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N.Yチーズケーキ
昨晩から降り続いている雪は、真っ白な絨毯に変わった。
さながら粉砂糖を振りかけた、柔らかいチーズケーキのような…。
「食い物に例えるの、腹が減るからやめろよ」
同僚が笑いながら隣を歩く。仕事帰り、今から夕飯を一緒にどうかと駄目元で誘ってみたら案外すんなりOKが出た。バスが時刻表通りに動かないからこそ、できる荒業ではある。普段忙しく時間が取れないのに、今日は悪天候で職場自体早めに切り上げることができたからなのかも知れない。
「そう言えばさ」
「ん」
「クリスマス、何してる?」
「へ?」
彼から唐突に聞かれた言葉に首を傾げてしまい、思わず変な声が出る。特に予定なんてなかったから、何も考えずに「食って寝る」とだけ言葉を返した。
仕事が終わったらスーパーに寄って、安くなったオードブルとシャンメリーを買いひとりで夕飯を食べる。クリスマスなんて何年も「実にうまい夕飯の日」ぐらいでしかない。特に特別感やありがたみもなく、その年に食べたいケーキを頬張る独り身の夜は大して苦にならなかった。
「そんなんだからカノジョできないんだろ」
「うるせー」
余計なお世話だと思いつつ、図星なのが少し悔しい。真っ白な吐く息が外気温の低さを表しているけれど、不思議と寒くは感じなかった。アーケードを避けて降る雪が、歩道沿いに降り積もる。
「…そういうお前は?彼女とクリスマスデート…あ、恋人いなかったっけ」
「おっまえ喧嘩売ってんのか」
奴はバカヤローと罵りながらも笑っている。職場でこんな会話はできないから、気楽に喋れる帰り道は実に楽しい。
同じ年に新卒入社した彼、髙野利久と俺は、研修を経て違う部署に配属されてからもそれなりに仲が良かった。その頃からたまに徹夜でオンラインゲームしたりとか、一緒に火鍋食いに行ったりとかそれなりに楽しい業後を共に過ごしていた。最近はお互い役職と部下を持つようになり忙しくて、まともに会話をするのも久しぶりだ。話し始めればまるで長い間会えなかった友達のような、妙な安心感がある。
「結局お互いロンリークリスマスか」
「毎年のことだろ?今更…」
俺が言いかけた言葉が詰まったのは、少し前を歩いていた髙野が急に足を止めたから。ぶつかりそうになった俺の顔を、振り返って何故かじっと見ている。
「…だったらロンリーじゃない夜にしようぜ。俺と朗で」
「……」
「………」
「ぶはっ!!おまえそれ本気かよ!」
「本気だよ」
いつになく真剣な表情を見せる髙野に、少しだけドキリとする。二重瞼と長い睫毛が特徴的で綺麗な顔と、31歳という若さで係長になった男なんだから、女の子が放っておかない筈なのに。実際合コンや飲みに誘われているらしいけれど、女子からの誘いにはなびかず俺の誘いにはホイホイ着いてくるのが何故なのかよく分からない。
「…それじゃ、続きは店の中で聞くから」
偶然にも目的の店に到着し、俺は髙野とほぼ同時に入口のドアを開けた。
× × ×
「チーズケーキ食いに行こう」
「は?」
開口一番言われたのは予想していなかった単語だ。「何で」と聞けば俺のせいだと言いながら、髙野は単身冷水を取りに向かう。
着いたのは何の変哲もないラーメン屋だった。夜の営業は水とおしぼりはセルフサービスで取りに行く必要がある。それでも白米が一杯無料で食べられる、いまどき太っ腹な店だった。店の名前は「中華そば 昇天軒」、何とも縁起がいいのか悪いのかよく分からない名前だった。
「俺、味噌がいい」
「じゃあおれはチャーシュー麺にしようかな」
壁に貼られたメニューを見ているとすぐ傍から髙野の声が聞こえてきて、不意に顔を上げるとテーブルの向かいに座った奴と目が合った。何時の間にか俺の傍らに冷グラスとおしぼりが置かれている。
「…どうした?」
「あ、いや…何でも」
「なんか今日のお前変だな?」
「そんなことない。すいません、注文お願いします」
「はいよ!」
威勢のいい声が聞こえて、髙野が手早く味噌ラーメンとチャーシュー麺を注文し、店員に復唱されると二人で頷いた。店員が足早に厨房へ向かう背中を見送り、先程の真意を確かめる。
「…んで、何でチーズケーキなんだよ」
「おまえが雪の塊をチーズケーキみたいだって言い出すから」
「え?」
そう言えばさっきそんなこと言ったなぁとぼんやり考え、まさかそんなことがきっかけだとは思わず笑えてくる。
「ははっ!それはたまたまで…」
「おまえの所為でチーズケーキ食いたくなったんだからな。責任持ってそれくらい付き合えよ」
「分かった分かった。それじゃ、髙野の奢りで」
「いいのか?!おれ美味い店知ってんだ」
むしろこちらの台詞だ。
何が悲しくてクリスマスに男二人でチーズケーキを…とは思いつつ、俺の中でもかなり楽しみになっていた。それも俺が大好きなチーズケーキとくれば、断る理由なんてない。
「味噌ラーメンとチャーシュー麺、お待たせ!」
湯気の立つどんぶりがふたつ乗ったお盆を持ったおばちゃんが、声を掛けながらやってくる。いい匂いが辺りに充満した。
「「いただきます!」」
空きっ腹には美味そうな匂いだけで堪らないご馳走となった。匂いだけじゃなく、味も格別の美味さだ。
「…誰かと食べる夕飯なんて久しぶりだ」
髙野が嬉しそうに笑った。
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