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「三間さん……、あの……、一つ訊いてもいいですか?」
「なんだ?」
「三間さんの家でご飯を作る話ですけど……。あれは僕がベータだから頼もうと思ったんですよね? もし……、もしもの話ですけど……、僕がオメガだったとしたら、頼まなかったんじゃないですか?」
三間はすぐには返事をしなかった。
真意を探るように僕の目をじぃっと見つめて。
「そうかもしれない」
答えると、前方へと視線を向けた。
もし、この質問に三間が「そうだ」と答えたら、この話は断るつもりだった。
本当のところは僕はオメガだから。オメガには夕飯作りを頼まなかったんだとしたら、ベータと偽って話を引き受けるわけにはいかない。
けれど僕が断るより先に、濃い陰影を落とした横顔が話を続ける。
「ベータのほうが面倒事にはならないだろうからな。だが、ベータだから頼みたいと思ったわけでもない。俺がお前を頼りたいと思ったことに、オメガかベータかは関係ない」
さっきの答えとは矛盾しているように思える。
三間が何を言いたいのか、僕にはわからなかった。
「賭けてみたんだ」
「賭け……ですか?」
僕は首を捻り、三間がふたたびこちらを向く。
街灯の明かりが射し込むだけの薄暗がりの中でも、その目が真剣な光を宿していることは見て取れた。吸い込まれるように、その目に釘付けになる。
「オメガでもベータでも、どっちでもいい。助けてくれるんなら、お前を頼りたい。そうでなければ、お前とはそういう巡り合わせだったと思って、これからは他の共演者と同じように付き合っていく」
たかが料理の話なのに、随分と大袈裟な言い草だ。
断ろうとしていたのに。真剣さに気圧されて、自分がどうすればいいのかまたわからなくなる。
「でも……、もし……、万が一、僕がオメガだったとしたら、オメガの僕に頼るのは嫌なんですよね? ……僕はオメガではありませんけど」
「お前がオメガとして生きていたら、頼れなかっただろうな」
その言い方だと、「頼りたいけど頼れなかっただろう」と言っているように聞こえる。
「オメガとして生きていたら」ということは、オメガだけどベータとして生きている僕なら、この話を引き受けてもいいのだろうか……。
「引き受けるかどうかは、お前が俺を助けたいと思うかどうかで決めたらいい。助けてくれるなら、俺もお前のために、自分にできることは何でもする」
また……。たかが料理の話で随分と大袈裟な。と戸惑う一方で、その言葉に背中を押されたのも事実。
助けたいと思うかどうかで言えば、選択肢は一つしかない。
三間の役に立ちたい。必要とされたいと、思ってしまった。
それはとても危険なことだと、架空の記憶が警鐘を鳴らしているけれども。
時間を置いたら、決心が鈍る気がして。
「僕でよければ……、お手伝いします」
僕の返事に、三間は一瞬、面食らった顔をした。すぐにそれは、普段通りの無表情に戻る。
「そうしてくれると、助かる」
わずかに口元がゆるんだが、笑っているのに目は笑っていない不穏な表情からは、安堵も喜びも感じ取れない。
ただ、なんとなく、声には、覚悟のようなものが感じられた。
ただの思いつきでふられた話だと思っていたけど。もしかしたら、それなりに悩んだ末の提案だったのかもしれない。
三間に礼を言い、僕は車を降りた。
二階にある2DKの部屋に入り、電気をつけると、荷物も置かずに部屋の奥に進む。ベランダの掃き出し窓のカーテンの隙間からそっと下を見下ろした。路上に停まっていた車が発進するのが見える。
もしかしたら、僕の部屋の明かりがつくのを見届けてから、車を発進させたのかもしれない。
理由はわからないけど、彼が僕を気にかけてくれていることはわかる。
車がいなくなった道路を見下ろしたまま、いつまでもそこから動くことができなかった。
早まったことをしたという後悔が、じわじわと込み上げてくる。
……佑美さん……、三間のこと、「晴」って呼んでたな……。
狐につままれたような現実感のない頭で、そんなことを思い出していた。
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