか、買ったコードの使用法を間違えたのか、発動した雷は、術者が制御不能な状態で真っ直ぐに教室の後方に向かって進む。
――学校で古代魔法は、使わないと家族と約束した。
使えば、平穏な学校生活が送れなくなるから。
争いの元になるから。
この学校で学びたいという、己の目的が叶わなくなるから。
曽祖母が見たいと言った夜に咲く花。それを村に蘇らせられない。
それでも、大切な親友が傷つくのを黙って見ていられるわけがない。
だから、後悔はなかった。
「っ、良かった。顔に傷がつかなくて」
オルフェは目を丸くしてその場で固まっていた。けれど、すぐに正気を取り戻す。
「ッ、イオリー、なんで、イオリー、イオリー・オーキッド!」
それは雷の魔法だった。
オルフェの顔に当たる前に熱源は霧散した。けれど、近代魔法の術式の中身なんて知らないので、全てを打ち消すには至らなかった。
右手にガラスが突き刺さったような激しい痛みが走った。次第に右手の甲からは夥しい血が流れ、オルフェの座っていた机の上に流れ落ちる。
「……ねぇ、今のって、古代魔法だよね。術式がなかった」
「古代魔法って、禁止されているんじゃ」
「禁止じゃないけど、でも……今は……」
「じゃあ、イオリー・オーキッドって、もしかして例のハンプニーの」
イオリーの背後から、女生徒たちの声が聞こえた。自分が古代魔法を使う村の人間だとバレてしまった。後悔はないが、今、この場で、どうするのが最善なのかが浮かばない。
ごまかすか、それとも、事実を話すか。その自分の行動に対してのメリット・デメリット。
自分はオルフェのように、政治的な駆け引きや思考に長けていない。その上、流れる血によって思考は散漫になっていく。
(目が、霞む……)
その時だった、オルフェが勢いよく立ちあがり、イオリーの傷口をハンカチで抑えた。
清潔な布が血で赤く染まっていく。
「――ミーリア先生、私がオーキッドを医務室へ連れて行きます」
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