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月夜に咲く、白と黄 2
もしイオリーが、このまま学校を去ることになれば、次にいつオルフェと楽しく話せるかなんて分からない。いま自分たちが楽しく会話できるのは、ここが社会とは隔離された学校で、この医務室に二人以外誰もいないからだ。
(ずっと親友のままでいられたらいいのに。昔みたいに)
だが、いつまでも医務室で構ってもらうわけにはいかない。
イオリーは医務室の天井と座っているオルフェの顔を交互に見ていた。オルフェは、その青い瞳で何か難しいことでも考えているようだった。ずっと見られているのが落ち着かなくて、イオリーはオルフェのローブの袖を引っ張る。
「なぁ、オルフェ、さっきから怖い顔してどうした?」
イオリーの問いかけにオルフェは意を決したように口を開いた。
「ずっと考えていた、イオリー。君は本当に、夜に咲く花を蘇らせるためにここに来たのか?」
「え、本当だけど、親友のお前に誓って」
イオリーはベッドから起き上がりオルフェに向かい合う。
「――そうか分かった」
「なんで、俺が嘘吐いてるって思ったんだ?」
「一つは、花が見たいという理由で、リスクを冒して学校に来たと思えなかった」
「ん……うん、まぁ、それは個人の興味の違いかな」
「あと、もう一つは、君が言った夜に咲く花は絶滅していないんだ。魔法薬学に精通している君がそのことを知らないとは思えない」
イオリーは目を見開いた。
「え、オル、それ本当か!」
イオリーはベッドに両手をつき、オルフェの顔をまじまじと覗き込んだ。
「あぁ、夜に咲く花は、ここセラフェンにある。君も子供の頃に見たはずだが? 私と一緒に夜の運河に行ったときだ。特別めずらしい花ではないし、現に私の育ったオールトンでも咲いている」
「そっかオルフェ、あの夜のこと覚えているのか」
イオリーはオルフェが昔のことを覚えていたのか嬉しくて、おもわず顔を綻ばせた。
「忘れるはずがない。窓から宿を抜け出すなんて、あんなはしたないことしたのは、あの一度きりだ」
「えーでも楽しかったろ? 秘密の探検ごっこ」
「そうだな」
九歳の頃だ、一緒に花を見たなんて些細なことはとうに忘れていると思っていた。いまも同じ思い出を共有していると分かりイオリーの声は弾む。
「あの花、綺麗だったよな」
「あぁ、イオリーが教えてくれたんだ。これは夜に咲く花だと、自分で教えたのに忘れていたのか? たしか、月見草と言ったか」
王都セラフェンで魔法学会が開催されたとき、イオリーは会場で同じく学会に参加しているオルフェと知り合った。ハンプニーの村にも同じ年頃の友達はいたが、魔法に興味がある同年代の子に出会ったのは初めてだった。
その夜、両親が社交界のパーティーに参加しているとき、イオリーは一人宿を抜け出し、オルフェがいる宿の敷地に忍び込んだ。
会えるとは思っていなかったが窓から声をかけると、オルフェが出てきてくれた。――いつまでも色褪せない、子供の頃の楽しい思い出。
「花が絶滅していないと思い出せて良かったな」
「あ、いや違うんだよオルフェ。あれも確かに夜に咲く花なんだけど、黄色いから本当は待宵草って名前で」
「待宵草?」
「そう、今は黄色い花が有名で月見草って呼ばれているけど、本来は待宵草って名前なんだ」
「そうなのか、すまない。私は、あまり花に詳しくないんだ」
イオリーは首を横に振った。
「いや、オルフェは間違っていなくて、もうほとんどの人々は白い月見草を忘れているんだ」
イオリーは目を細めて、曽祖母の顔と白い月見草を思い浮かべる。自分は、まだ忘れていない。昨日のことのように夜の花畑を思い出せる。曽祖母が魔法で見せてくれた幻影を。
「俺もセラフェンで咲く黄色い花が好きだよ。月と同じ黄色で綺麗だったよなぁ。あ、また一緒に夜見に行く?」
「夜に生徒が寮を抜け出すのは、禁止。だから駄目」
流石に成長したオルフェは、もうイオリーの誘いには乗ってくれなかった。
「それは残念だ」
「イオリーは月見草を蘇らせたいのか」
「そう。昔、俺のひいばあちゃんが、寂しそうにもう一度見たいって話してて……。今は村の人も、忘れてしまったけど。なんか俺だけは忘れちゃいけない気がしたんだよ」
「イオリーは優しいんだな、お婆さまのために、花を咲かせたいなんて」
「でも、もう亡くなってるから、遺言みたいなものかな。全ての人の記憶から消えてしまえば、魔法でも蘇らないから」
イオリーは話している間、複雑な心持ちだった。記憶の花は、いつも凛と咲き誇っていたのに、今日は、どこか儚げで寂しい。
同じように、夜、誰かの心を癒す花が存在して、いまは待宵草が月見草と呼ばれている。
イオリーは、あの黄色く、可憐な花が好きだった。あの花は、オルフェとの楽しい思い出と共にあるから。
もう、白い月見草は必要ない花なのか。だから消えてしまったんじゃないか。
同じ場所に、同じ花がある。もっと、優しくて、温かな……。
「なんか、あの黄色の待宵草って、オルフェに似てる」
ぽつり、とイオリーの口からそんな言葉がこぼれた。
「なぜ、似てないよ」
オルフェは首を少し横に傾げる。
「あ、ごめん。オルフェの家の花が浜簪だから、怒った?」
「いや関係ない。自分には、美しい花などふさわしくないと言ったまでだ」
「えーそこにいるだけで、花がいらないくらいの色男が何言ってるんだよ」
そう言ったイオリーに、オルフェは、なんだか寂しそうに微笑んだ。褒められたのに少しも嬉しそうじゃない。もっと自信満々でもいいのに。
「あーでも、どうしようオルフェ。俺、まだ図書館にも行ってないんだよ」
イオリーは、その場で手を上げて伸びをする。オルフェと話している間に、血液と魔力不足が回復し、次第に思考がクリアになり始めた。
とにかく、目下の問題をなんとかしなければならない。学校にいられなくなる状況だけは避けたかった。
「せっかく近代魔法の勉強しにきたのに、一日でハンプニーに帰るのはなぁ」
「――方法がないわけじゃない」
「え、どんな! ぁ」
イオリーはオルフェのローブの胸元を掴んだが、勢い余ってバランスを崩し、オルフェの胸に抱きしめられてしまう。イオリーはオルフェに支えられて、ベッドの上に座り直した。
「危ないだろう、ベッドの上で暴れるな」
「ごめん、それより早く教えてくれ」
「いや、あるが、古代魔法を大切に思っているオーキッド子爵のお気持ちを考えると、とても」
「いい、いいよ! どんな方法でも、お願いー! 何でもするから教えてオルー」
オルフェは自ら提案したのに、気が進まないのか小さく息を吐いた。
そして何かを諦めたような顔をして、イオリーへ手を伸ばした。
「オル?」
オルフェは、その手をイオリーの首に当てた。
「君が、古代魔法を捨てたことを証明すればいい。周囲が分かる方法で」
「……分かる方法で、捨てるって」
触れられたオルフェの指の冷たさに、こくりと喉が鳴る。
「もちろん本当に捨てる必要はない。この学校にいる間だけの枷だ。君が、私に、それを誓う、決して古代魔法で誰かを傷つけたりしないと、誓約痕を首に刻む」
そう言ってオルフェはイオリーの首筋を指先でゆっくりとなどる。
「首に私がつけた痕があれば、絶対に君は私に逆らうことはできない。私がイオリーより魔力量が少なくても、誓約を刻む程度の魔力は持っているから」
オルフェの声は、わざとイオリーを怖がらせるような冷たさを持っていた。誓約の魔法は、かけた人間にしか解除できない。
相手への絶対服従の魔法でもあった。
元々は罪を犯した国賊に対して使うような魔法で、遊びで使うようなものではない。王家に仕える魔法騎士が閉鎖的な場、特に監獄などで有事に使う。
オルフェが、そんな怖い魔法を知っていたのが意外だった。どうして、誓約の魔法を学んだのか。イオリーの知っているオルフェという人間から、その魔法は遠く結びつかなかった。
ただ、オルフェの言う通り、上位魔法貴族で、対立関係にあるアルメリア家に服従する証があれば、周囲を説得できるだろう。
イオリー・オーキッドは、この学校で誰も傷つけないと。
「誓約の鎖は、君の家を侮辱する行為だ。決して君のご両親もハンプニーの村の人々も私を許さない」
オルフェが、あまりにも辛そうに言うので、イオリーは慌てた。
学校で学びたいと望んでいるイオリーを助けようとしてくれているのに、オルフェが詫びる必要なんてどこにもない。むしろ感謝すべき状況だ。
「えーいいよ、そんなの! 黙ってればバレないって。大丈夫だ。その方法でいこう。俺は今日から古代魔法を捨ててオルフェの命令には絶対に従う。別にかまわない、そもそも学校には近代魔法を学びに来たんだ」
「イオリー、もっとしっかりと考えてから」
「なんで? いいよ。そんなやり方があるなら、もっと早く教えてくれればいいのに、そうすれば、最初から身分を偽る必要もなかった」
「君は、家の格を尊重したいとか、自分の魔法使いとしての血が大事だと思ったことがないのか」
オルフェは呆れた声で頭を抱える。それに対してイオリーは明るく笑い飛ばした。
「もちろん家族は大事だよ。けど魔法使いの血や格なんて、俺も村の人間も大事だとは思っていない。俺は強欲なんだ。知識に対しても、魔法に対しても、ね。それに、周りにバレてしまった以上、学校にいるには、それしか方法がないんだし」
「じゃあ、いいんだな。お前の首に、刻んでも。――君が私のものだと」
「あぁ、もちろんだ、やってくれ」
オルフェは魔法の杖をローブから取り出すとイオリーの喉に当てた。 イオリーはベッドの上で膝立ちになり、手を後ろで組む。そもそも魔法を人間の体に直接刻むなんて、よっぽどの有事でなければしない魔法儀式だ。
それは捕まった罪人のような姿で屈辱を与える構図だった。絶対に逆らわないと首元を無防備に晒している。
けれど、相手がオルフェなら構わないと思った。それでも誓約の魔法をかけられたあと、自分の体がどうなるのか分からないので緊張はしていた。
オルフェは家の名を口にすると魔力を鎖の形にした。水色の光は輪になり、イオリーの首の周りで止まる。
「イオリー、誓約を」
イオリーは静かに息を吸ってから、言葉を続けた。
『――イオリー・オーキッドは、在学中、オルフェ・アルメリアに、その身を捧げ、服従し、古代魔法での他害行為を行わないと誓う』
イオリーの誓いの言葉が終わった後だった。突然首の鎖が締まった。イオリーは息ができなくなり体を硬直させた。体が凍ったような感覚に陥り自分の思い通りに動かせない。
けれど、それは一瞬の出来事だった。
拘束が解けたイオリーは体を弛緩させた。その場で顔を上げると、医務室の鏡に自身の姿が映っていた。
首元には、赤紫色の細かな魔法文字がぐるりと一周刻まれていた。確かに、これは生徒に対してインパクトを与えるし説得力がある。
イオリーは体が落ち着かなくて、首の辺りを何度も両手でさする。
なんだかオルフェに、ずっと触れられている感覚があった。そのうち慣れるのだろうか。
「なんか、オルフェの魔力が体の中に入ってる? 体の表面で混じってるみたい。これずっと?」
「私が監視している間は、ずっと。何か悪いことでもする気なのか。隠しても、その状態なら私は君のことが全て分かる」
「しないしない! 俺が頼んだんだし、ありがとう。あ、けど」
「けど、なんだ」
「いやぁ、よく考えてみれば、その、俺も、まーお年頃だしさ」
「あぁ、そうだな」
オルフェは何でもないことのように、イオリーの顔を真っ直ぐに見ている。イオリーの伝えたいことが分かっていないのだろうか。どう伝えるべきかと目を泳がせた。自分にもそれなりに羞恥心がある。いくら気心の知れた相手でも四六時中監視状態では、日常生活に差し障る。
「……これ、魔力でオルフェと繋がっているんだろ。じゃあ分かるよな、俺の体のことって」
「あぁ、分かる」
「それは……どの……程度?」
「どの程度? そうだなイオリーの体で魔力の変動があれば分かる。どうしても古代魔法が使いたい状況なら、私の監視下であれば誓約を破ったことにはならないが」
「いや、そうじゃなくて……生理現象というか」
「だから、なんだ。はっきり言えばいい」
「夜だけ、この回路外せない?」
「夜?」
誓約の魔法がかかっているからと言って、イオリーの内側から魔力が消えた訳じゃない。自身の血や生命力は魔力と直結している。
生理現象で魔力は勝手に動いてしまうし、それは自分ではどうにもできない。
「……あー、その、シ、たく、なったらどうすればいいですか」
目を逸らしながら早口で言い放った。すると、オルフェは目を丸くしたあとパチパチと瞬かせる。
「イオリーの宗教は知らないが、自慰くらい自由にすればいい。私は気にしない」
「いや、俺が! 気になるの。分かっちゃうだろ! これ、魔力変動がお前に通知されるってことだから」
「私との誓約を破ることを気にしているのなら、部屋に呼べばいい。終わるまで見ていよう」
「絶対、嫌だよ!」
「そう、別にかまわないのに。君が言う通り生理現象だろう?」
「俺が構うの! 恥ずかしいだろう!」
息が切れた。ただでさえ、ひどい怪我をして魔力と血が足りていない。イオリーは再びベッドに横になった。すると、オルフェはイオリーの額の上に手を置く。
「大丈夫か? 首、痛かったか? 優しくしたかったんだが」
「いや、それは大丈夫。叫んで疲れただけだから」
「――それより、イオリー、本当に、こんなに適当に決めて良かったのか。服従の魔法なんて……」
「全然、適当じゃないよ、オルフェだからだ。お前以外に、こんなこと許したりしない」
「私だけ、か」
喜んでいるのか悲しんでいるのか、オルフェのその表情だけでは伺えない。
その青い瞳は医務室の窓から外のグラウンドを見つめていた。
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