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第2話 不安が消えた馬車の中
馬車は相変わらずガタガタ揺れている。
私は小窓のカーテンを少しめくって流れる景色を見ていた。
しばらく誰も喋らない。
ゴトゴトガタガタ、そんな音に混じって寝息が聞こえてきた。
レント大臣が、こっくりこっくりと頭を揺らして居眠りしていた。
「ねえ。セイタまでついてきて良かったの?」
それで私は今がチャンスだと思って、隣に座るセイタの袖を引く。
すると、セイタは私の方を振り向きもせずに、対面の大臣を見張ったまま小声で答えた。
「……伴奏者は必要だろ」
溜息混じりの言葉が、本当はセイタは嫌なんじゃないかと言う思いを膨らませる。
嫌なら嫌って言ってくれて良かったのに。私はまた口を尖らせた。
「大臣は、王宮の演奏者を用意してもいいって言ったよ」
「ユラの歌に、生半可な演奏でついていけるとは思えないね」
セイタは目の前の大臣に毒付くように答えた。その顔は少し冷たい。
私だって、全然知らない人の伴奏で歌うなんて本当は嫌だ。
ずっとセイタのシャンテレで歌ってきたのに。セイタの操る五弦の調べは、私の声の癖をしっかり捉えてくれる。
それに、遠い遠い国にたった一人で来るのは心細かった。でも、セイタは村でやることがある。
「村の、跡は大丈夫……?」
セイタは村長の息子。次の村長だ。だから本当は村にいなくてはならない。
私が安心できるように、セイタは王都で着替えを拒んでいた。
村長が用意してくれた、村の正装のままで私の横に座ってくれている。さすがに羊の毛で編んだ帽子は暑そうだけど。
そんな私の思いが届いたのか、セイタは帽子を脱いでやっとこちらを振り向いて笑った。
「いざとなったら、シズクが婿をとればいいんだよ。あの子はこれからも生きられるんだから」
セイタの温かい手が私の頭を撫でる。村でいつもそうしてくれたように。
その温もりが、シズクの事を思い出させた。
「シズクの病気、治る……?」
私より一つ年下の、セイタの妹。シズクは生まれた時から重い病気にかかっていた。
村の薬師のお婆さんからは、シズクは大人になるまで生きられないって言われていた。
「当たり前だろ。リゾルートのとても偉いお医者様が、シズクのために村に住んでくださるんだ。きっと良くなるよ」
それは突然の訪問だった。
モレンド村があるコモド国から見て、遠い南の国のリゾルート。すごく大きな国だって聞いた。
王様の使者がお医者様とともにやってきて、シズクの病気を見てくれた。
お医者様がつきっきりでシズクを見れば、シズクの病気は治るって言った。
でも、そのためには烏珠の謡姫をリゾルートに連れて行かなければならない。
今、リゾルート国は戦争をしていて、戦いが長引いているらしい。
それを終息させるために、私の力が必要だとか。
村の大人達は一晩中揉めていた。ついに結論が出なかった翌朝、私からリゾルートに行くと村長に申し出た。
私の両親は幼い頃に亡くなっている。それからは村長が育ててくれて、セイタとシズクは兄妹のようなもの。
妹の病気が治るなら、私は何でもする。村長にそう言った。
そうしたら、どこで聞いていたのか、セイタが「僕もついていく」って言ったんだ。
「そうだよね! シズクはもう大丈夫なんだもんね」
私は沈みそうになる気持ちをぐっと堪えて、顔を上げた。それからセイタに向かって笑う。
もう戻れない。それなら今の状況を楽しむしかないんだ。
私も、セイタも、リゾルート国に歓迎されている。だから笑っていようねって約束した。
「そうだよ。だからむしろ……」
「うん?」
私は殊更笑顔でセイタに聞き返す。するとセイタは少し躊躇って首を振った。
「なんでもない」
セイタの考えてることなんてわかってる。
実の妹を助けてくれた代わりに、もう一人の妹を見守らなくちゃ。セイタは責任感が強いから。
私がもっと大人だったら、一人で平気よって言えたのに。
セイタが一緒に来てくれるのが嬉しいし、安心した。セイタが側にいればずっと村を感じていられる。
「……む? おお、いかん、ついうたた寝をしてしまいました」
いっそう道が悪くなって、馬車が大きく揺れたところでレント大臣が目を覚ました。
その姿がちょっと面白くて、私は思わず笑ってしまった。
「大臣はお疲れなのね」
するとレント大臣は目尻に皺を作って笑い返してくれた。
「いやいや、わしはもう実務などもしていませんからなあ。コーリソン殿こそ遥か北のコモドからいらしてお疲れでしょうに」
「ううん、大丈夫。初めて見るものばっかりでとても楽しい」
それは嘘じゃない。
村を出てからは初めて見るものの連続だった。
馬車から始まって、お城は山の上に巨人の頭が乗ってるみたいだった。
石で固められた道、沢山の人。教会なんて村の何倍も大きくて。
ヒラヒラで、サラサラで、フワフワのドレス。
全部、キラキラ輝いて見えて、眩しかった。
そこにいた人達も、大臣みたいに温かかったらもっと良かったけど。
「そうですか。見慣れないものばかりで心細いでしょうに、それでもコーリソン殿のお心をお慰めできたのなら良かった」
「……」
「どうかなされたか?」
「ううん」
やっぱりレント大臣は好きだな。この人だけが、私に優しい。
セイタだけを頼りにするのは悪いから。セイタだって本当は不安たっぷりなはず。
私達はまだ子どもだから、頼れる大人にいて欲しいんだ。異郷の人だとしても。
「ありがとう、大臣」
馬車に乗ってから、不安な気持ちが大きくなっていた。
けど、セイタが横にいてくれる。
レント大臣が手を引いてくれる。
そう思うと、不安な気持ちは段々薄くなる。
羽みたいに軽い、このドレスの裾みたいに。
私は改めて、身につけたドレスを細部まで眺めた。
すごく綺麗。嬉しい。
だから大丈夫。
王子様に会うのも、楽しみでしかたない。
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