星あかり 街あかり 恋あかり 《前編》

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*     *     * 公園の中の木には――外周を覆うスチール製フェンスの一部にも――、幾つもの淡い光の蔓が巻き付き、彩られていた。シャンパンゴールドのイルミネーションだ。そういえば、この公園もイルミネーションが綺麗で、しかも穴場なんだと洋食屋のことを教えてくれた団員が言っていたように思う。 「今入り口まで来た。ほんで――」  桜和は思わず立ち止まる。 (……あれ……?)  公園の入り口を入ったところに移動販売車があった。公園内に入り、さらに数歩車に近づき、カウンター内を視線だけで覗く。すると煌々と点いている明かりの中、キャップを被って背を向けているらしい人物が二人見えた。 「なんの店……?」  もしクレープ屋とかだったらホットコーヒーが売ってないだろうかと外に出してあるメニュー表の看板をざっと見る。――瞬間、衝撃が走った。 「お茶漬け……だと……⁉」 〈え、桜和さん?〉  小声とはいえ思いきり訝しさを出して呟いてしまったら、冴弦も負けないくらいの勢いで訝しんだ。冴弦からはお茶漬けの看板が見えないのだ、当たり前である。 〈桜和さん、着いたよ〉  その声に車道を振り返ると、ちょうど冴弦の愛車が通り過ぎた。桜和は一度公園から歩道へと出る。そのまま冴弦の車が通り過ぎた方へ視線を向けると、数メートル離れた場所の、五台ほど停められる駐車スペースに滑り込んでいた。冴弦は器用に一回で白線内に車を停め、すぐにエンジンを切って降りてくる。 「桜和さんっ」  小走りにこちらに向かってくる冴弦。その笑顔にくらりと軽く目眩を覚えて。 「冴弦…っ」  桜和も頬が熱いのを自覚しながら冴弦に近づく。 「お待たせ。遅くなってごめんね」  目の前まで来た冴弦にぐっと手を引っ張られ、手を繋いだまま公園入り口まで歩く。そして公園内に入り、歩道から死角になる入り口脇の看板と樹の間で立ち止まったと思ったら、もう腕の中に閉じ込められていた。 (なんで)  抱き締められたかったってわかるんだろう、と考えながらも冴弦の背中に両腕を回し、直後、そうなることを全部知っている感覚で唇に触れた熱を受け止め、食んだ。 (待ってた)  この、優しく包み込んでくれるぬくもりを。  不安も、寒さも、痛みも、全部消して包み込んでくれる優しさ。 「ん、っ…ふっ……」  一瞬、唇を離して吐息を絡め、また重ねて吸い合う。蕩けていく心が気持ち良い。 (なんで、なんて)  きっと特別な理由なんてない。 (だって本能じゃん)  どんな時でも互いを求め合ってしまうのは――。 「……桜和さん?何か手、あったかいね?」  桜和の髪や顔にキスをしながら冴弦が言う。視線を上げたら唇をちゅっと短く吸われたので、桜和は照れくさくて、俯き加減で身じろいだ。 「これ、……かな?」 「カイロ?」 「冴弦、これいる?」 「それよりどうして下向いてるの?キスできないよ」  冴弦の指先が前髪を柔らかく梳く。死ぬほど恥ずかしかったが、桜和は気力を総動員して視線を上げた。 「――」  ふわり、と冴弦が笑んで。  その澄んだ瞳に囚われた次の瞬間、そっと重ねられた唇のぬくもりに、桜和は目を閉じながら泣きそうに幸せを噛み締めた。 「……じゃあ、お店行こっか」  長いキスの後、唇を離した冴弦がそう言って桜和の頭を撫でる。ゆっくりと離れていく身体に、桜和は思わず冴弦のコートの袖口を掴んでいた。 「桜和さん……?」  さすがに面食らった顔をして冴弦が桜和を見る。桜和は「あ」と小さく漏らしてしまってから、もだもだと言葉を続けた。 「おっオムライスなんだけどっ……今度にしない?」 「どうしたの?体調悪い?」 「えーとっ、じゃなくて、別のもん食いたくなったって言うか……」 「そうなの?何食べたいの?」 「お茶漬け」 「やっぱ体調悪いんでしょ⁉」 「違う違う違うっ‼」  がっと両肩を摑まれ揺さぶられて、桜和はその状態で首をぶんぶん横に振る。すぐに冴弦は手を放してくれたが、心配そうに桜和を見ている。それに笑いを噛み殺しながら、数メートル先の移動販売車を指差した。 「あれってお茶漬けメインでやってる店っぽくてさ」  冴弦が目を丸くして桜和と車を交互に見る。 「お茶漬けっ?」  言いながら当たり前のように桜和と手を繋ぎ指を絡めた冴弦。きゅっと握られどきりとしたが、冴弦はそのまま移動販売車に向かって歩き始めた。桜和もドギマギしながら冴弦の隣を並んで歩く。が、握り返した氷のような冴弦の手――冴弦は冷え性なのだ――によって急激に奪われる体温。それを少しでも抑えようと、慌てて自分と冴弦の手の甲や指に必死でカイロを押し当てていた。 「……ほんとだ。しかもうまそう」  看板を見て小さく呟いた冴弦が、ぱっとこっちを見て微笑った。 「じゃあお茶漬け食べよ。桜和さん、楽器ケース貸して」  なんで、と訊き返そうと思ったら、いきなりカイロを持った桜和の手を、カイロごと両手で包むように握ってきた。桜和は再び襲ってきたときめきで悲鳴を上げそうになったが、すんでのところで飲み込んだ。 「食べるのに邪魔でしょ?車に置いてくるよ。――桜和さん?溺れそうになってるけどどうしたの?それとも酸素が足りないの?」 「何でもないですお願いしますっ‼……あ、でも一個だけいい?」 「うん」 「この前ばら撒かれたカイロ、どうした?」 「寒かったから貰ってすぐにありがたく使わせてもらったけど」 「だよな。そんな気してた」 「……じゃあどうして聞いたんだろ」  不思議そうに笑った冴弦だが、すぐに気持ちを切り替えたようで、桜和の楽器ケースを持って車へと歩いて行った。その背中を見送りながら桜和は唸る。まさか照れが限界を超え〝カイロを持ってたらそれ使ってもらってそろそろ俺の手は解放してくれませんか〟とは言えなかった。冴弦も桜和と手を繋ぎたいのだ。それはわかる。わかるのだが、きっと桜和の体温で暖を取る目的もあるに違いない。 (手ぇ繋ぐの嬉しいしっ!嬉しいけどさあああっ!) それから桜和は熱くなった頬を冷ますために両手で扇いだり、ぷるぷる頭を振ったりしていた。――数分後、戻ってきた冴弦がくすくす笑い、「なに可愛いことしてるの」と顔を覗き込んできたため、さらに顔を熱くさせ心臓を無駄にばくばくいわせるはめになったのだが。 「――すみませーんっ」 桜和の心臓が爆発するより早くメニューを決め、冴弦がカウンターの中に声を掛ける。そして桜和と自分のメニューを注文している間、桜和は自分の鞄から財布を取り出した。が、何故か財布を冴弦にひょいっと奪われ、再び桜和の鞄の奥底へとしまい込まれてしまった。 「何すんだよっ」 「おれが払うから」 「なんでっ」 「オムライスもおれが払うつもりだったし」 「俺が食うもんくらい俺が払うわっ」 「それ言うなら、おれが食べる桜和さんの食べものは、おれが支払うんでしょ?だからここの支払いは当然おれ。ね?」 「……うん……?」 「おれを甘やかすにしても必ず最初に可愛い抵抗するよね。この場で食べちゃいたいくらい可愛いからね、それ」 「……そう、か……?」  もの凄く真剣な表情と口調でもの凄いことを言われたような気がしたが、冴弦ワールドに引きずり込まれて思考が停止したのか、謎のまま曖昧に頷いてしまった。が、それでも冴弦は満足そうに微笑って自分の財布から二人分のお茶漬け代を払ってくれたのだった。 しばらくすると、お待たせしました、とさっそくお茶漬けが出てきた。桜和に手渡された木製の丼ぶりからは湯気が出ていて、玄米の良い香りがした。牛しゃぶ茶漬けだ。冴弦が受け取ったのは味噌おむすび茶漬けで、こちらも丼ぶりから湯気が立ち、味噌の香りがしている。 「公園内ならどこで食べてもいいですよ。食べ終わったら丼ぶりは返しに来るか、ベンチの隅に置くかしてください」 「ベンチに置くのってまずくないですか?」  一旦丼ぶりをすぐ横にある丸テーブルの上に置いた桜和は驚いて聞き返した。が、店員は公園をちらっと見て、 「丼ぶりは三十分おきに公園内を回って回収します。うちの店、そこら辺はきっちりしてるんで」  全開の笑顔で言った。なるほど、と桜和は冴弦と顔を見合わせ、店員に笑顔を返してから丼ぶりを持って公園の奥へと歩いて行く。見渡せる範囲に人はいないようだが、遠くから数人の笑い声は聞こえてくる。 「この辺でいい?」  イルミネーションで飾られた公園内の、ちょうど東京タワーが見える場所のベンチを指差す冴弦。桜和は無言で頷いて、抱えた丼ぶりに注意しつつベンチの端に座る。 「つッ…めた‼」 「きっとベンチ冷え冷えだよね。桜和さん、そんな冷たいんじゃ身体も冷えちゃうだろうから、今夜おれと一緒に風呂入るでしょ?」 「なんでっ?」  ぎっと睨みつけたらしょんぼりした表情になった冴弦が、それでも往生際悪く「素直じゃないなあ」と呟いて桜和の隣に座った。しかし途端にぐっと耐える表情を見せる。 「……冷たいんだろ?」 「…っ…たくない……」 「きつそうな顔してんじゃん」 「気のせいだよっ」  桜和は吹き出し、冴弦との隙間を無くすようにもそもそと身体をくっつける。ついでに冴弦の冷たい頬にちゅっと音を立てて唇を押し当てて。 「これプラスお茶漬け食えば温まるんじゃねーの?」  そう言ったものの照れくさくて笑ったら、冴弦が真っ赤になって頷いた。 (そーいや不意打ちに弱いんだよな、こいつ……)  冴弦から視線を外して桜和は思う。桜和としては、時々そんな冴弦が見られるのも嬉しかったりするのだが。 「桜和さん……?」 「ん?」 「あと……一緒に風呂入ってくれたら風邪も引かなくてすむかも……」 「がっつり引いてくださいね、風邪‼なんならインフルでも‼」 桜和はそう言って暗に〝一緒に風呂〟を却下し、それから誤魔化すように口の中で「いただきます」と挨拶をすると、木の匙を持ってお茶漬けをひと口掬う。このまま持っていれば外気で十分適温に冷めそうだが、息を吹きかけ粗熱をとってから口に入れた。 「…んーっ、これ斬新でうまいなっ!」  ごまだれの牛しゃぶを玄米茶でいただくお茶漬け。なかなかハマりそうである。味は良いし身体も温まるしどんどん食べよう、と二口目を掬ったのだが――。 「……冴弦、いい加減視線が鬱陶しい」  咀嚼している桜和の頬――冴弦はこれを頬袋と言ってきかない――に熱視線を送り続けている冴弦に、匙の上をじっと見たまま低く告げる。 「……ごめんっ」  十秒ほどして我に返ったらしい冴弦が、わたわたと自分の丼ぶりに匙を突っ込むのが視界の隅に映った。桜和も熱々のご飯に息を吹きかけ粗熱をとって口に入れる。 「わっ、これうまいっ」  その声に隣を見ると、丼ぶりの中のお茶漬けを食べた冴弦が嬉しそうにこちらを見て微笑ったところだった。それに笑みを返したら、ご飯を乗せた匙が口元に近づいてきた。 「桜和さんにも、ひと口♡」  桜和は少し考えてから後れ毛を耳に掛け、冴弦のことは一切見ずにその匙にパクリと噛みつく。――それなのに。 「かわい…っ」  不意に心底幸せそうな冴弦の声が耳に届いてしまい、桜和はぱっと顔を上げた。 「っ!」  愛情深い瞳、そして幸せで堪らないといったように微笑う冴弦。桜和の、大好きな笑顔。 「――」 咄嗟に俯いた。そのまま顔を上げるどころかまともに咀嚼すらできずにいる。どうしよう好きすぎるどうしよう、と下を向きうごうごしていると、冴弦が丼ぶりの中の汁を啜る音がした。 「この味噌、うまいよね。たぶんこれ手作りなんじゃないかな。そうそう、手作り味噌といえば少し前のことなんだけどさ――……桜和さん?」 「………っ」  桜和は俯いたまま、むぐむぐと何とか咀嚼をするが一向に飲み込めない。 「どうしたの?火傷した?」  桜和は無言で首を横に振る。 「じゃあ、口の中噛んじゃった?」  それにも首を横に振ったら、冴弦が自分の丼ぶりをベンチの座面に置いて立ち上がった。そして桜和の頭をそっと撫でてくれて。ごそごそと音がしたので視線を上げたら、冴弦がデイパックからポケットティッシュを取り出しそれを桜和に握らせてくれた。 「苦手な味だったかな。気づかなくてごめんね。無理しないでここに吐き出してね。すぐにお茶買ってくるから」  そう言って、冴弦が見える位置にある自販機へ駆けて行く。桜和は熱くて仕方ない顔を上げて冴弦のその後ろ姿、そして自販機の明かりに照らされる横顔を見る。 「…………」  そういえば俺も不意打ちに弱かったじゃん、と心の中で盛大に自分に突っ込んで、桜和は口の中で咀嚼しきれていないものを飲み込んだ。
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