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* * *
二人の丼ぶりが空になる頃には身体も十分温まった。寄り添い、イルミネーションを見ながらいつの間にか手を繋ぎ、そっと視線を交わしてはこっそりキスをして。
「冴弦、知ってた?明日の朝の気温、マイナスだってさ」
「えー……これ以上寒くなるの?」
「わっ、風冷てっ」
そんな会話を何回も交わしたけれど、なかなか「そろそろ帰ろう」と切り出せない。
(や、でも)
本当にそろそろ切り上げないと、寒がりで冷え性の冴弦が冗談ではなく風邪を引いてしまう。そう思い、とりあえず今の時刻を確認しようと、のろのろとコートのポケットに空いている方の手を突っ込んだ時――。
「見ちゃダメ」
拗ねたような口調で、冴弦が桜和の手をコートの上からきゅっと握った。桜和は一瞬目を見開く。すると、完全に拗ねた表情を見せた冴弦がぼそぼそと続けた。
「今夜、どっちのマンションに泊まるにしたって、帰るには車を運転するし、それには一旦手を放さなきゃでしょ。でも今、おれは桜和さんと一ミリも離れたくないよ」
もう少しぬくもりを感じていたい気持ちは一緒だった。桜和は泣きそうになりながら、冴弦の腕にぎゅっと縋りつくように抱き着く。
「桜和さん……」
冴弦の唇が髪に口づける感触がして。
その肩越し、遠くのイルミネーションがゆらゆら揺れている。溜まった涙で視界が滲んでいるからなのだが、しかしそのせいで幻想的に映り、綺麗だった。あれだけ冷たかった空気も、冴弦の優しいぬくもりをこんなにも感じることができるなら嬉しいとさえ思っている。
「…………」
桜和はゆっくり顔を上げた。冴弦が指先で乱れた髪を梳いて整えてくれる。
そのまま、ふわりと唇同士が重なって。
「桜和さん、大好きだよ」
囁く冴弦の言葉の語尾に重なったのは、夜風に運ばれた闇だった。
(え――?)
いきなり辺りが暗闇に覆われたのだ。――否、見回すと東京タワーもまだ明るいし、よく見れば今いる場所も全くの暗闇というわけではない。公園の街灯は点ったままで、入り口にある移動販売車の明かりだって見えた。そのまま公園の外に目を向ければ、並んでいる店の中も明かりは点いている。けれど、全体としては来た時より明らかに光源が落ちていた。
「あ、そっか……!」
冴弦が呟くと同時に桜和もはっとする。公園内外のイルミネーションだけが消えていたのだ。
「もうイルミネーション終わりですよ?」
不意に声を掛けられてそちらを見ると、移動販売車の店員が、片手には重ねた丼ぶりを、そしてもう片方の手には大きなゴミ袋と懐中電灯を持ち、こちらに向かって歩いて来ていた。どうやら丼ぶりを回収中のようだ。
「暗……」
思わず呟いてしまったら、店員がこちらを見て小さく苦笑して、遠慮気味に、
「いい雰囲気でした?」
あろうことかそう聞いてきた。不自然とわかっているのだが、桜和は立ち上がり、何も聞こえなかったふりで二人に背を向けた。どうにか誤魔化してくれ、と冴弦に託したのだ。――だが、直後にそれをとんでもなく後悔した。
「ものすごく盛り上がってこれからって時に、イルミネーションが消えました」
「それは……残念でしたね……」
「冴弦ーっ‼」
振り向きざま、冴弦の頭の側面を拳で張り倒した桜和である。
(くっそ‼油断したっ‼)
店員に思いきり同情の視線を向けられ本気でしょんぼりしている冴弦の口を、何としてでも三秒前の時点で塞いでおくべきだった。
「お疲れさまでしたッ‼」
その言葉を腹の底から出して冴弦に叩きつける。そしてベンチに置いた鞄を掴んだ時だ。
「あのっ、じゃあ、あっちに雑貨屋さんあっていろんなもの売ってるから、二人で買い物して帰ってくださいっ」
突然、罪悪感を覚えたらしい店員にそんなふうに言われた。あっち、と大通りを指差している。
「買い物しながら、仲直りしてくださいねっ!」
さらに力強く言われて、その必死さに桜和は思わず頷いてしまった。
桜和と冴弦は店員に丼ぶりを渡して礼を言うと公園を出た。そして通りにある雑貨屋まで手を繋いで歩いたが、冴弦のぬくもりがあまりにも優しくて、許すとか許さないとかはもうどうでも良くなっていた。
雑貨屋に入るとさほど広くない店内には、ぬいぐるみや抱き枕、手袋や壁掛け時計、そしてアロマキャンドルが並んでいた。桜和は何となくアロマキャンドルが売っている一角へと足を運ぶ。そこには可愛らしいキャンドルが並び、可愛いものも好きな桜和としては〝ずっと見ていられる〟の心境だった。
「種類が豊富だね。どれか買ってこっか」
冴弦に言われ、桜和は数回頷く。すると冴弦も嬉しそうに微笑った。そして冴弦がキャンドルに手を伸ばしたので、桜和も籠の中にあるキャンドルを両手に取って見比べながら、
「今日、俺んちくる?」
「ここからなら桜和さんちよりおれの家の方が近いから、おれんちじゃダメ?」
「いーけどお前んちには最近集めてる人骨がごろごろ転がってんじゃん。その状態でキャンドル灯したら何かの儀式始まりそうじゃん?」
「作家仲間からのプレゼントを猟奇的に形容しないでくれる?あれ、お洒落ドクロだから。お洒落なシルクハット被ってる子もいるし、ポップでキュートだとおれは思ってるんだけど」
むっとした様子の冴弦がこちらを軽く睨む。桜和はそれを華麗にスルーして、籠の隣に並べられた桜色をした丸い形のキャンドルを手に取った。
「お、これ可愛いな」
「桜和さんっ!」
「へえ、これ風呂で浮かぶんだって」
「桜和さん聞いてな――……え?風呂?」
興味が湧いたのか、冴弦も桜和の手の中のキャンドルを覗き込んできた。それから陳列されている中から薄紺色の丸いキャンドルを手に取り、本体を覆っているビニール袋に貼られた説明書きにじっくり目を通している。
「……なるほど。桜和さん、これにしようよ」
「即決だな。何書いてあったん?」
「風呂で火を灯すとマイナスイオンが滝並みになるそうだよ。めっちゃ癒されるってことだよ。やりたくない?おれはやりたい。めちゃくちゃやりたい」
「そんなに?」
桜和は吹き出す。冴弦は意外にこういうものも好きなのか、と微笑ましく思ってしまった。
「桜和さんはやりたくないの?」
「やりたいっ」
「だよね。やりたいよね。風呂でね。よし、決まりっ」
いたずらっぽく笑う冴弦に桜和も笑みを返す。そして風呂に浮かべるキャンドルを二個と、その他にも何種類かのキャンドルが入ったアソートを買ってから店を出た。
「あれ……?」
桜和は夜空を見上げる。
黒いビロードが覆う東京の空。ちらちらと白い羽根のような雪が舞い落ちていた。
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