待ち合わせ(*)

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待ち合わせ(*)

 日没直後の薄闇の中、俺は藪の中から顔を出した。半月が明るく光って、あたりには虫の声が響いている。俺は少し離れた場所にある、大きな樫の木に、目を凝らした。辺りはしんとして、人の気配はない。 忠頼からまたお声がかかったのは、その五日後の宵だった。今度は、以前とは別の者から言付けがあった。『忠頼様が、緊急に話したいことがあるそうだ。今宵、陣から南に少し離れた、大きな樫の木の下に来てほしい』と、その侍は言った。 「ふう」  俺は藪の中で姿勢を寛げた。寺の傍に設営した陣の中から、女の歌声と、手をたたいて拍子をとる音が、湿った風に乗って聞こえてくる。  今日は、宴会が行われていた。今頃、上級の武士達は、酒とともに買った女と一緒に酒を飲んでいるはずだ。  数日前ここから少し離れた地の領主から、食べ物と酒の差し入れがあったのだ。当然、忠頼もあそこにいるにちがいない。 ――やっぱり、騙されたんだな。  俺は、陣の中にその中にいるであろう忠頼を想像した。 ――あいつは今頃、どんな顔をして、女と遊んでんだろ。  俺は、忠頼を羨ましいとは思っていなかった。俺は女を抱けない。抱けと言われれば抱くが、そこに悦びはない。  だからといって、俺は男とそう言う関係を持った経験もない。  仲間内で武士たちの『お手付き』になる者は一定数いたし、また彼らもそれを喜んでいたのは知っていた。それは明確な出世への道であり、富や位に直接結びつく道だ。  しかし、それはたいていの場合『武士』同士の、位のある者だけの得点だ。  弥次郎が雑兵である以上、たとえ忠頼が弥次郎を気に入っていたとしても、それはお遊びであり、取り立ててもらえたり、手当を厚くしてもらえることはない。  俺は足に上ってくる虫を払いながら、同じ疑問を、頭に浮かべた。 ――では、あの時、俺は、からかわれたのだろうか。  だが、あの仏頂面に、『からかう』という概念があるとは考えにくい。 ――もし今日呼び出したのが、本当に忠頼だったら――。 俺はぼんやりと、月を過ぎていく雲を見ながら、心の中で、その考えを否定する。  今日、俺に言付けを伝えたのは、この前と違う男だった。これは、きっと、罠だろう。 清之助が、俺をぶちのめそうとしている、という話が本当なら、こうして一人、陣営を離れていること自体が危ないのは、分かっていた。  でも、もし本当に忠頼が、俺に、話したいことがあるのなら。俺はそれを聞きたかった。なにせ、普通にしていたら、言葉を交わすことさえ、かなわないのだ。  俺は半刻ほど(一時間ほど)、ぼんやりと、樫の木を見つめ続けていた。しかし結局、そこには誰も来なかった。  俺は、何もなかったことの安堵と、同時に、少し残念な気持ちが沸いた。 ――阿呆らしい。帰ろう。  俺は、こめかみをがりがりと掻いた。そして、立ち上がろうとした、その矢先だった。 「おとなしくしろ」  半笑いの声が聞こえ、背筋がすっと冷えた。  罠だ。  俺はそう悟った瞬間、駆けだそうとした。しかし、すぐさま男の手が俺の着物を掴んだ。 後ろから両手を抑えつけられ、動きを封じられる。  清之助が、少し離れた藪の陰から、のっそりと出てきた。手下も二人いる。全員、にたにたと、卑しい笑みを浮かべている。  俺は動揺を隠し、なるべく涼しい声で言った。 「こんなことしていいとおもってんのかよ? 兵士同士のいざこざは処罰の対象で」  清之助があごをしゃくった瞬間、手下の一人が、俺の横っ腹に一発入れた。 「――――っ」  俺の体が、勝手に、くの字に曲がる。そのまま、俺は二人に押さえつけられ、地面に腹ばいにさせられた。動こうとするとまた殴られる。  何度も殴られ、俺は身を固くした。こうなってしまえば、それ以外方法がない。  だから、身体の大きな男が、俺の後ろに立ったのを感じても、俺はもうあまり何も感じなかった。  俺は腕を引かれ、無理矢理立たされた。そのとき、俺の尻あたりが、やけに涼しくなった。 「本当にやっちまっていいんだな」  下卑た笑い声が、木々のざわめきに消えていく。  ――おいおい。まさか。  あろうことか、そいつはおれに、いきり立った一物をこすりつけ始めた。  清之介の仲間たちが爆笑した。  俺は心から疑問に思った。 ーーマジで、こいつら、何がそんなに可笑しいんだ? これの何が、面白いんだ?  月が雲に隠れ、また姿を現し、そしてまた隠れた。  俺はただ、ひたすら、この時が終わるのを待った。  言うまでもなく最低な時だった。俺は殴られ、精液をひっかけられ、ついでに小便をかけられた末、ようやく野獣どもから開放された。 ――馬鹿みてえ。  虫は相変わらず、でかい声で鳴いている。体の下の、湿った土が冷たかった。  俺はしばらく、ぼおっとお月さんを見ていたが、なんとか立ち上がると、陣へ向かって歩き出した。  俺は清之介の顔を思い浮かべ、その後忠頼の顔を思い浮かべた。  こんなことになったのは、彼奴の所為でもある。  身体も、心も、一歩歩くごとに、軋むように痛んだ。
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