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芸術の秋、読書の秋。
本といえば、もっぱらマンガしか読まない偏った読書遍歴をもつ私ですが、読書をしないわけではありません。
そう、運命の一冊。
私を形作り、思想の深淵まで影響を及ぼした本もあるのです。
とはいえ、今の私はニート歴&子ども部屋おじさん歴三十有余年、チビ・デブ・ハゲ三拍子揃った真性童貞……現世における「逆チート」とよばれる男。
そんな私ですから、どれだけ素晴らしい本を読んだところで現実の境遇を変えられず、無念の臍を噛んでおりますですよ。
できる人というのは、本で身につけた知識と現実の両輪で生きているのでしょうね。
むろん、理想と現実には大きなギャップが生じます。
そのギャップを己の経験として研磨し、現実で活きるツールとして操ることが「できる人」なのでしょう。
そこで私の運命の一冊ですが、家が仏教徒である私が選んだのは「西行花伝」でございますですよ。
辻邦生先生の高邁な文体、そして西行の「棄てて生きる」生涯は私の座右の書になっておりますよ。
西行とは鎌倉時代のお坊さんなのですけれども、元は有能な武士で、あの平清盛とも友人だったのでございます。
なんかラノベの設定みたいでワクワクいたしませんか?
のちに清盛は武士の世を極め、西行は歌の世界を極めた……この対比にも明と暗が隠されているのでございますですよ。
私がこの本で感動いたしましたのは、西行(その頃はまだ佐藤義清という武士でした)が、先輩の貴族に「世の雅」を教えてもらうところでございますですね。
西行は弓矢の名手で、百発百中、射た矢はことごとく的を射貫くのでございます。
それを見た貴族の先輩が、
「矢は、的に当たっても当たらなくてもいい。そのうち『矢を射る』ということ自体が楽しくなってくる。
これが『雅』ということだ」
と西行にアドバイスするのでございますね。
西行は、この世の政争、勝ち負けにこだわりぬく人間関係にほとほと嫌気がさしておりましたものですから、やがて短歌の世界に世の中の一瞬の美をとらえる作業に熱中し、武士を辞め、出家するのでございます。
歌の世界は、雅の世界です。勝ち負けはございません。短歌でもすぐれた才能を発揮した西行は、世の中の出来事を、欲でもなく、勝ち負けでもなく、自分が楽しい、美しいと感じることファーストの「雅」を絶対基準として生き抜いていくのでございますよ。
まあ私は「負け一辺倒」の人生でございますけれども、生きることを楽しむことを放棄したことはございませんですよ。
好きなだけ眠り、食べ、ゲームやマンガを楽しむ自堕落な生活は、果たして「雅」なのでしょうか。
そんなこと、誰が知ったこっちゃありませんですね。
私は「西行花伝」を読んで、私なりの雅論を実行しているのでございます。
世間における地位、名誉、財産……すべてにおいておおらかに負けた、と自認することにより、果てしない争いという螺旋から外に我が身を置き、人生を謳歌する。
世の中、政治家の裏金やウクライナ、中東での戦争で大荒れでございますね。
彼らには、人の世の「余裕」が足りないのではないでしょうか。
政治の票を得るために、運動費用がかかるのはわかります。
でも、本当に訴えたい政策があれば、そんなにお金は必要なのでしょうか。
頭がからっぽみたいなユーチューバーなんかが、選挙費用を使わずに当選している時代ですよ。
そのユーチューバーの末路からしても、結局政治を真心から良くしようとしている人は少ないのでしょうね。
この世の中、神様か仏様がうまく仕組みをつくっておられるのか、欲望と執着にこだわればこだわるほど、人生楽しめないようになってる気がして仕方ないんですよ。
私は西行法師のように、結果的に社会から身を置く人間になってしまいましたが、会社での出世争い、お金をどうやって増やそうか……なんて考えなくていいだけ幸せでございますですよ。
雅を体現しているとは思っちゃいませんけれどもね、生きることを余裕をもって楽しんでいることは、唯一の自慢でございます。
これでかわいい奥さんや娘なんかがそばにいてくれたりすると、言うことないンでございますけれどもねえ……。
おっ、外に焼き芋屋さんが通っておりますね。小腹も空いていることですし、一本買ってまいりましょうか、っと。
よっこらせ!あれ?また体重が増えたのかな。自分で立ち上がれないではありませんか!
ここはテコの理論で……よっ、ダメだ。もちょっと勢いを左右につけましょうか。
ああー、そんなことしてる間に、焼き芋屋さんの軽トラが家の前を通り過ぎて行きましたですよ!
もう、これを糧としてダイエットの鬼と化し、自分の身体くらいは自由に御せないと、この世の花もあったもんじゃないですね……。
終
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