ひとりひとりに

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ひとりひとりに

 我が家の母は店を経営する父の元、毎日毎日忙しくお店を切り盛りして、店員さん達をまとめ、祖母や出戻った叔母とその子供の食事の世話も全部一人でしながら日々を送っていました。  でも、まだ写真が白黒だった頃から、私と姉、別々のアルバムを成長に合わせて、何冊も作ってくれていました。  アルバムには、写真と、かならず、母の一言が添えられています。  写真だけではなく、幼稚園からのお誕生日カードや、通知表まで貼られていたりするので、他人にはちょっとお見せ出来ない感じになっています。  母が突然亡くなり、実家を片付けなければいけなくなった時。  自分たちのアルバムだけではなく、母自身の山登りのアルバムや、私と姉が送った孫たちのアルバムもそれぞれに分けて作ってありましたので、皆、自分が欲しいアルバムを貰って、とても持ちきれない残りは処分という形になりました。  私と姉が2人で写っている写真は必ず二人分焼き増しして、それぞれのアルバムに貼ってあります。  小さい頃から家族が集まるとアルバムを出しては、自分の登山の話をするのが好きだった母の山のアルバムは、母には申し訳ないと思いましたが、そのまま処分の荷物に入っています。  私と、私の息子たちはそれぞれ自分のアルバムをその機会に持ち帰りました。  私はその中の、自分が赤ちゃんだった時の一枚の日の事を記憶しています。  1歳のお誕生日に母の実家の庭で撮られたその写真には、裸で、絹のつるつるした分厚い座布団に乗せられた私が写っています。  そのツルツルの感触と、座布団が紫だったことを何故か覚えているのです。  写真は白黒だし、その後使う時には座布団カバーをかけていたのでその座布団の色は母方の祖母と母と私しか知らないのです。  私の成長過程をそのままに残したアルバムにはピアノ教室の発表会や、かけっこの遅かった私の、足を思いきり上にあげて走っている小さい頃の勇姿がそのまま貼りついています。  母は忙しい中でどんな思いでそれぞれにアルバムを作ってくれていたのでしょう。  お嫁に行く時に持っていかれるように。というのは聞いたことがあるのですが、私も姉も結婚当初は家がとても狭く、その頃には大量になっていたアルバムを持ってくるような場所はありませんでした。  母が亡くなった後、2年ほどして家を売る時には今の大きなマンションに引っ越していたので、その時ようやく持ち出したのです。  結婚したときに母の想いを汲んであげられなくて、申しわけなかったなと思います。    私は精神を病んだり、離婚したり、再婚出来たりと、まぁ、それなりに色々あった人生ですけれど、アルバムに貼られた、丸々と太った赤ん坊の自分を見る時、望まれて生まれて可愛がってもらっていたと言う事を思い出すことができるので、アルバムを作ってくれた母には感謝しています。  あの写真がなかったら、自分の記憶にも自信が持てずに、今よりももっと、自分は生きていて良いのだろうか?と、悩んだと思います。  私は間違いなくかわいがってもらっていたという数々の写真を見るたびに、 そして、そこに添えられている母の一言を見るたびに、母のように最期までニコニコして生きていかなければ。と思わせてくれます。  母の作ってくれたアルバムこそが、私の運命の一冊なのだと感じるのです。 【了】  
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