祈りは斬鬼の果てに実を結ぶ

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あの人を喪ってから、ずっと浮遊と沈殿の違和感の中で生きていた。 何かを頑張ろうと生きる自分、生きようとする自分は失われない。 それでも、目指す未来に、あの人の存在はないのだ。 喪われた。永遠のさよなら。 喪失感はあぶくのように、時折わいてきて心の水面をざわめかせた。 それでも私の日常は壊れないなんて。 あの人のいない未来に、喪失感を手放させる何かがあるのだろうか? あるとしたら、どこに行けば得られる。どこを目指せば出逢える? ──これは、大切なものをなくした私が、全てをなくした彼女に代わって得た旅路。 * * * 気がつくと、晴れ晴れとした結婚式場だった。 式の主役である王太子のグロウラッシュ殿下と結ばれるのは、ヒロインのエスター・マニエル伯爵家令嬢だと私は知っている。 厳かに交わされる誓いの言葉は幸福を噛みしめるもので、甘い雰囲気のくちづけは集まった全ての人に祝われる為の仕上げ。 それを盛大に祝福する貴族達の中に、なぜか自分が混ざっている。華やかに装う人達が集う場に、誰よりも装飾を控えた地味なドレスで。 グロウラッシュ殿下が高らかに告げる。 「真実の愛により結ばれた私達を祝福する命が、王太子妃エスターに宿っている!創造主からの贈り物である命も寿いでくれるように」 沸き立つ会場。その声は割れんばかりで、私は耳鳴りに襲われて──そしてその衝撃で驚くべき事実を思い出した。 これは大好きだった乙女ゲーム「祈りは蹂躙の果てに実を結ぶ」のハッピーエンドシーンだと悟ったのだ。 ゲームは会話とミッションで相手の好感度をマックスにするとハッピーエンドを迎えられるものだった。 内容は蹂躙とタイトルにあるだけあって、かなり際どい内容も含まれていて、ヒロインは貞操の危機ももちろんだけど、とにかく危険な目に遭う。 それを回避しつつ、三つの選択肢から攻略相手を喜ばせる台詞を選び、時にミッションをクリアしてイベントスチル解放のアイテムを得る。 難易度は特別高いわけでもなく、内容がえぐい事に目をつぶれば、気軽に楽しめるゲームと言える。 ライバルでもある悪役令嬢のアリューシャは常に冷ややかで、エスターは彼女と相対する時、常に戸惑っていた。 その分、攻略相手の好感度をマックスにして、結果アリューシャが落ちぶれてゆくところは、無惨としか言いようがなかった。 そのアリューシャとして、私はエンディングの結婚式場に臨席しているだなんて。 これは夢でも見ているの? 寝る前にも見たエンディング。だから印象に残って、こんな夢を見ているだけかもしれない。 そう思って、こっそり薄絹のグローブを着けた手の甲をつねってみたら──リアルな痛みが走った。 現実?近年よく見かける転生?まさか、あれはライトノベルのとんでも設定なだけで……。 「──アリューシャ、おかしな行動はとるな」 傍らから唐突に声をかけられて、はっと相手を見る。 「自分の妻が奇行に出たと、噂好きの餌にされるのは業腹だ。良い子にしていろ」 「……は、はい……すみません……」 状況が飲み込めないままに、とりあえず謝る。 私の傍らには無表情の男性がいて、どうやら私達は夫婦として列席しているらしい。 これは、悪役令嬢アリューシャ・ダンテモレが断罪されて彼女の侯爵家は傾き、辺境伯のグルー・ハイラアットに嫁がされた結果として受ける屈辱のはず。 つまり、私は辺境伯に売られた品物の妻アリューシャになっているの? 脳裡でエンディングのシナリオを必死に思い返す。 確か、紅く艶のある髪を伸ばして束ねた辺境伯は、血に飢えた烈火の狼と恐れられているから、ゲームが悪役令嬢に与える罰としては、申し分ない事になっていた。 ここでのアリューシャとグルーはまだ新婚だけれど、三十路になっても妻を持てなかった辺境伯グルーに対して、その妻にされたアリューシャはまだ十七歳。 誰もが嘲笑をこめて「お似合いです、仲睦まじいご夫婦とはお二人の事」と口にする。 誰もが笑顔で王太子夫妻を祝福するなかで、グルーは固く引き締まった沈黙を保って眺めているだけだ。 エスターがブーケを投げる。 それは空高く舞い、放物線を描いて──私の腕に向かって落ちてきた。 まだ現代日本での記憶や感覚の方が鮮やかで、つい反射的に受け取ってしまう。 すると、周りの目が集まった。痛い程に。 私は考えあぐねて、戸惑いながらグルーを見上げた。 すると、グルーは私からブーケを取り、一輪の百合を抜いて私の編み込まれた髪に挿した。 そして、驚くべき言葉を発する。 「俺の妻には白百合も似合うようだな。しかしやはり、最も似合うのは真紅の薔薇だろう」 その言葉を紡ぐグルーを呆然と見つめると、グルーは微かに目を細めて微笑んだようだった。 ──これは、ゲームにはない台詞。ゲームのエンディングはエスターが幸せそうにブーケを投げるところで終わるから、その後の事になる。 訳が分からなくて、どぎまぎして、私はちらりとエスターを見やった。 冷やした金属みたいな瞳と目が合って、ありえない恐怖に凍りつく。かと思うと、エスターは乙女らしい笑顔に戻ってグロウラッシュ殿下にしなだれかかった。 二人は顔を寄せ合い、短く囁きを交わす。 そして、グロウラッシュ殿下がちらりと私を見た。まるで、貴族達という花畑にさまよう一匹のミツバチを見やるような、心ない眼差し。 「どうかしたのか、アリューシャ?」 「いえ、……何も……私は何も見ませんでした」 「それがいい。列席した貴族の一員として祝福するだけで、役割としては十分だからな」 エンディングの後の話なんて、エスターがいかに幸せな日々を生きたか想像した程度だ。こんなリアリティのあるやり取りは、どうしていいか全く見当もつかない。 早く醒めて。夢なら、もう朝になって。真夜中でもいい、目覚めたい。 ──なのに、それは叶わなかった。 式が終わると、私は辺境伯の妻アリューシャとして、グルーと共に夫婦用の客間へ案内されてしまったのだった──。
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