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奈津はその外見のせいで昔から苦労してきた。不埒な輩のせいで涙を流し「怖い」と震える身体を抱きしめたのは1回や2回じゃない。俺にとって奈津に近付く奴は老若男女問わず全員敵だ。敵をブチのめすために腕っぷしを鍛え続け、今じゃそこらの奴には負けない力を身につけた。
しかしそんな俺でも、厄介な敵というのは居る。
「ごめんね、急いで着替えてくるから」
そう告げて奈津が入っていったのは男子更衣室。俺は奈津を見送ると、くるりと扉に背を向けてその場に仁王立ちした。視界に入るのは俺を囲うように扇状に展開する複数の生徒。学年もバラバラな奴らは揃ってこちらを睨み付ける。
ただでさえ可愛い奈津の着替えなんて見せたら大変なことになる。だから俺は体育があると先に奈津に更衣室を使わせ、誰も入れないように扉の前に陣取るようにしている。文句がある奴は拳で黙らせた。
それでもまだ、奈津の着替えを覗こうとする変態はいるのだ。
「内藤! 今日こそそこを退いて貰うぞ!」
「そして俺たちはヒメの着替えを見る!」
絶対覗くだけじゃ済まないだろうが。こんな己の欲望に忠実なクソ野郎共に、負けるわけにはいかない。
俺は周囲に視線を走らせた。1、2、3……6人か。一人で相手するのはちょっと厳しいが、出来なくはない。少し腰を落として、どこから掛かられても対処出来るよう構えた。
その時
「内藤ォォォォォォォオ!!!」
人の名前を叫びながら、廊下の向こうから猛然と誰かが駆けてくる。声を聞いただけでその人物が誰かわかってしまい、どっと疲れに襲われた。最悪だ、目の前の変態共よりよっぽど厄介な奴が来た。軽くあしらえるような有象無象でもないため、仕方なくそちらへ身体を向ける。
スピードを緩めることなく走り込んできたのは、金色の髪をオールバックにした男。学ランのボタンは全て開け放たれ、中のシャツも半分以上留められていない。指にはゴツゴツとしたシルバーリング。いかにも不良という格好だが、よく見ると顔はモデルばりに整っている。きちんとした身なりをすればさぞモテただろう。
「見つけたぞ内藤ォ! 今日こそ決着を……」
俺はその整った顔面へ容赦なく拳を叩き込む。相手が「ぶぺッ」と変な声をあげて後ろに倒れる所へすかさず追撃を入れようとしたが、ギリギリでかわされた。男がポタポタと鼻血を流しながら怒鳴る。
「テメェ! いきなり殴るなんて卑怯だぞ!」
「は? 卑怯じゃねぇよ。俺らはお互いを認識してただろ」
「……ニンシキ?」
「あー、見えてただろ?」
「おう!」
「俺はお前を見れば殴るだろ?」
「おう!」
「なら、いきなりじゃねぇよ。お前は俺が殴ることを予測出来たはずだ」
そう言うとそいつは暫く考え込み、やがて難問が解けた小学生のようにパアッと顔を輝かせた。
「なるほど!! やっぱり内藤は天才だな!」
「……あぁ。だから俺は卑怯じゃないな?」
「おう! 卑怯じゃない! さすがだ内藤! この俺様が見込んだ男なだけあるな!」
満足そうに笑う男にこめかみが痛む。馬鹿過ぎてこっちの頭がおかしくなりそうだ。この学園には確かに馬鹿が多いが、こいつを上回るのはそう居ない。
名は柴崎。簡単に騙されるし、勉強面においては九九すらまともに言えない。しかし俺が来るまでこの学園のトップを張っていた男である。
力を持った馬鹿が一番厄介だと思う。俺も柴崎には苦労させられた。騙し討ちのような真似をしてようやく勝てたのに、再戦なんて絶対に御免だ。奈津を守るにあたりトップという肩書きは非常に有効、それを失うわけにはいかない。
だからなんとか丸め込んで勝負を拒んでいるのだが、柴崎は馬鹿の1つ覚えみたいに毎日「内藤ォ!」と突っ掛かってくる。まぁ実際馬鹿だからな。
「じゃあ内藤! 俺と正々堂々勝負しろ!」
「いや、さっき顔面に一発入れたんだから俺の勝ちだ」
「何でだよ! 俺はこのくらいじゃ死なない! だからまだ負けじゃない!」
死ぬまで戦うつもりなのかコイツは、バトル漫画の住人かよ。しかし面倒なことになった。雑魚を数人相手にするのは問題ないが、柴崎が加わるならそうもいかない。
どうするべきか悩んでいるうちに痺れを切らした柴崎が殴り掛かってきた。咄嗟に顔を傾け避けると、耳元でゴオッと重い風切り音がする。続けざまに飛んできた蹴りを両腕で受け止めれば骨が軋んだ。歯を食い縛って衝撃を堪えるが、蹴りが当たった箇所が痛みを訴える。
一つ一つの攻撃が鋭く、そして重い。頭のよろしくない柴崎がトップに立てていたのはそれだけ強いからだ。頭なんて使わなくても勝てるくらいに、圧倒的だからだ。
「まだまだァァァア! 行くぞ内藤ォ!」
一撃でも当たるとキツい攻撃が次から次へと飛んでくる。しかも、柴崎は笑っているのだ。まるで犬が飼い主にじゃれつくかのように無邪気な笑みで強烈な拳や蹴りを繰り出してくる。
それを何とか必死でかわしていた俺の視界に、こっそり更衣室に近付く生徒の姿が入った。マズい! 柴崎の相手に夢中でつい変態共を野放しにしてしまった。
「待っ……」
ゴッ
鈍い音がした。少し間があいて頬がカッと熱を持つ。激痛が走り、血の味が口内に広がった。注意が逸れた一瞬の隙に柴崎の拳が直撃したのだ。ぐらぐらと視界が揺れて立っていられない。倒れる……!
冷たい色をした床が近付いて、とりあえず頭を守らねばとぼんやりしながら受身を取ろうとする。しかし、予期した衝撃はいつまでもやって来ない。代わりにポスっと柔らかな何かに包まれた。
背中に回された腕は逞しく、俺の体重を軽々と片手で支えている。ぐいっと引き寄せられ学ランの生地が頬に触れた。柴崎に抱き締められているとわかったのは、すぐ側から奴の声がしたからだ。
「ぁあ? なんだテメェら、今気付いたわ」
周囲に向けられた声に込められていたのは、怒り。
「どうりで内藤がいつもと違うと思った。テメェらが居たから本気出せなかったんだな。俺と内藤の真剣勝負を邪魔するなんて…………」
地を這うような低音にピリピリと肌が粟立つ。無意識に撒き散らされるのは紛れもない強者の威圧。
「死にてぇのか?」
割り込んで来たのはお前だろ、なんてつっこめる者は一人もいなかった。
変態共が柴崎に恐れをなして一斉に逃げていく。思わぬ形で助けられつい舌打ちが漏れた。悔しいが、柴崎のおかげで奈津を守ることが出来た。まぁ、元はといえばコイツのせいでピンチに陥ったのだけれども。
とりあえず柴崎に抱き締められているなんて気持ち悪いので抜け出そうともがくと、何故かより強く締め付けられた。
「おい、放せ……」
「ごめんな内藤ォォォオ! 本調子じゃないのにぶん殴っちまった!」
「いいから放せ」
「血も出てる!」
「大丈夫だから放せ」
「俺、内藤とはお互いに絶好調の時に戦うって決めてるんだ! 全力の内藤に勝たなきゃ意味無いからな!」
「わかったから放してくれ」
「それなのに、俺は……俺は……うわぁぁあ! 内藤ォォォオォォォオ! 死ぬなぁぁぁぁぁあ!!」
馬鹿は話を聞かないから嫌いだ。わざとらしくため息を吐いて目線を逸らす。
すると、生暖かい何かが唇の端に触れた。切れていたのかチリッとした痛みが走るが、そんなのお構いなしに生暖かい何かは傷口を何度か往復してゆっくり離れていく。つうッと銀色の糸で繋がれた先、柴崎の舌が紅に染まっていた。
………………は?
「痛いよな、でも安心しろ。今すぐ俺が消毒してやる!」
「は?」
善意100%みたいな晴れやかな笑顔の柴崎にこちらの表情がひきつる。待て、お前は馬鹿だがさすがにそこまで馬鹿じゃないよな?
「い、いらな……んんぅっ」
馬鹿だった。しかも舌まで入れてきやがる大馬鹿者だ。
歯列をなぞり、上顎を撫で、舌同士が絡み合う。我が物顔で暴れ回る舌は横暴で、抗議の声は呼吸ごと飲み込まれた。
絶対消毒になってないだろ! しかも何で柴崎のくせに巧いんだよ! あぁくそっ、今すぐ突き飛ばしたいのに頭が痺れて力が入らない。これはさっき殴られたからに違いない、あんな馬鹿力モロに食らったら誰だって朦朧とする。
「ふ、……ぅん」
だから、ちょっと気持ちいいだなんて断固思ってない。逃げられないのは後頭部をガッチリ押さえつけられてるからで、もう少しこのままがいいなんで絶対絶対思ってない。
ちゅっと艶めかしい音をたてて唇が離れる。けれど柴崎の整った顔は依然近くにあって、よろしくない色を宿した瞳と目があった。
「……内藤」
これまで聞いたことがないような、低くて甘い掠れ声。また距離が近付く気配に思わず目をつむると、再び柔らかく唇が重なった。トクトクと細かく脈打つ心音が心地よく、身体から力が抜けていく。
グリッ
………………えっ
太ももに押し付けられる熱く硬い感触に一気に現実に引き戻された。なんだ、コレ。ま、まさか……。慌てて突き飛ばすと、柴崎はあからさまに不満そうにする。
「……何」
「いや、何じゃねぇから。つか、お前」
恐る恐る目線を下げると、案の定柴崎の下半身はテントを張っていてサァーっと血の気が引いた。
「内藤、チンコいてぇ」
「〜〜っ! 馬っ鹿オブラートって言葉知らねぇのか!」
「知らねぇ。なぁ、何で俺勃ってんのかな」
「……はぁ!?」
「AVもエロ本も見てねぇのになんでだ?」と首を捻る柴崎。コイツが馬鹿で本当に良かった。
「いいからさっさと便所で抜いて来い!」
「そうするわ」
立ち上がった柴崎から目を背向けて大きく息を吸う。これは消毒、そう消毒だ。柴崎もそう言ってた。断じてキスなんかじゃない。でないと、俺があまりに可哀想すぎる。あんなのがファーストキスだなんて。あんな、のが……。
「内藤」
「あ゙あ゙?」
思いっきりドスを効かせて振り返ると、ぬるっと熱い舌が顎を舐め、最後に口の端にちうっと吸い付いた。
「よだれ垂れてんぞ」
自分が何したか全然わかってない晴れやかな顔でそう言った柴崎は、「じゃあな、明日の決闘遅れんなよ!」とした覚えもない約束を叫んで駆けていった。
アイツっっ!! コロスっ!!
カァッと茹だった頭で衝動的に追いかけようとした。
「彰介くん?」
その声が聞こえた瞬間、上から冷水を浴びせかけられたように熱が引いていく。ハッと振り返れば、体操服に着替えた奈津がパチパチと瞬きをしていた。しかし俺を見た瞬間、ただでさえ大きい目が更に見開かれる。
「どうしたのそれ!」
血相を変えた奈津に肩を揺さぶられ、慌てて口元を拭う。
「なんでもねぇよ」
いらないことを言って心配かけさせる訳にはいかないと思った。優しい奈津なら、経緯を聞けば「僕のせいだね」と自身を責めかねない。悪いのは着替えを覗こうとする変態と馬鹿な柴崎で、俺は自分の意思で奈津を守ろうとしてるだけなんだから。
「……彰介くん」
しゅんとする奈津の頭をぐしゃぐしゃとかき混ぜる。「俺のことはいいから、もっと自分の心配しろよ」と言うと、奈津は体操服の裾をぎゅっと握り締めた。
奈津と俺の家は隣同士だから、朝は一緒に登校するし勿論帰りも一緒。小学生の頃、下校中に前を歩いていた奈津が、見知らぬおっさんに突然茂みに引きずり込まれた光景は今でもトラウマだ。
おまけに奈津の両親は海外で仕事をしておりほとんど家を空けているので、俺の心配は尽きない。
「ちゃんと鍵閉めろよ」
「うん」
「誰か訪ねてきても絶対開けるな」
「うん」
「何かあったらすぐに呼べ」
「わかってるってば」
なら良し。ぽんぽんと頭を撫で「また明日な」と踵を返そうとすると、控えめに袖が引かれた。
「彰介くん」
「ん?」
奈津はうつむいたまま、まるで何かに怯えるよう躊躇いがちに口を開いた。
「……彰介くんは、ずっと僕の側に居てくれるよね?」
何を言うのかと思ったら。
「当たり前だろ」
パッと顔を上げた奈津の瞳がキラキラ輝いて、つい笑いが漏れた。昔は素っ気なかったのに、随分懐かれたな。一人で抱え込んでいた奈津が、誰かに頼れるようになったならそれは喜ばしいことで、それが俺ならとても光栄だ。やっぱりあの時、手を差し伸べて正解だった。
「約束だよ」
「あぁ」
「ふふっ」
嬉しそうに笑う奈津は、長年その顔を見慣れている俺でも可愛いと思う。これだけ可愛ければ邪な思いを抱くのも無理はないが、それ以上にこの笑顔を曇らせるなんて許せない。
「奈津は俺が守るよ」
「……っ。うん! お願いね、僕のナイトくん!」
「ははっ、何だよそれ」
「知らないの? 彰介くん陰で皆からそう呼ばれてるよ」
「マジ?」
あ、でも。奈津にパートナーが出来たら、俺の役目はその人のものになるんだろうな。まぁ、そんな当たり前な事、今は言わなくてもいいか。
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