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米麹甘酒
クリスマスもとうに過ぎ、無事仕事納めを迎えようとしていた。大掃除に経費の処理、予算の確認などなどこなせば少し短い冬休み…もとい年末休暇がやってくる。
終業1時間前のだらりとした時間、デスク横に置いてあるゴミ箱の紙屑を出すために居室内のダストボックスへ向かうと、安川も同じようにごみを出していた。
「…そういや…髙野は年末年始、何してる?」
「んー…ゲームして食って寝て起きるかな」
模範解答のような言葉を返すと、案の定安川がにやにやと笑った。
「うわー自堕落」
「おまえに言われたかねぇよ」
へらへらと笑うそいつに、肩を叩かれ条件反射で肩が跳ねた。怪訝な顔をしているけど、あの日に俺が何か口走ったことは既に忘れているのだろうか。
寝ぼけながら告白めいたようなことを言った気がしたけれど、記憶が曖昧で碌に憶えていない。しかも問い詰めれば口を噤んで「何もなかった」と言うし、その反応は何か『何かあった』と俺が思っても仕方がないだろう。
「なぁ…」
「今度はなんだよ」
「大晦日の夜、オレと初詣行かないか?」
これまた唐突な誘いに、一拍置いて「ん?」と首を傾げた。安川から誘われるのは初めてではないけれど、甘いものを食べる以外の誘いは珍しい。それも今まで縁のなかった初詣だ。
「…まぁ、いいけど」
特にやることもなく、二つ返事で承諾する。本当はとてつもなく嬉しいのに、表情に出すのが恐くて少し素っ気ない言葉になったかも知れない。
そしてこの気持ちを何と言うのか未だに分からないまま、年を越そうとしている。年内の仕事はひと段落し、デスク回りも綺麗になった。思い残すことは…多分、ない筈だ。
「よし、決まりな!待ち合わせ場所はまた連絡するから」
「おう」
ゴミ箱がからっぽになったのを確認し、安川はひらひらと手を振って自分の席に戻って行った。その背中を見送り、俺も同じように席へと戻る。
そこから定時で帰るまで、ぼんやりとパソコン画面を見ていた。チャイムが鳴るなり、忘年会に繰り出す他部署の社員を見送る。
早く、大晦日になればいいのに。
× × ×
「へっくし…!」
「…どうしました?髙野さん」
「あ、いや…ちょっと…」
急に寒気を感じ、両腕を擦る。約束していた時間に、まだ安川は来ない。大晦日の夜23時、職場からやや離れた場所にある神社。待ち合わせ場所に指定した大鳥居に向かうと、そこには見知った顔がいた。安川の元上司、桐生係長。長身にキャスケットを被り襟元にはマフラー、暖かそうな黒のダウンコートに身を包み、カタカタと震えていた。
『桐生さん!もしかして初詣に?』
『ええ。…人と、待ち合わせしていてまして…』
『奇遇ですね。俺も安川待ってるんで、ちょうどいい目印になるかも』
そんなことを言ってから早くも十分が経過しようとしている。スマホには相変わらず音沙汰がなく、メールしても返信がない。痺れを切らして電話を掛けると、どうやら向こうも誰かと一緒にいるようだった。
「もしもし?今どこだよ」
『あー、もう少しで着くから…音無とばったり出くわしてさぁ』
合流したのが知っている奴で良かった。音無、というのは俺の大学の後輩であり、隣にいる桐生係長の部下だ。この桐生光という男は安川がかつてかなり世話になり、部署が変わった今でも何かと気にかけてくれるいい人らしい。実際、よく気のつく先輩だった。
「音無といんの?何で」
『あー…後で話すから。前、進んだから後でな』
「?」
「…音無…さんと一緒だったのですか」
「そうみたいですね…ったく、何してんだか」
その疑問は少ししてから解消された。前の通りから来るかと思いきや、参道側から両手に紙コップを持ち、こちらにやって来る男が二人。コートにニット帽、マフラーを身に着けた安川とジャケット一枚羽織っただけのヤンチャそうに見える音無の組み合わせは、何とも目を惹いた。すぐ近くにいる桐生さんの身長が高いこともあり、2人はすぐこちらに気づいて背後からやって来たようだ。
「…あれ、それってもしかして…」
「甘酒だよ!ここの神社の甘酒、超うまいから。さっき並んでたら音無もいたから、どうせなら一緒にって合流したんだ」
安川から甘い匂いのする紙コップを渡され、あちちと呟きながら1口啜る。じんわりあったかい温もりと、口の中に広がるツブツブは米麹らしい。酒粕臭くないからオレにも飲めた。桐生さんたちも、顔を綻ばせながら啜っている。
「あったまる~!」
「…美味しいですね」
「酒粕だと桐生さん、へべれけになりそうだから…これなら安心だなと思って」
「そういや髙野も酒はいるとすぐ寝るもんな」
「うるせいよ」
「ははっ!相変わらず仲いいですね」
笑顔を浮かべる音無の前を、白い塵のようなものが降る。次から次へと振るそれは、よく見ると雪だった。空を見上げると、フワフワ漂う砂糖みたいだ。
冷えてしまう前に飲み干した紙コップにも、音を立てず吸い込まれていく。
「!」
「うお~!雪だ…!」
少し離れた寺から除夜の鐘が鳴り出すのが聞こえ、大晦日だなと実感する。例年なら自宅でゴロゴロしてるだけなのに、今年の最後までこうして賑やかに過ごせるのはやっぱり安川のおかげなんだと思う。
元後輩の音無や桐生さんとも知り合うことになり、この1年ちっとも暇じゃなかった。髪に触れる雪が冷たくて、手で払うと安川が無言で俺の手を握ってきた。
「つめたっ!霜焼けになるだろ」
「あ、いや…うん…」
指先からぽかぽかと温まるのは甘酒の効果…だと思う。そう自分に言い聞かせることしかできなかった。音無は桐生係長に寄り添い、これからのスケジュールを打ち合わせしている。
「くじ引きして、お守り買って…」
「なら、そろそろ歩きましょうか」
「オレは甘酒もう1杯…!」
「そう言いながら飲みすぎるなよ?」
神社に向けて賑やかに参道を歩き始めると、よっつの白い息が出ては消えていく。肺まで吸い込む冷たい空気で冷静になり、無意識に安川の横顔を見ていると不意に俺と目が合った。
「ん?」
「あっ、いや……人、凄いなと思って」
「そうだよなぁ、迷子にならないように気をつけろよ」
「うん」
参拝客で賑わう参道ではぐれないようにと、誰にも見られていないことを祈りつつ安川の手を恐る恐る握った。するとその手をしっかり握り返される感触がして、思わず視線を泳がせてしまう。正直言って、恥ずかしすぎる。
「そうだ、今年1年お世話になりました」
「おう!来年も楽しくなー」
「音無さんのことを…どうかよろしくお願いします」
「なんかそれ、『ふつつかものですが』って付きそうだなぁ」
「なっ!俺は何処にも嫁に行きませんからね!」
「ふふっ…」
遠くに聞こえる除夜の鐘をぼんやりと聞きながら、初詣で何を祈ろうか頭の中にアレコレと思い浮かべていた。
来年も、こうして賑やかに過ごしながら。
初詣は二人きりで来れますように…。
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