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次の日の稽古で
「稽古を始めるっ! 並べっ!」
明るく晴れた野営地で、カンカンと柏木が鳴り響く。
野営地に散らばっていた兵士たちが、それぞれ、稽古用の棒を取り出し、少し開けた場所へ集まって来る。
草を踏みしめた、陣営近くの広場が、俺たちの、仮の稽古場になっていた。
俺は、前に並んだ上級武士たちの顔をさっと眺める。忠頼は、他の武士や従者たちの斜め後ろに椅子を置き、俺たちの稽古を眺めていた。
厳めしい顔をした、別の武士が歩み出て、仰々しい口上を述べ始める。
「えー、お前たちは戦の場に一度立ったときから、武士であり――――」
俺は密かにあくびを噛み殺した。
ーー武士ってえのは、なんでこういう、形式ばったことが好きなんだろう。
周りの雑兵たちも、退屈そうな顔をしている。
しかし、いざ稽古が始まると、俺はすぐにやる気になった。
上位の武士たちが、槍に見立てた杖を振り、型を見せる。俺たち雑兵も、それに倣って動く。その後は、二人一組になって、実践の稽古をするのが、慣例だ。
上位の武士たちは、俺たちが稽古をしている間を歩きながら見回り、構や棒の振り方を指南していく。
なっとらん! とか、それでは斬れぬぞ! などの怒声が、しょっちゅう草原に響き渡る。
そんなでかい声出さなくても、聴こえるっつうの。そもそも、戦で死にたい奴なんて、一人もいやしない。
雑兵の殆どは、農民だ。戦場に出るのは、食い扶持を稼ぐためだ。
生きて、大きな怪我をしないで、村へ帰る。それが、全ての雑兵の望みだ。
だから、その確率を少しでも上げられるなら、きつい稽古だって喜んでやるに決まってる。
でも、俺にとっては、それだけじゃなかった。俺は、稽古をしているうちに、武術自体が、結構好きだってことに気が付いた。
俺はもともと、すばしこい方だったが、身体は細くて、力の強いやつには勝てなかった。でも、刀や槍は、そんな俺の欠点を補ってくれた。
最初こそ馬鹿にしていた型稽古も、練習を繰り返すうちに、所作の理由が分かってくる。そうすると今度は、稽古が面白くて仕方なくなってきた。
それに、普段、村にいたら、農作業で忙しくって、稽古なんてする時間もない。それが、ここでは稽古が仕事の一部だ。やればやるほど、生き残る確率も増えるときたら、そりゃあ真剣にやる。周りも必死だから、互いに切磋琢磨していくうちに、どんどんうまくなる。それが楽しいし、やりがいにもなった。
「それは、振り方が違う」
杖を振るのに夢中になっていた俺は、その声にどきりとして振り返った。
右後ろにいたのは、忠頼だった。でも、俺に声を掛けたんじゃなくて、別のやつに杖の振り方を指導をしていた。周りのものも手を止め、忠頼の動作を見ている。
忠頼は戦場では射手だから、槍は振るわない。俺も動きを止め、忠頼の杖捌きをとくと拝見してやることにした。
「こうだ」と、忠頼が自分の剣を振る。
杖が空を切る『ヒュッ』という音がした。杖を、真っ直ぐ振り下ろすと、こういう音がする。忠頼の杖の先は、振り下ろした瞬間に、ぶれずにピタリと止まった。
俺は心の中で舌打ちをする。自分が刀を振るうようになって、だんだんと人のうまさが判別できるようになった。忠頼の刀さばきは無駄がなく、自然で、余計な力が入っていない。
武士の中には名ばかりで、武術の腕はさほどでもない、という者も、実際にいる。
しかし忠頼はそうではないらしい。
槍、太刀、弓の扱いを一通りこなし、とくに弓に関しては一流だった。どんな差し迫った戦況でも正確に狙った所に矢を当て、かつ、敵の腕や足に矢を当て、余計に殺生することがない、というのも聞いていた。
戦時の冷静な判断には、兵たちも一目置いている。
俺は章吉を見ているうちに、自然と昨日のことを思い出した。
――こいつ、本当に、何考えてるんだろ。
今朝がた、俺が起きると、すでに忠頼は部屋にはおらず、縄も解かれていた。(例の見張りの従者はいた)俺は狐につままれたような気持ちで、雑兵たちの寝泊りする、ほとんど布を張っただけの寝床に戻った。
ーー本当に、何もなかった。
着物の袖からでた忠頼の腕。明るいところで見たら、その腕は細くとも筋肉質で、これじゃ抵抗できないのは当たり前だな、と俺は思った。
本当に俺を抱くつもりだったのなら、それは多分、忠頼にとっては、造作もないことだっただろう。
――気まぐれだったのかもしれない。
うん、きっとそうだ。だから、きっと、今後は、寝所に呼ばれることもないはずだ。
そういう結論に至ったとき、少しだけ胸に風穴があいたような気がして、俺は思わず、胸に手をやった。
その時、ふいに忠頼と目が合って、俺はどきりとした。
忠頼は口を真横に引き結んだまま、俺の方に歩み寄ってきた。俺は、慌てて杖を構え、稽古をする振りをする。
「そうじゃない。こうだ」
忠頼はそう言って、俺の姿勢を正す。忠頼の手が俺の背に触れた。
俺は緊張しながら、姿勢を直す。
「そうだ」
忠頼はそれだけ言うと、直ぐに俺から離れ、別のやつのところへ向かった。
――なんでもない顔、しやがって。
忠頼が離れた後も、その掌の感触は、暫く俺の背中に残った。
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