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第3話 王子様、私、変ですか?
百日続いているという戦争は、今はとても短い休戦中だとか。敵国の先代の王様の命日だから、とレント大臣が説明してくれた。
休戦している間になんとしても王子様の野営地に着かなくちゃいけない。だから馬車は休まずに走り続けた。途中で馬を何度も換えて。
王子様が野営しているのは山間部の湖畔だそうだ。山の麓の小さな村から物資を調達したり、商人がそこに泊まって兵士相手に商いをするんだって。
その村を通り過ぎてからは、道が本当に悪かった。
ガッタンゴットンと大きく揺れる度に、私の体は飛び上がるようで。最初はちょっと面白いなと思っていたけれど、そんな揺れが何時間も続けばさすがに気持ちが悪くなってくる。
横に座るセイタも少し青ざめていた。
レント大臣はと言うと、涼しい顔で座り続けていた。体重があるから感じにくいんだろうか。大臣のお腹はユサユサ揺れていたけど、にこにこ笑顔を崩さずにいる。
意外な強さに、私もセイタもちょっとだけ尊敬した。
とうとう私のお腹に限界が来そうな時、やっと馬車が止まった。粗相をしなくて済んで、そっと胸を撫で下ろす。
でも大臣に不快な表情を見せたらだめ。こんな私でもそれくらいはなんとなくわかる。
私に与えられた役目は笑顔を絶やさず従順でいること。村を出る時に、セイタとそう決めた事のひとつ。
「コーリソン殿はそのままお待ちくだされ」
御者が馬車の扉を開けると、少し湿った、外の空気が入ってきた。風は冷たかったけれど、ずっと小さな箱に押し込められていたからとても爽快だった。
レント大臣が私とセイタにそう言いつけると、まず一人で馬車を降りた。
どんな場所なんだろうと、外を窺おうとする前に、馬車の扉が再び閉められてしまった。
『おお、殿下! 直々のお出迎え、痛み入ります』
大きな明るい声で、レント大臣は外で誰かと会ったみたいだった。殿下、と呼ぶからには王子様かもしれない。
「王子様、どんな人だろうね」
私は大臣の声に少し興奮してしまって、わくわくした気持ちを隠せずにセイタに言った。
「ユラ、どんな人じゃなくて、どんな方でしょ。敬語を忘れちゃいけないよ」
「セイタにちょっと言うだけでも?」
細かいなあ、セイタは。私はちょっと膨れてみせる。でもセイタにはそんなの効きはしなかった。
「そう。普段から言い慣れておかないと、王子様の前で粗相しちゃうでしょ」
「そしたら怒られるの?」
「そうだよ。罰があるかもしれない。だから気をつけて」
罰があるの? レント大臣は王子様は立派な方だって言ってたのに?
でも、王都の人は礼儀作法に厳しいとも聞いた。
だから私は両手をぐっと握って、力を入れる。
「……頑張る」
「ユラ、笑顔」
「はあい!」
気合を入れただけなのに、私は顔をしかめてしまっていたみたい。
「歌姫」はいつもニコニコ。セイタと決めた事!
『ご苦労だったな、レント。お前が来るとは思わなかったよ』
馬車の外から聞こえてくるのは若い男の人の声。とても聞きやすくて優しそうな声だった。
『ええ、息子に会うためでしたら職権も乱用しますぞ。殿下も御健勝のようで何よりです』
『ははは。相変わらずの息子煩悩だな』
『たった百日程度で変わるものですか! 私はアルスが花嫁を迎えるまでは死ねませんぞ』
レント大臣とたぶん王子様の会話はとても楽しそうに聞こえる。何の事を話しているかはわからないけれど、大臣はとてもご機嫌だった。
それはきっと私達を連れて来たからじゃない。他にもっと関心ごとがあるみたいな感じだ。
『父上、もうその辺で……』
別の声が聞こえた。こちらも若い男の人のようだけど、かなり落ち着いていて低い。
『おお、そうだな。すっかりお待たせしてしまった』
レント大臣の足がこちらに向いた音がした。
私は急に緊張する。ドキドキして自分の心臓をぎゅっと抑えた。
落ち着いて、にっこり笑う。今はもう、それしか頭にない。
扉はまだ開けられず、代わりに綺麗な声が外から聞こえた。王子様だ、と思った。
ドキドキしている心臓が、更に跳ねる。
「烏珠の謡姫殿、長旅お疲れ様でございました。私はリゾルート国第三王子、ミラージュと申します」
「お、王子様だ!」
私は狼狽えてしまって、小声でセイタに助けを求めた。
「ユラ! 落ち着いて、にっこり笑って!」
だけどセイタはそうやってエールを送るだけ。
「わわわ……」
私の緊張は最高点に達していた。
なのにそれを和らげる暇もなく、馬車の扉は開けられてしまった。
「!」
「どうぞ、お手を。お気をつけてお降りください」
柔らかくて凛とした声。白くて綺麗な指先が私を誘っていた。
突然、太陽の光が差し込んできた。それも柔らかくて暖かかった。
馬車の中は、大きな照明を当てられたように明るくなっていた。
光の外へと導くように、その手は私を待ち構えている。
「えっと……」
私ははおずおずと自分の手を差し出されたその手に合わせた。
すると私の手をきゅっと握って、その手は強引に引き寄せようとする。
「さあ、皆貴女の到着を待っておりました。お顔をお見せください」
その手は私を馬車から降ろそうと抱き上げる。腰を支えられて、私は地面に両足をついた。
そこで初めて顔が見えた。
ブロンドの髪が、晴れた空から射す陽の光を受けてキラキラと輝く。
瞳は、今日の空よりも鮮やかなブルーで、瞬くように煌く。
こんなに綺麗な男の人は初めて見た。
どんな風に想像したらいいかもわからない、王子様という人。
けれど、彼の姿を見てすぐに、ああ、これが王子様なんだと思えた。
「あ、ありがとうございます」
緊張で私はそれしか言えなかった。
久しぶりに地面を踏んだ足も、なんだかまだふわふわしていた。
王子様は私をどう思うんだろう。
緊張と期待で心臓はまだドキドキしていたけれど、私は勇気を出して背の高いその姿を見上げた。
「うん?」
──あれ?
少し違和感があった。
王子様は私を笑顔で見てはいるけれど、その表情は張り付いたよう。
「……」
にこやかな顔のまま、言葉を失っているように見える。
そこで私ははっと思い出した。礼儀作法が大事だと言う事を。
「初めまして! モレンド村から来ました、ユラと言います」
慌てて丁寧にお辞儀をして自己紹介すると、王子様もようやく口を開いた。
「ミ、ミラージュ・リゾルートです……」
「よろしくお願いします、王子様!」
王子様の反応は鈍い。
何か粗相をしてしまったかもと、私は一気に不安になった。
セイタの方を振り返ろうとして、その周囲に兵士達が集まっているのに気づく。
ガヤガヤと騒ぐ声の中、数人ほどの言葉が私の頭に響いた。
「歌姫……って、子どもなのか?」
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