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戦
戦が始まった。
藪の中、俺は粗末な槍を片手に、逃げ回る老兵士の一人を追っていた。老兵士は、重そうな装備を揺らしながら、川をじゃぶじゃぶと渡って逃げていく。
基本的には、敵を深追いしてはいけない。いつの間にか敵陣に入り込み、仲間が現れでもしたら返り討ちにあうからだ。
しかし、相手は馬に乗った、地位の高い武士だった。戦っているうちに、他の手下たちと、はぐれたのだ。身なりの豪華さからして、それなりの身分の者だ。首を捕れば、手柄になるだろう。
川を渡り切ったところで、老兵士は対岸の藪の中へ紛れた。俺はすぐにその後を追う。
何日も野営しているから、ここらの地形には詳しい。すこし遠くまで行った所で、ちゃんと戻れる自信があった。
老兵士は必死に逃げたが、年齢を重ねた身体はではどうしようもないのだろう。足が縺れ気味で、俺のような若い者の俊足にはかなわない。
進みにくい藪が終わった先に、少し開けた原っぱがあった。俺は老兵士に追いつくと、蹴り倒し、すぐさま、槍を構えた。心臓に狙いを定めた、その瞬間だった。
ふと気配を感じて、俺は振り向いた。そこには新たな兵士が、刀を構え、迫っていた。若くて太っていて、脂ぎった髭面の男だ。
髭男は俺が気が付いたことに、刹那、たじろいだ。だが、すぐに体勢を立て直す。髭男は、叫び声をあげ、俺の懐に飛び込んできた。
俺は冷静に、髭男を見ていた。浮足立っているし、構えも美しくない。戦には慣れていないようだ。もしかすると、初出陣なのかも知れない。
だが、全員が疲弊と緊張にまみれている戦場では、元気だということだけでも、十分な強さとなる場合が、ある。
俺は、そいつの、なまくら刀を避けながら、距離を取った。すると、先程蹴り倒した、老兵士がさっと起き上がった。
さっき逃げたやつと同じ人間とは思えないほど、素早く、俺に槍を突き出してくる。
俺は少し考えて、二人から離れるように、右手に飛びのいた。木の陰に隠れながら、二人の攻撃を、二度、三度、躱して、凌ぐ。
その時、がつっ、と鈍い音がし、髭男が慌てて、槍の先を見た。槍を木に引っ掛けたのだ。
狙い通りに事が運んだ俺は、しめたと思いながら、すぐに体勢を整えた。
槍を軽く持ち帰ると、相手の腹めがけて突き刺す。槍が腹をえぐり、髭男の呻き声が辺りに響く。
ーーさてと。
俺はくるりと老兵士のほうを向いた。もはや逃げるのはやめ、こちらをじっと見ていた。相手も覚悟したらしい。
――なら、楽に殺してやれるな。
俺はすぐに次の行動に移った。即座に槍の切っ先を老兵士の喉元へ向け、突こうとした、その刹那。
「まってくれ。これを、お前にやる」
老兵士は、大声で叫ぶ。俺は槍をぴたりと止め、ある程度の距離を取った。が、集中は切らせない。老兵士は懐から銀貨を出し、投げた。
「これをやる。だから見逃してくれ。お願いだ。村には母と、妻子が」
老兵士は、ついに土下座した。
俺はすこし鼻白んで、その姿を見下ろしていた。だんだんと、戦いの熱が引いていく。
俺は老兵士を見据えたまま言った。
「さっさと行っちまえ。戻ってきたら殺す」
俺は吐き捨てるように言った。逃げ去る老兵士の姿を確認しながら、用心深く銀貨を拾う。あまりよい気分ではなかったが、仕方がない。
必死に懇願している人間を殺す気には、どうしてもなれない。
ーー所詮、こんなもんだ。死ぬ覚悟なんて、誰も持っちゃいねえ。
でも——金も何にもない、俺たちのような農民は、命乞いさえできないのだ。
俺は、不快な気持ちを抑えながら、自分も藪に紛れ、引き返した。
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