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第1話 烏珠の謡姫
ヒラヒラの薄い袖。
腰を絞らないサラサラの白いワンピース。
その上に、フワフワで薄桃色の袖なし寛衣を羽織る。
「こんなの、初めて着る」
私は鏡に映る自分の姿にびっくりしていた。
まるでどこかのお姫様のようで、王都に来て初めてときめいた。
「特別にしつらえた、巫女服ですよ」
着せてくれた女の人がにこやかに言う。
けれど、その目が冷たくて居心地が悪い。
「みこ……?」
お姫様の服じゃないんだ。ちょっとがっかり。
「神官様が、歌姫様のお力の一旦になればと、お祈りになった聖なるお召しものです」
「ふうん……」
その言葉を最後に、彼女は私の裾を整えてから数歩下がって下を向き、何も言わなくなった。
私はさっさとドアに向かう。
フワフワのスカートが、羽のように足取りを軽くしたから。
「セイタ! 似合う?」
勢いよく開けたドアの向こうに、一緒に村を出てくれたセイタがいた。
「うん、とっても可愛いよ」
彼がそうやって微笑んでくれたから、私はようやく安心できた。
◆ ◆ ◆
馬車に乗るのは二度目。
村から王都に来るまで、何日かかったかは忘れちゃった。
山道が険しくて、ずっとガタガタしてた。
今も少し揺れるけど、あれよりはマシ。
「コーリソン殿、大丈夫ですかな?」
向かいの席に座っているのは、レント大臣。村を出た時からずっと一緒にいる。
少し太ったお爺さん。顔が丸いから皺が少なくて、いつも笑顔だから結構好きだ。
王都で会った人達は、レント大臣以外はみんな冷たかった。
「コーリソン殿は、まだ馬車に慣れないようですな」
私が、馬車の揺れに顔をしかめたのがバレちゃったみたい。
それでもレント大臣は屈託なく笑っていた。
「あの、あまりその呼び名は……。村でも表立って出しているものではないので」
私は別に気にしないのだけれど、セイタの方はそうじゃなかったみたいだ。困ったように笑って、レント大臣にそう訴える。
私達みたいな田舎者の子どもの言う事なんか、レント大臣にしてみたら戯言なんだろうな。小太りのお爺ちゃんはあっけらかんと笑う。
「何故? 名誉なことでしょう? 村でコーリソンを名乗れるのはユラ殿だけだと聞きましたよ。それにこれからは我が国のために尽力いただくのです。『烏珠の謡姫』──コーリソンは我らの希望になってもらわねば」
「はあ……」
「しかし、コーリソン殿の御髪は本当に美しい。烏珠とはかくや、ですなあ。いやはや、東国の言葉は不思議なもので、コモドの外交の広さを思い知りましたぞ」
私の髪は、真っ黒でウェーブがかかっている。肩まで伸びているから村では結んでいたのだけれど、王都でほどかれてしまった。
烏珠というのは、濡れた鳥の羽のように黒い色のこと。とても遠い東の国の言葉らしい。
私の髪は村でも珍しくて、他に黒い髪の子もいるけれど私が一番漆黒に近い。それで烏珠の謡姫になった。
古くから村に伝わる、とてもありがたい名前なんだけど、私はよくわからない。
「そうですか……」
セイタは私よりも年上だから、愛想笑いがうまい。相槌だけで余計な事を言わずに飲み込んだ。
私達には王都の偉い人に口答えする権利なんかないのだから。
「……」
セイタが困ってる。それなら私も頑張らなくちゃ。変になってしまった空気を変えよう。レント大臣は気にしてないかもしれないけど。
「王子様のところまでは、どれくらい?」
私は大きく目を開いて、レント大臣を見ながら話題を変えた。
これから行く所には、王子様がいる。私はそれしか知らない。
「そうですな、途中で何度か馬を換えますから、まる一日と少しといったところですかな」
「まだそんなに?」
それを聞いてげんなりしてしまった私は、思わず不機嫌を素直に表していた。
座っていると足が床につかないから、両足をぷらぷらさせたし、口元だって尖ってしまう。
それを隣のセイタは少しハラハラして見てくる。やり過ぎたかな、でももう遅い。
「コーリソン殿にはつまらないでしょうなあ、お許しください」
対面のレント大臣は、言葉も態度も怒っていなかった。
でも少ししょんぼりしたお爺ちゃんの顔が気の毒で、私はまた話題を変えた。
「ううん。王子様ってどんな人?」
変えると言っても、私が提供できる話題はやっぱり王子様の事で。
この国のことはそれしか知らないから。
「ミラージュ殿下ですか? それはもう立派なお方ですよ。何より他の王子達よりも男前でいらっしゃる。あ、これはここだけの内緒話ですぞ?」
レント大臣は王子様の話になると、とても楽しそうな顔になる。
しょんぼりしていたのに、今ではもうウィンクして口元に人差し指をあてていた。
イタズラっ子みたいな「内緒話」に、私もつられて笑ってしまう。
「うふふ。わかりました」
「ミラージュ殿下にお会いするのを楽しみにして、今は我慢してくださいね」
「はあい」
レント大臣がこんなに嬉しそうに話す、ミラージュ王子様は一体どんな人なんだろう。
このドレスを着た時みたいなときめきが、またあるのかな。
「きっと殿下は大切にしてくださいますよ」
レント大臣の結びの言葉で、私の期待は高まった。
きっと歓迎してくれるんだろう。上手くいったら褒めてくれるのかな。
「……」
私とレント大臣の会話を聞いていたセイタは、わからないように大臣を少し睨んでいた。
あの結びの言葉が、セイタにはどう聞こえたのか。私にはわからなかった。
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