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小鷹はぐれは変人である。
放課後、落ち着いた空気が流れる図書室で二人はテスト勉強をしていた。赤点取ったら補習という担任の言葉に、表情は変えず血相だけ変えたはぐれが泣きついてきたからだ。
こう見えて葛城は成績が良い、テストでは常に20位以内をキープしている。一方のはぐれは得意不得意の差が凄かった。生物なんかは教科書に載ってない事までペラペラ喋るくせに、数学や英語になると思考が止まる。島ではあまり触れてこなかったジャンルなので。元の学校は「机で学ぶより自然で学べ!」という方針だったから、xyより近所の釣りスポットの方がよほど馴染み深かった。
「あれ? また行き止まり……」
「おい、何遊んでんだ」
本日地雷系コーデでまとめた葛城は、黒髪のハーフツインをくるくる指に巻き付ける。鋭く睨みつけるはぐれの手元では大作迷路が完成していた。数学の問題集を解くよう言ったはずなのに、何故。あと何でお前が「え!?」みたいな顔してんだ。
「ど、どうして迷路が?」
「それコッチの台詞だよな」
「タイトル『俺の頭の中』」
「やかましいわ」
ハァと吐き出されたため息にはぐれの肩がビクッと跳ねる。葛城の時間を奪ってるのに、迷路はさすがに失礼だったか。「ごめん」と謝れば、葛城は「あ?」と片眉をつり上げた。地雷系だろうとガラの悪さは変わらない。
「ふざけてごめん」
「は? 別に怒ってねぇけど。つか、いつもはもっとやらかしても謝んねぇじゃん」
「でも、今はわざわざ時間を割いて貰ってるから」
「あー……」
キョロキョロとアイシャドウで彩られた目が泳ぐ。ぶっちゃけると、葛城はこの時間が全く苦ではなかった。さっきのだってため息じゃなくあくびを噛み殺しただけだし。
風紀委員に捕まった際は過ぎゆく時が無駄で仕方なかったけれど、今はそう感じない。むしろ、他愛無く刻まれる穏やかなひとときが、一秒でも長くあれと思うくらい。
ただそれを正直に伝えるのは恥ずかしいので、葛城は「いいんだよ、ダチなんだから」と無愛想に呟いた。
「ダチ……!」
嬉しそうに繰り返される単語、死に気味の瞳へわずかに光が差した気がした。喜んでやがる、そう認識するなり心臓がトクンと脈を乱す。最近はいつもこうだ、調子が狂う。でもそれがまた全然嫌ではなくて……あーークソ、何なんだよマジで。熱い頬を隠すよう頬杖をついて
「ふふふ、キタちゃん以外にお友達出来るの初めてだなぁ」
その名を聞いた途端、先程まで感じていた心地よい熱がザアッと引いていった。知らず知らず頬杖の内側で奥歯を噛みしめる。
葛城はキタちゃんを知らない。けれど、はぐれにとって大事な人なのは嫌というほど思い知らされている。一緒にいるのは自分なのに、一瞬でコイツの意識を攫っていってしまうのだ。どんな話題にも登場し楽しそうに語られる存在が、邪魔でしょうがなかった。
「またキタちゃんか」
吐き出した声には棘が混じる。ガンッと蹴り上げた机は八つ当たり以外の何ものでもない。もう観念しよう、俺はキタちゃんに嫉妬している。
「本当にソイツの事好きだな」
「うん、大好き」
チッ、ノータイムかよ。葛城のあからさまな態度を意にも介さず、はぐれは数学の問題集を解き始めた。いや、良いことなんだけど。…………今だけはちょっと、コッチを見て欲しい。
否定して欲しくて、もし真実なら傷付いて欲しくて。ハッと鼻を鳴らしながら小馬鹿にするよう言った。
「もしかして、付き合ってんの?」
うつ向いていたつむじがスッと持ち上がる。目は合わせられない、まだ自分でも整理出来てない想いまで見透かされそうだから。
はぐれが口を開くまでおそらく時間にすれば数秒だったが、葛城にはやけに長く感じられた。心臓の音、時計の秒針、ささやかな喧騒。普段気にもしない音を拾いまくる耳に、最近聞き馴染みのある声が吹き込んでくる。
「え? 違うけど」
あまりに素っ頓狂な声色に、思わず手のひらから顎が落ちた。
「あ、そ、そうなんだ」
「うん。だってキタちゃんは友達だもん」
「へぇ」
喜ぶな馬鹿。ここで喜んだら、自分がコイツとどうなりたいのか、いよいよ答えを出さなきゃいけなくなる。緩みそうになっている頬をぎゅっとつねれば、はぐれが不思議そうに首を傾げた。
「葛城くん、今日は何か変じゃない?」
「別に……」
ズドォン!!
突如、放課後の穏やかな時間を引き裂く轟音が外から飛び込んで来た。普段静かに読書や勉強に勤しむ学生達も、ざわめきながら窓際へ寄っていく。「爆発!?」「いや、バイクが校門に突っ込んだらしい」周りにつられるようトトッと駆け寄ったはぐれに続くと、校門付近からは黒い煙が上がり、教師に囲まれた見慣れぬ男が肩を落としながら校舎へ連行されていた。
色付きサングラスにど派手なアロハシャツの男は「ほんとスンマセン。や、あの、怪しいモンでは……。俺はただ親友に会いに……え!? ヤクザじゃないです!」としどろもどろに弁明する。バイクがあれだけ大破しているのに、本人には傷一つ無さそうだ。
また変な奴が……と頭を抱えた葛城の横で、半月状の目を見開いたはぐれが窓の桟を鷲掴み叫んだ。
「キタちゃん!?」
えっ。
バッと顔を上げた男は視線を彷徨わせ、はぐれをみつけるとサングラスを取った。存外整っている容姿が露わになり、野次馬の女子生徒から歓声が漏れる中、その顔面は喜色に彩られた。アーモンド型の瞳は真っ直ぐ一人だけを映している。
「はぐれ!」
変人の行動は予測不可能。窓枠に足を掛けたはぐれは、一切の躊躇なく身体を外へ踊らせた。葛城が咄嗟に伸ばした指は虚しく服を掠めるだけ。
慌てて下を覗き込むと、スライディング体勢のキタちゃんが先まで隣にいた後ろ姿を抱きとめていた。
「あっっっぶねぇなオイ!!」
「キタちゃんだ!」
「あと0.1秒遅かったらお前死んでんぞ!」
「キタちゃん!キタちゃん!キタちゃん!」
「聞いちゃいねー。……あ〜もう、キタちゃんですよ〜」
数多の視線を気にもせず抱き合う二人。アロハの不審者は何だかんだ言ってデレデレだし、後頭部しか見えない友人は高いテンションを隠しもせずぎゅうぎゅう抱き着いている。他人を排除した空間は花が飛んでいるようだ。
イライラする。
葛城は割りと事なかれ主義だ。いつだって自分が最優先、厄介事に巻き込まれるのは御免である。だから、確かに今日の自分は変なのだろう。
ダァン!と拳を窓に叩きつけ、ギョッとする周りにお構いなしに声を張り上げた。
「小鷹ァ!!」
振り返った黒の目が自分を捉えた瞬間、込み上げたのはむず痒い満足感とぐちゃぐちゃした優越感。あーあ、もう言い逃れ出来ねぇな。
そこでようやくはぐれ以外を映したキタちゃんの瞳は、スゥッと冷たい敵意に細められた。
上等だ、こうなりゃとことん馬鹿になってやる。緑化委員長にも風紀委員にも、勿論キタちゃんにも。その隣を譲る気なんてさらさら無かったのだから。
見えぬ火花をバチバチ散らす二人を、深淵のような瞳はただ黙って眺めていた。
小鷹はぐれは変人である。
──だが、それ以上に
人をおかしくする天才である。
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