最期の頁を繰るとき

1/1
前へ
/1ページ
次へ
理科の教科書を開いて、地学や生物分野のページをめくったときにこうは思わなかった? 『星を読んでいるみたい!』って。 思わない?思わないかー……そ、そんな憐憫の目で見なくてもいいじゃない。ロマンチストでも厨二でもなんとでも言いなさいよ、べつに本だけが友達みたいなことはないですから! ああ、で、何が言いたいかというと、ひとつの星がうまれて育つ過程を読みながら、いつか来る終わりに想いを馳せるのは物語を読んでいるようだねってこと。大きなカテゴリとして、本で言えばタイトルとして星の名前があって、動植物の章があって、一番小さなカテゴリの中に人類ひとりひとりが記載されている。数文かもしれないし一文かもしれない。ひとつひとつはあってもなくても星に関わらないけれど、きっとなければならない小さい物語。時代を追って章は進むし、記載されるものは目で追うごとに変わっていく。小さな物語が積みあがっていって、いつか最終章の最後の段落の読点が打たれたときにこの星の物語は終わるのです。 ええ、最後一文は人類ではないかもしれない。でも最後の段落にはいるんじゃないかな。だって人類は自然に生きられる範疇をなんとか超えてきたじゃありませんか。根性で?頭脳で?思い返してごらんなさい、現代で言ったってエアーコンディショナーを一度も運転せずに過ごせた年がないのならそれは時代や場所が”ナチュラルで生きること”に本来適していないのではなくて?それでも古来から人類は知恵や技術を培ってそういった”不自然”を克服してきた。住む場所を増やして繁栄を継続させた。だから、その精神性さえ持ち続けていれば星がおわる間際までしぶとく抗い続けようと頑張ると思う。 ……実際、よく頑張ったじゃない。 あなたたちの根性に敬意を表します。 あなたたちの知恵に敬意を表します。 星の物語はxxxx年のいま、最期のページを繰ろうとしている。この星の物語にあなたたちは必要だったのだと、読み終えたわたしは確かに言える。読み終える権利を得たわたしにしか言えないでしょう。 情報だけで十分と技術を進化させたあなたたちは得意げにタブレットを操作していたけれど、やはりこの星は旧い方法で綴じるのがよく似合う。水が、植物が、動物が死に絶えて空の輝きに飲まれるのを待つばかり――そんな中で静かに星のはじまりを思い返すのに、そっとページを繰る音はよく響きます。”あなたたちのいたこの星の物語”、きっと数十億数百億年を経るわたしにとって忘れられない運命の一冊です。 さようなら、青かった醜く美しい星。おもしろかった。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

0人が本棚に入れています
本棚に追加