ミシシッピーマッドパイ

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ミシシッピーマッドパイ

 とても短い冬休みは、あっという間に終わってしまった。  大晦日に初詣へ行き、その後はそれぞれ自宅に帰ったり夜食を食べに行ったりと三々五々解散する。人事部にも甘党の職員…安川の元上司に俺と同じ大学に通っていた後輩がいて、大晦日に偶然とはいえ男四人で甘酒を啜ったのは何だか面白い想い出となった。仕事の合間には昼飯を食いに行ったり、その帰りに安川おすすめのプリン専門店を教えて喜ばれたり、なんだかんだで絡んでいる。初めて四人で昼飯を食べに行った日、気さくで陽気な音無からこっそりと「安川さんと仲いいですね」と聞かれ咄嗟のことで返答に詰まった。どうやら彼も彼の上司に猛烈アタックをしたようで、何か含んだように頑張ってくださいねと励まされた。俺たちよりも後輩なのに、色々と気の付く鋭い奴だ。  そいつとは年末前に母校の就職説明会に同行したり、これからはじまる冬のインターンについて手助けをしたりとこれからも長い付き合いになりそうだ。  そんなことをぼんやり考えていた時のこと。 「おーい!髙野!」  休憩中、食堂で安川からそう呼び掛けられるのは大体何かを誘われる時、もしくは何かを頼みこまれる時だ。同僚としてそれなりに長い間、奴の近くに居て分かるようになった。 「バレンタインフェアをやってるここら辺のケーキ屋、二人で食べ...制覇しようぜ」 「今何て言い掛けたんだ?正直に言ってみろ」 「…チョコの食べ歩きがしたいです」 「正直に言えばいいのに。…別に断る理由なんて無いんだから」  クリスマスのチーズケーキは食べ損ねたけれど、それからも変わらずおれ達は同僚としてそれなりに仲良く過ごしている。…と思いたい。あの時の誘いはおれからだったけど、以降安川の方からもなんやかんやと誘われる事が増えた。正月過ぎて早くもバレンタインを狙っているなんて、こいつらしい。 「食べ歩きか…だったら人事のあの二人も誘ってみたらどうだ?」 「いーや。桐生さんと音無は二人で放置しといた方が良いんだよ…それに、俺はおまえと行きたい」  まるで告白するような言葉を真面目に云われ、面食らう。あの二人はそう言う仲に進展したのかとぼんやり考えながら、やっぱり断る理由なんてなかったので直ぐに頷いた。 「…で、何を食べに行くんだ?」 「灯影堂のチョコ羊羹、カフェ・エデンのザッハトルテ、それからほら、NY. チーズケーキを食べに行ったあの店のミシシッピーマッドパイ!」 「ミシシ…なんて?」 「ミシシッピーマッドパイ。直訳するとミシシッピー河の泥って意味なんだけど、ねっとりしたチョコ生地にチョコプリン、ホイップクリームの見るからに甘そうなパイだよ」 「へ、へぇ…聞いたことないけど、有名なのか?」 「アメリカではポピュラーな焼き菓子だよ。一般家庭にある材料で作れるから、使う材料とかアレンジがそれぞれ違うらしい。何故かバニラアイスを添えて出すことが多いんだってさ」  やけに詳しいのは彼のリサーチ能力故だろう。安川も類に漏れず、好きなものの話しになると饒舌になるようだ。かっちりとしたスーツ姿で滅茶苦茶甘そうなチョコケーキを頬張る自分たちを想像し、飲んでいる缶コーヒーを危うく噴き出しそうになった。 「…凄いシュールな絵面だな。オッサンに足かかったサラリーマンが並んでチョコケーキか」 「チーズケーキもチョコケーキも変わらないだろ!それにあの二人はホテルのスイーツバイキングに行ったんだってさ。クリスマスに男二人でな…だったら俺たちだって何だってできる!」 「⁉」  妙な対抗心と言うか、そこまでの情報を得ているのに驚いた。だったら俺たち二人は何を…と邪な想像をしてしまいそうになり、自分を落ち着かせるため深めの呼吸を繰り返す。 「……で?手始めに何処へ行くんだ?」 「オレんちでガトーショコラ作ろう」  ……波乱に満ちたバレンタインを過ごすことになりそうだ。 ×   ×   ×  仕事が終わり、早速安川の家に来たのはいい。いいが。 …どうしてこうなったんだ…? 「うんまっ!」  気が付けばこいつは自分の部屋にある座卓の前に座り、夕飯を食べている。 それも俺が作った料理を。  今日は安川の部屋に来て、調理器具とか道具とか、どの程度のものが作れるか確かめに来ただけの筈だった。それがいつの間にか、夕飯を一緒に囲んでいる。  一時間ほど前。腹が減ったと五歳児のように喚くので、仕方なく米を炊いてその間に冷蔵庫の中を確認した。何故か野菜室には大量のピーマンとしなびた長葱、チルドルームには筍の水煮と牛肉ブロックがひしめき合っている。 「なんだこのピーマン」 「貰いもんなんだけど料理するのが手間で…最近は生で齧ってるかな」  呆れて何も言えなかった。 「この筍と牛肉は?」 「肉まん作ろうと思って諦めた」 「……」  いったいどうやったらこの材料で肉まんができると思ったのだろう。  気を取り直し、今この冷蔵庫にあるものを駆使して作るとしたら何ができるか考えた。青椒肉絲、ピーマンの肉詰め、ローストビーフ、あとはレンジで下ごしらえした千切りピーマンをごま油と塩で和えたものくらいだろうか。揚げ油さえあれば、筍とピーマンで天ぷらもできなくはない。 「…おまえ、料理好きなんだよな…」 「もしかして」 「頼む!」  …この結果が冒頭に至るという訳だ。  確かに料理をするのは好きだ。しかし勝手の知らない人の家で料理をするのは初めてのことで、こいつと一緒に食事をするときは大体俺の部屋だったから 妙に緊張してしまった。ガスコンロではなくIHだし、火加減が目に見えないので首を傾げつつの調理に、若干ストレスが溜まってしまう。 「…なんでおまえの作る青椒肉絲こんなに美味いんだよ」 「調味料がいいんだろ…おまえんちの冷蔵庫の中、宝の山じゃん」 「とは言っても使いこなせないって…とりあえず冷蔵庫に入れてあるだけだ」  安川の実家は農家をやっていて、兄弟だったか親戚だったかは大手調味料メーカーに勤めている。そのおかげなのか季節の野菜と和風だしから中華総菜の素、本格的なナントカ醤まで調味料には事欠かないのだが、如何せん安川自身があまり料理をしないので食材が泣いている(ように思える)。 「…なぁ」 「ん?」 「調味料と野菜を提供するから料理作ってくれよ」 「……」  面倒だから嫌だ、と一言で切り伏せることはできなかった。 「じゃあ…そうだな……」  何か交換条件を、と切り出そうとしたが咄嗟のことで特に何も思い浮かばなかった。こういう時、好きな奴を目の前にしいて言うなら…  デートしてほしい、くらいだろうか。 「……」  言い掛けて、俺は口を噤んだ。 「うーん」 「なんで(あきら)が唸るんだよ」 「いや…なんでも……ない」  何故かこいつの顔色が赤い。紹興酒を入れ過ぎた訳でもないのに。 「…へんなの」 「食材あげる代わりに料理作ってデートしてくれ」 「……は?」  思わず自分の耳を疑った。  何で安川の交換条件が2つになってるんだ?それにデートって…  頭の中が真っ白になって、何も言えなかった。 「俺でいいの?」 「おまえしかいないじゃん」 「本気…?」 「うん」  そんなの、答えはひとつしかない。  本心では願ったり叶ったりだった。でもこいつはカノジョが欲しいだのなんだのと言っていた気がする。俺が恋愛対象になる筈がないのだ。 「なら、証拠は…」 「仕方ねぇな」  そう言うなり、安川は立ち上がって何処かに行ってしまった。程なくして戻って来ると、真っ直ぐ俺の座ってる隣にしゃがむ。 「歯ぁ食いしばれ」 「っ…!」  一瞬の後に安川の顔が近くなり、何かが俺の唇に触れて直ぐに離れた。 「んなっ、お、おまえ、」 「だから、本気だっつってんだろ」  さっきリビングを離れたのは、歯を磨きに行ったからだ。  ようやく悟ったのは、仄かに口先に感じたスペアミントの香味が鼻先に漂ってからだった。
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