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1.
不思議な本を買った。
ちょうど文庫本くらいの大きさで、その割にはしっかりしたハードカバーでできている。深みのあるピンク色の表紙には、なにも作品名が書かれていなかった。
それに、もっと驚くのは作品の中身。いくらページをめくっても、どんなストーリーも自分の瞳に飛び込んでこなかった。
なんとその本は、表紙も本文にもひとつとして文字がひとつも書かれていなかった。
首をかしげながらレジを訪ねてみた。
眼鏡にエプロンをつけた女性の店主がカウンター席の向こうに座っている。彼女は自分の声に気づくと顔を上げて反応してくれた。
「あ、今日も来てたんだね」
こんにちはと挨拶しながら手に取った本を差し出す。すると、店主はくすりと笑いながら答えてくれた。
「そういえば、そんな本もあったねえ」
まるで、今思い出したような言い方だった。それでも、特に不思議ではなかった。
ここは店主が個人で営んでいる本屋だ。本棚に並んでいるのは、買取した本もあるけれど、店主が集めてきた本もあるという。
大きな書店では感じられない、このこじんまりとした雰囲気が好きなんだ。ラジオが流れるだけの空間は隠れ家のようで、あまり顔が変わらない本棚からはどんな本を見つけられるだろうかって。
僕はお小遣いをもらうたびに良く来るようになった。
「それで、この本なんですけど......」
「うんうん。この本買うの?」
言われて気づいた。レジに持っていくということはそういう展開になってしまう。流れを遮って、尋ねてみた。
「いえいえ、買うわけじゃないんですけど。この本がなんだか気になって......。
ちゃんとした売り物、でいいんですかね?」
そうだよ、って店主の笑みが返ってくる。
「数年前だったよ、君と同じかもう少し年上の女性が売りに来たんだ。コレクションのような感じがしたから買うのをためらったけど、"売り値はいくらでもいいんです"って言ってたっけ」
「そうなんですね」
けっきょく店主は買い取りしたのだという。ないがしろにするのも悪いからって説明してくれた。
手にした本に目を落とした。
ふいに心が震えた。売りに来た人はただ事情があったのだろう。きっと何年にもつながるストーリーがあるのかもしれない、僕が手に取るまでの間に。
「あの、この本買わせてください」
気が付いたら自然と言葉が出ていた。
・・・
本屋を後にして、あらためて本を眺めてみた。
やっぱり何も書かれていない。すると、今まで感じていた情熱が冷めてしまいそうだった。なんで買ってしまったんだろう。
何気なくひっくり返してみると、裏表紙に言葉が書かれているのに気づいた。
こい。
たったこれだけ。細く少し丸みを帯びた文字は明らかに手書きだ。それでいて、なんだか力がこもっていないような雰囲気を感じる。
......なんだろう。
つい独り言をこぼしそうになった。
再び興味が湧いてくるのを感じる。この本にはきっと何かがあるんだ。
自転車を漕ぎだして、家に帰っていく。
僕がこれから歩んでいくのは、こいのものがたり。
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