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日が暮れてからも、忠頼の従者や側近が四、五人、それ以外の者が二人、野営地の入り口で、忠頼の帰りを待っていた。
俺は、彼らのいる所からは、少し離れた場所に陣取って座り、暗闇に目を凝らしていた。
忠頼は、一応、位の高い武士だ。今回の出陣では、供が、三人ついて行ったらしい。だが、二人は、忠頼の命令で、傍を離れたそうだ。だから、今帰ってきてないのは、忠頼と、一人の従者だ。
身分の高い者が、少人数で陣営の外をうろつくのは、酷く危険な行為だ。敵に見つかったら、当然首を狙われる。
それ以外にも、単に、人を殺し、質の良い衣服や武具を盗るのが目的の、山賊らに会う事だってある。
俺は、出来るだけ平気なふりをしていたが、本当は胸が潰れそうに心配していた。
ーー分かっていた。
自分たちが、どういう状況に置かれているのか。俺はちゃんと、知っていたはずだった。
俺は自分の膝に、顔を埋める。
――あの時、寝所に、行かなければよかった。
憧れのままにしておけば、よかった。そうすれば、今、こんなふうに、馬鹿みたいに心配しないで済んだのだ。
だが、幸か不幸か、俺はずっと悩んではいられなかった。
戦と薬草採取で、すでにとことん消耗していた俺は、次第にうとうとしてきた。
俺は、忠頼が、俺の村に来た時のことを夢に見ていた。
忠頼は、山二つ向こうの村の、領主だった。俺は、兔を狩って、山から降りてくるところだった。忠頼の一行が、南から、俺たちの村の方へ歩いていくのが見えた。
俺はその時初めて、馬上の忠頼を見た。涼やかな目元に、締まった口元。姿勢を正し、きりりと前を向いていた。
ふいに、忠頼が顔を上げた。俺たちの目が合い、俺はすぐに逸らした、
自分より一回り年上だとわかる、その顔には、一目で目を奪われるような華やかさはない。だが、忠頼の目は、今まで見た誰よりも、まっすぐだった。
刹那、俺はふいに、思ったのだ。
ああ、できることなら、俺は、こいつと共に行きたい、と。
「左衛門殿!!」
突然の叫び声に、俺は目を覚ました。
従者が、俺の横を通って駆けていく。その先に、馬と人の影が見えた。俺はすぐさま立ち上がって、走りだす。
およそ、馬から三間(九m)ほどのところで、暗闇に目を凝らした。
一早く、影の傍へ着いた従者が、松明を掲げる。燃えるかがり火に照らされた、忠頼の瞳が、赤く揺れていた。
その目が見えた途端、俺は全身の力が抜けた気がした。
よかった、本当に帰ってきたんだ、と、強く感じて、危うく涙が出そうになる。
その時、忠頼が、ふと此方の方を向いた。
暗闇の中で、俺たちの目線が合う。俺は、忠頼の目を、受け止めるように、じっと見返す。
「与助、与助……っ!?」
誰かが背後で叫んだ。先程の痩せぎすの男が、忠頼の方へ向かって走って行く。
従者が、怪訝そうな顔で、男を見た。だが、従者は、そのまま無視して、忠頼が鎧を脱ぐのを手伝おうとする。
すると、忠頼は従者を掌で制した。男の方へ向き直ると、馬を指し示す。よく見ると、馬の背には男が一人乗っている。
「早く手当てをしてやれ。足を怪我している。だが案ずるな。そこまで深い傷ではない」
「あ、ありがとうございます……!」
男は、他の二人の男とともに、馬に駆け寄る。与助の肩を支えながら、運んでいく。
――与助を助けに行っていたのか。
そう思うと、俺はむしろ、忠頼を危険にさらした与助に、腹が立った。でも、今は、帰ってきてくれただけでよい。
俺は踵を返して、陣営に向かった。後のことは、従者に任せておけばよい。というか、俺がいたら、不自然だろう。 そう思って、歩き出した時、ふいに俺を呼ぶ声がした。
「弥次郎」
振り向くと、忠頼が此方を向いて立っている。
「何をぼんやりとしている。お前はこれを部屋まで運べ」
そう言って、忠頼は弓矢を、俺に向かって差し出した。
俺は忠頼の方へ駆け寄る。どうにか、笑みを抑えながら。
暗闇の中で、忠頼の松明だけが、辺りを照らしている。それはまるで、明るい一番星のように、輝いていた。
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