9人が本棚に入れています
本棚に追加
「ひ、姫川! ちょっといいか?」
「なに?」
名前を呼ばれた彼はきょとんとしながら、教室の入り口付近でもじもじしている男子生徒へ近付いていった。
白く陶器のようになめらかな肌、すっと通った鼻梁に桃色のぷっくりした唇。髪は柔らかく、歩くたびにふわふわと揺れた。同年代の者たちに比べると身長は小さめで自然と上目遣いになっている。大きな瞳はキラキラと輝き、それを縁取るまつげはつけまつげでもしているかのように長い。
可愛い、あまりにも可愛いすぎる。そんな天使が着用しているのは黒の地味な学ラン。ここが男子校という時点でお察し。そう、こんなに可愛いのに彼の性別は男なのだ。
だが、それがどうした。性別はれっきとした男だが、その可愛さは性別を超越している。彼の前ではどんな美少女も裸足で逃げ出すだろう。
姫川 奈津。名前まで可愛い彼は、この男子校というむさ苦しい空間においてまさしくお姫様だった。
そんな姫川に邪な感情を抱く輩は少なくない。姫川を呼び出した男は、彼の可愛さにデレデレしながらも、しきりに周囲を気にしていた。そうして "アイツ" の姿が見えないことを確認すると力強く姫川の肩を掴んだ。
「姫川っ! ず、ずっと前からすげー可愛いと思ってた!」
「え!?」
「良かったら俺と付き合わないか!」
「いや……僕、男だよ?」
「姫川なら全然イケる!」
男の勢いと鼻息の荒らさに姫川の顔がひきつる。それに気付かない男はなおも続けた。
「頼む! 付き合ってくれ!」
「い、嫌だ……」
「絶対幸せにするから!」
「離して……」
「OKしてくれたら離すから!」
話もろくに聞かず言い募る男が怖いのか、姫川の目にうっすらと涙が浮かぶ。美少年が男に迫られ涙目になっている図に、周囲も「助けた方が良いんじゃないか?」「でもあいつ、西中で番張ってた奴だろ。俺らじゃ返り討ちだ」とざわめき出した。
その騒ぎを聞き付けて、また新たな男が現れる。
「おい、奈津様から手を離せ」
「ああ? 誰だテメェ」
「俺は奈津様親衛隊の隊長だ。わかったらその汚ねぇ手を離せ、奈津様が穢れる」
ちなみにこの親衛隊は非公式であり、勝手に彼らが名乗っているだけである。
「はぁ? ブチ殺されてぇのか?」
「やれるモンならやってみろ」
お互いにヒートアップし、睨み合う二人。今はどちらも姫川に心奪われた哀れな男でしかないが、中学生時代はどちらも名の通った不良だった。そんな奴らの一触即発の空気に割り込んでいける者などそう居ない。そもそも、この学校には荒事が大好きな血の気の多い連中が集まっているのだ。
「盛り上がって参りましたっ!!」
「いけ! ぶん殴れ!」
「やっちまえぇぇぇえ!」
喧嘩の気配を感じて集まる野次馬たちは当事者らを取り囲んで囃し始めた。授業のためにやってきた教師はその騒ぎを見て見ぬフリをして避けていく。
誰も助けてくれない異様な空間の中で、青い顔をした姫川はただ震えることしか出来ない。ぎゅっと手を握りしめ、誰かを探すかのように視線をさ迷わせる。姫川の口から小さく「早く来て……」と弱々しい呟きがこぼれた。
その直後、あれほど盛り上がっていた周囲が突如不自然な静寂に包まれる。
不思議に思った当事者二人が相手から注意を逸らすとほぼ同時、両者の肩に何者かの手が置かれた。姫川に懸想し、姫川をずっとみつめてきた彼らはこの手の持ち主が見ずともわかる。ギリギリと肩を締め付けてくる手から、その人の怒りが伝わってきた。
「何してんだ……テメェら」
「ひっ……な、内藤!」
「……っ!」
低く唸るような声に、一人は情けない声をあげ、もう一人は息を飲む。野次馬たちもピリピリとした空気に気圧されて、茶化すこともその場から逃げることも出来ない。
殺伐とした空間を作り上げた内藤という生徒は、一見すると普通の男だった。短く整えられた黒色の髪、一番上までとめられた学ランのボタン。見た数分後には忘れてしまいそうな地味な顔。
この学園はいわゆる不良校というやつで、様々な理由で持て余された問題児ばかりが通っており、染髪、ピアス、刺青、傷痕etc. 外見だけでヤバいと判断出来る奴も多い。制服なんてまともに来てる生徒はほとんどいない。
しかし、いかにも不良という見た目をした彼らは、地味な外見の内藤に怯えていた。
怒りのためか内藤の眉間には皺が寄り、目はつり上がって鋭い光を宿している。それに射竦められ二人は震え上がった。
「人の幼なじみに絡んでんじゃねぇぞ、猿共。おちおちトイレにも行けやしねぇ。次、奈津に迷惑かけたら……わかってるよな?」
ナイフのように鋭利な殺気を突き付けられながら 耳元で釘を刺された二人は、こくこくと頷く以外にない。それを確認した内藤は彼らを突き飛ばし、成り行きを見守っていた姫川に近付く。
「大丈夫だったか、奈津?」
「うん! ありがとう彰介くん!」
掛けられた内藤の声は優しく、また内藤に抱き付いた姫川は輝かんばかりの笑みを浮かべる。その光景はまるで、拐われた姫を救いに来た騎士のよう。
腕を絡める姫川に困ったような笑顔を見せながらも、内藤はそれを振り払わずに仲睦まじく教室へ入っていった。
取り残された生徒たちは暫く呆然としていたが、その内の一人が不意に乾いた笑いを漏らす。
「ハハッ、…………さすが騎士くん」
内藤 彰介。
姫川 奈津の幼なじみであり、腕っぷし一つで県内外から札付きのワルが集まるこの学園のトップに登りつめた男。
姫川に近付く不届き者を許さない彼は、名字をもじって密かにナイトくんと呼ばれていた。
最初のコメントを投稿しよう!