クランクイン

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 スタジオを出るとき、主役の二人と監督や演出家といった運営陣は、残って直前の演技についてディスカッションしていた。脇役や見学の面々は早々に食堂に行ったようで、廊下を歩いているのは僕達だけだった。 「それにしても、さっきのリハ、すごかったな」  並んで歩きながら、稲垣が興奮冷めやらぬ様子で話しかけてくる。  続く言葉を予想し、僕は秘かに身構えた。 「周りの人間はシャットアウトされてる感じでさ。完全に二人の世界だったよな」  稲垣が一度背後を振り返り、周囲に誰もいないことを確認するそぶりを見せた。身を屈め、僕の肩に顔を寄せて、声をトーンダウンさせる。 「あれってさ。二人が演技が上手いからそう見えるんかな? それとも、実際に付き合ってるから、自然とそういう雰囲気になるの?」  おそらく、あの場にいた全員が、似たようなことを感じていたと思う。  傍観者とも言えない。歌舞伎で言えば黒衣(くろご)のようなもの。自分が完全に蚊帳の外にいることを自覚しながら、相愛の二人のやりとりから一瞬たりとも目を離すことができず、心を奪われていた。 「それは……、どっちも、なんじゃないですか?」  本音では、演技が上手いからそうなると思いたい。  それを悟られぬために、あえて逆のことを口にした。  リハスタジオがあるのは4階で食堂は2階なので、エレベーターか階段で降りなければいけない。エレベーターホールには向かわず、どちらからともなくその手前の階段へと折れる。昼時だからか、階段にも他に人はいなかった。 「ってことは、やっぱりあの二人は付き合ってるってこと?」  降り始めると同時に訊ねられ、僕は、「え?」と驚いた顔を向けた。 「そうじゃないんですか? というか、何で僕にそれを訊くんですか?」  週刊誌やネットニュースを読んで、二人は付き合っているのだろうと思っている。僕もそれ以上のことは知らない。三間と同じ事務所の後輩である稲垣がのほうが、三間のプライベートについてはよほど詳しいだろうに。 「俺もずっと気になってるけど、実際のところは知らないんだよ。佑美さんのことになると、晴さん、わかりやすく『何も訊くな』オーラ出してくるから、面と向かっては訊いたことなくて。最近は俺より夏希のほうが晴さんと仲がいいから、何か知ってるかなと思ったんだけど……」  心臓がドキッと小さく跳ねた。 「何をもって、僕と三間さんが仲がいいと思ったんですか?」 「この前、稽古終わったあと兵隊組で飲みに行くことになったけど、夏希はジムに行くからつって来なかっただろ? 飲み会終わって駅に向かってるときに、夏希と晴さんが一緒に歩いているのを見かけたんだよね」  『兵隊組』というのは、三間を含めて兵隊役の役者たちをひっくるめてそう総称される。メンバーが自分たちのことを『兵隊組』と呼ぶときは、『役名で呼んでもらえないその他大勢組』といった感じの自嘲的なニュアンスがあるため、三間は含まないことが多い。  別に見られてマズいようなことは何もないけど。どうしよう、と思ったのは、自分の中に、人に知られてはマズい気持ちがあったからだろう。 「見かけたんなら声かけてくださいよ!」  軽い調子の声と笑いで、動揺を誤魔化した。
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