16人が本棚に入れています
本棚に追加
二
二
翌日、午後になり、陽が落ちかけた頃、章吾の運転する自家用車で、少し離れた公園へと出掛けた。
そこは、野球グラウンドが併設され、夏には盛大な祭りが行われる、美羽の暮らす市の中で一番大きな公園である。
売店の近くにある小さな広場には、ぶらんこや滑り台、ミニアスレチックなどがあった。
美羽が湊斗を抱っこして、章吾が凛の手を繫ぎながらその場所へ向かった。
すると、早く遊びたくてしかたがない凛が、章吾の手から離れ、駆け出して行った。
「凛、そんなに走ると、転ぶぞ」
凛は一目散に滑り台へと向かって行く。
その様子を見て湊斗も「あーあー、」と手を伸ばし、降ろしてくれという仕草をした。
美羽が下に降ろすと、湊斗もよちよちと凛のほうへ歩いて行く。
その様子を微笑ましく見つめながら、美羽は湊斗の後をゆっくり付いて行った。
章吾が凛を、滑り落ちてくる台の下で受け止め、それを繰り返す度、危なくないよう必要なところで手を差し伸べている。
湊斗は美羽と一緒に砂場で砂を掘り、陽が暮れかけるまで遊んだ。
ひとしきり楽しんだところで、ようやく凛が納得して帰ることになり、章吾が凛を肩車し、美羽が湊斗を抱っこして横並びに歩いた。
美羽は、傍から見ればきっと家族に見えるだろうなとふと思った。
章吾はまだ四十前で見た目にも若々しく、二人の父親だといってもおかしくない。
美羽とは十五離れているが、夫婦だといっても、きっと疑う人はいないだろう。
母と章吾は、二人の間に子どもを設けなかった。
以前章吾に、自分の子どもが欲しくないのかと尋ねたことがあったが、
「こんなに可愛い娘が二人もいるのに、これ以上望んだら、罰が当たるよ」
と言っていた。
章吾は父親というより、年の離れた兄のような歳の差だったが、彼は彼なりのやり方で、父親として接してくれていた。
駐車場までのみちのりをゆっくりと歩きながら、美羽は束の間の幸せを感じていた。
これが本当に親子だったなら……。
章吾が父親で美羽が母親、そしてふたりのかわいい子どもたち。
永遠に叶うことのない夢だが、たとえ嘘でもこうして疑似体験できたことに、この時ばかりは心の中で姉に感謝した。
家に帰ると、カレーの匂いが漂っていた。
母が孫に会うためにやって来ていたのだ。
「お母さん、ただいま」
美羽が湊斗を抱きかかえたまま近付くと、
「あら、まあ、みーくん、大きくなったわねえ」
母は満面の笑みで、湊斗に手を伸ばした。
湊斗が母に抱っこされると、凛が駆け寄って来て、
「りんもだっこして、りんも」
両手を伸ばして訴える。
「はいはい、凛ちゃんもだっこしようね。順番ね」
その様子を見ていた章吾が、
「やっぱりおばあちゃんは大人気だな」
少し羨ましげに言った。美羽は、
「ねえお母さん、おじいちゃんのほうはいいの?」
と尋ねた。
「おじいちゃんなら、一晩くらいなら大丈夫よ。このところ、ちょっと物忘れが酷くなって来てるけど、認知症ってわけじゃないから」
「そうなんだ」
昨年祖母がなくなってから、祖父は広い一軒家に独り暮らしとなった。
だが祖父は家事もなにも出来ず、とても一人では暮らせないということで、誰かが祖父の面倒をみなければならなくなったのだが、いずれは母の兄が家を継ぐことになっており、それまでの間、唯一自由な身である母が、家族とは別居する形で祖父とともに暮らすことになったのだ。
だがこうして、孫が訪ねてきたり、誰かの誕生日など特別なことがあった日には、すぐに戻ってきてくれる。
部屋中に広がるカレーの香りに、美羽が、
「今日はカレーなのね。久しぶりにお母さんのカレーが食べられるなんて、幸せ」
そう言うと、
「美羽は甘口が好きなのよね。だから今日は、凛ちゃんやみーくんと一緒ね」
からかい混じりに言った。
実際、美羽は甘口のカレーが好きなのだが、章吾と二人になってから、中辛のカレーばかり食べるようになった。
母はいつも、この日のように甘口と中辛の二種類を作ってくれるが、章吾と二人で食べる時には、敢えて自分の分を甘口にするのはなんだか恥ずかしく、中辛くらいなら普通に食べられるからだ。
けれどもやはり、カレーは甘口が好きで、こうして分けて作ってもらえるのは正直に嬉しい。
凛や湊斗と一緒と言われても、好きなものは好きなのだ。
「子どもの頃からずっと、甘口が好きなんだもの。凛や湊斗と同じでも構わないわよ」
美羽は頬を膨らませた。
だがやはり、母の作るカレーは格別で、決して真似のできない味だった。
最初のコメントを投稿しよう!