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「あれ、ここは何処だ? ……本屋さん?」
それは小雪の舞う、とある夕方だった。
大学からの帰り道。気が付いたら僕は両側を背の高い本棚にはさまれた、狭い通路に立っていた。
今どき珍しい小さな個人書店らしい。店内は縦長で、その突き当りにいる老いた主がカウンターの向こうで新聞を広げていた。「いらっしゃい」とも言われていないから、このまま知らん顔をして店を出てもよかったが。
ふと足元を見ると、そこには児童書が並べられていた。変わってるな。普通、入口は雑誌類が多いのに。
「あ、これ読んだことあるな。まだ売っているんだ」
懐かしい、汽車が描かれた表紙に思わず笑みが溢れる。そしてそれに釣られるようにして店の中へと足を踏み出す。
「これも見覚えがあるな」
小学生向けの探偵小説。このシリーズは図書館に通い詰めて読んだものだ。
「ん? ここからは漫画か」
そう言えば中学時代は漫画にハマったものだっけ。スポーツ物や、バトルファンタジー。どれもワクワクしながら次の発売を待ったものだった。
……が、しかし。
僕はこの時点で『妙だ』と気が付いていた。ここに並べられている本や漫画、その全てに読んだ覚えがあるのだ。未読のものは、一冊もない。
背筋に薄っすらと冷たいものを感じながら奥へと進むと、そこは大学受験対策用の参考書と問題集のコーナーだった。
そうだ。これらも大学入試対策に買いそろえたものばかりだ。
毎晩、机に向かって必死に勉強したんだっけ。……苦しかった日々が思い出される。
受験は結果だけが全ての世界。伸ばした手に栄光を掴める者と、そうでない者とがいるのだと思い知らされた。視界の先に消えて行く者もいれば、後方へ去っていく者もいた。
どうにか掴んだ合格切符。どうしてもという理由は無いけど、とりあえず入った大学。……僕は、何を掴みたかったのだろうか。
思わず足を止めた突き当りは、店のカウンターだった。
Uの字形をした本棚の配列は、そこから先が未知の領域。ずらりと並べられた本の何れもかつて読んだことの無いものばかり。そしてその向こうに『出口』が見える。
「……」
僕は恐ろしくなって、そこから前に進めなくなった。
この先、僕は何の本を選ぶのだろうか。就職戦線という人生の大きな岐路に向けて、僕は何を目指そうとしているのか。
自分のことなのに、僕にその答えはなかった。とりあえず採用してくれる会社を見つけなければと焦る心と、それでいいのか? という青臭い疑問を抱えたままに。
「どうかしたのかい、お若いの」
新聞から目を離さず、店主が語り掛けてきた。
「人生に足踏みなんざ無いんだ。時間ってヤツは待ってくれないからな」
だが僕の足は凍ったようにその場から動けないでいた。
「僕の『次なる一冊』が分からないんです」
思わず弱音を吐いてしまった。
「何が正解で、何を選べばいいのか。まるで後ろ向きに座った列車に乗せられているような気分がして」
「皆んなそうさね。未来が読めるヤツなんていねぇ」
店主は落ち着いた声だった。
「何を選んでも完璧な正解なんてねぇ。苦労もあれば挫折だってある。それを乗り越えて成功がある。あんたは今まで読んできた本や漫画で、それを学んだんじゃないのかい?」
「う……」
確かにそうだ。かつて読んできた彼らの苦闘を、僕は数え切れないほど知っている。
そうだ、何を選ぶかじゃあない。選んだ道を正解にする努力をするしかない。子ども心に憧れたヒーローたちのように。
「どの本にするか決まったかい?」
店主に問われて僕は「はい」と答えた。
「次の一冊は、僕が自分で書きます。1人のモブが藻掻き苦しみながら世間と戦う泥臭い物語です」
「そうか、それは楽しみにしているよ。人の心を打つ作品にしてくれや」
店主は小さく笑いながら励ましてくれた。
「僕の運命をまとめた一冊の本。必ず書き切ってみせますよ」
そう言って、僕は次の一歩を踏み出した。
いつの間にか不思議な書店は何処にも無くなっていて、雪も止んでいる。いつも通りの景色が全く違う光景に見えるのは、気の所為なのだろうか。
完
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