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「柿谷君ってホント美肌ねー。赤ん坊みたい。隈がなかったら今日もノーファンデでいけたけど……。ドラマの撮影が終わっても、忙しいみたいね」
顔に下地を塗ってもらっていた僕は、話しかけられ、ゆっくりと目を開けた。
鏡越しに、続いてファンデーションを塗ろうとしているメイクのヒロさんと目が合う。
この局お抱えのヘアメイクアーティストである彼は、すらりとした長身で髪は短く、見た目は普通の男性だけど、口調だけが女性っぽい。いわゆる「オネエ系」キャラで、女性の出演者から人気がある。僕もドラマの撮影中は、いつもお世話になっていた。
彼が言うように、鏡に映る自分自身は、両目の下に濃い隈ができていて、顔色も悪い。
「……まぁ……。おかげさまで……」
本当のことは言えないから、鏡越しに曖昧な笑みを浮かべてみせた。
隈の理由は、仕事が忙しかったからじゃない。三間に挨拶に行くことを考えると、昨夜は不安と緊張でろくに眠れなかったからだ。
しかし、そこは人気ヘアメイクの腕の見せ所のようで、疲れの滲む蒼白な顔がファンデーションにより明るく健康的な肌色に塗り変えられていく。
「あとは眉を整えるくらいでいいわね。夏希君みたいにパーツが完璧だと、楽でいいわ。これでベータなんだから、神様はホント不公平よねー。性別で差をつけるんなら、同じ性別の中でくらい、スペックを平等にしてほしいものだわ」
ヒロさんの愚痴に内心ドキッとしたが、そこは僕も俳優の端くれ。鏡に映る顔は眉一つ動かさず、ポーカーフェイスを貫いていた。
ヒロさんも本気で愚痴っているわけではなく、彼なりのリップサービスなのだろう。褒め上手なところも、女性陣からの人気の理由の一つだ。
顔を褒められたことは素直に受け取ることにして。
「でも、僕、ベータなのに運動神経鈍いし筋トレしても筋肉がつかないから、ヒロさんみたいにシュッと引き締まった体型に憧れます」
ベータであることをさりげなく強調し、誉め言葉を返すと、ヒロさんが、うふふ、と嬉しそうな顔をした。
中島佑美ほどではないけど、芸能プロダクションの専務に街でスカウトされるくらいだから、僕も顔の造形には恵まれていると自分でも思う。
くっきりとした二重の切れ長の目は、目が合った相手がぽーっと見惚れるほどで、鼻筋はすっと通っていて唇は薄い。
メイクなしだと中性的に見える顔に凛々しい眉が描き足され、俄然男らしくなった。
ノックの音がし、鏡の端に映っていた部屋の入り口のドアが開く。入って来たのはマネージャーの白木さんだった。
「二人には、来月の顔合わせのときに改めてご挨拶に伺いますって言っておいたから」
喋りながら近づいて来る彼に、鏡越しに「すみません」と謝罪する。
「三間さんが、『何であいつはこの仕事を選んだんだ?』って言ってたから、来月会ったときにちゃんと自分で説明してね」
「え……? あ、はい……」
僕の返事が曖昧だったせいか、白木さんが一瞬怪訝そうな顔をしたが、それ以上は何も言われなかった。
訊きたいのは僕のほうだ。と胸の内で呟く。
何故、あの人がこの仕事を受けたのか。
あの人との共演を避けるために、今回はこの映画を選んだというのに。
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