星あかり 街あかり 恋あかり《後編》

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星あかり 街あかり 恋あかり《後編》

*     *     *  冴弦の住むマンションに着き、風呂を沸かしている間、二人で浴室内をキャンドルで簡単に飾った。それからリビングに戻り、少しして風呂が沸いた電子音が鳴った。その瞬間、それまでソファで一緒にブランケットに包まり、桜和にくっつき桜和の体温で暖を取っていた冴弦が勢いをつけて立ち上がった。と思ったら、桜和を抱きかかえるようにして立たせる。 「へあっ?」  桜和はそのまま、母猫に首根っこを銜えられた子猫よろしく脱衣所に連行され、結っていた髪を一度解かれたと思ったらお団子に結い直された。直後、抵抗も虚しく冴弦の笑顔と優しいキスに絆され服を脱がされてしまった。そして洗い場で腕まくりをした冴弦に素早く且つ丁寧に身体を洗われ、湯が張ってある湯船に放り込まれたのである。 「ちょっと待っててね。今、キャンドルに火点けちゃうから」  そう言うと、冴弦は嬉々として浴室から出て行った。 「…………」  あまりの手際の良さに桜和は、無心でこの浴室の主という設定である二匹のアヒルのおもちゃを湯に浮かべ、人差し指でつつきながら冴弦を待ってしまった。――ちなみに浴室の主云々の設定は、もちろん以前冴弦が大真面目にしていた与太話である。 「お待たせ」  戻ってきた冴弦の手には、先ほどの雑貨屋で買った点火棒ライターと、湯に浮かべるタイプの丸型のキャンドルが二個握られていた。 「あ、さっき買ったやつ」  微笑って頷く冴弦を視線で追っていると、まず薄紺色と桜色の丸いキャンドルを、浴槽の端に寄せた蓋の上に無造作に置いた。蓋には念のために渇いたタオルが敷いてある。次に、あらかじめ洗い場や浴槽の縁の一部分に置いた、短くて太い、パステルカラーのキャンドル数本に火を灯していく。その様子を見ながら、何だかんだでアロマキャンドルは買わなかったな、と桜和はぼんやり思った。  やがて浴室内に立てたキャンドル全てに火が灯され、冴弦が脱衣所と浴室内の電気を消す。 「おーっ、すげえ……!」  揺れる大小の灯火。凛とした存在感があるのに、どこか儚いそれは――。 (これって)  知っている気がして。  桜和は浴槽の縁に頬杖をついて、ゆるりと動く炎を見る。揺れている幾つもの遠火。 (そうだ)  先ほど公園内で、冴弦に抱き着いた時に見た世界。滲む視界の先にあった、淡く灯るイルミネーションのようだった。 「――ってお前さあっ、何いそいそと脱いできて身体まで洗ってんのっ⁉」 「えー?♡」  いつの間にか裸で浴室内に戻って来て身体を洗い、ボディソープの泡をシャワーで――火が灯ったキャンドルに細心の注意をしつつ――洗い流していた冴弦に向かって桜和は凄む。だが、冴弦は肩越しにこちらを振り返り、緩んだ表情で実に嬉しそうに笑っただけだった。――嫌な予感しかしない。 「外寒かったし、たまにはいいじゃない♡」 「ちょっ……おい待っ、……やっっっっっっぱり‼」  案の定、シャワーを止めた冴弦がにこにこしながら浴槽に入ってきた。桜和が身体を大きく引くと勢いよく湯船の湯が撥ね、洗い場に溢れ落ちる。 「桜和さん大好きっ‼♡」 「うるせえあっち行けっ‼」 「うんうん♡」 「なんかおかしいとは思ってたんだよなっ!」 「はいはい♡」 「正直ここまでの間、点灯イベントあったから油断してたんだけどさあっ!」 「まあまあ♡」 「お前が入って来ること察して思っくそどついて追い出しとけば良かったあっ!」 「もーうっ、うっかりさん♡」 「諦めてなかったんかこンの猟奇的確信犯がーっ‼」 「♡♡♡」  全力で悪態をついたのだが、冴弦はへこたれることはなかった。背後から桜和の身体をがっちり脚の間で挟むようにして、桜和の上半身を両腕でぎゅうっと抱き締め閉じ込めることにまんまと成功していたのだ。 (俺を陥れるまでの構成があまりに本気度高いし、自然過ぎるうえ完璧じゃねーかっ‼)  確かに冴弦とは深い仲であり、肌を重ねることももう何度もしているが、〝一緒に風呂〟は恥ずかしい。照れる。死んでしまう。事後ならシラフではないのでギリギリセーフなのだが。 (だから可能な限り逃げてんのに…ッ…‼)  それなのにこうして、冴弦の口車に乗せられたり、強制連行されたり、笑顔に絆されたりして、結局一緒に入ってしまっているのは何故なのか。 「…………」  わかり切った自問自答に早くものぼせそうだ。  ――そして盛大に溢れ出て波が立っていた湯が落ち着いた頃。  桜和は今さらとわかっていながらも、流れ込む冴弦の『想い』を強く感じ、照れまくり、拗らせまくり、桜和自身も無言で冴弦への『想い』を爆発させていた。  背中に触れる冴弦の胸板の感触と、桜和を包む力強くも優しい腕に、良からぬ妄想がかき立てられる。しかも冴弦が桜和の肩に顎を乗せるようにして顔をくっつけているため、吐息が時々耳にかかるのだ。桜和はなるべく動かないようにして、炎の揺らめきだけに集中した。 (あの火を一つ消すごとにうまい肉出てきてくんねーかな焼肉とかステーキとかハンバーグでもいいしこの際オムライスでもいいやそれとビールがついてればサイコーなんだけど最近は日本酒もうまいし好き)  脳内で全く関係のないことを考えて現実逃避をする。そうでもしないとマズイことになりそうなのだ。 (そりゃ……欲情もするって……)  そう思ってからはっとして、再び美味しいお肉と酒リストを並べる。ランキングを作れるんじゃないかといったレベルで。  ――だから。 「――桜和さんっ」  冴弦に呼ばれていることに、今、気がついた。 「はははははいっ?」 「そこのライターと丸いキャンドル取って。お湯に浮かべようよ」  桜和はばっと顔を上げ、蓋の上に置いてあるライターを身体の前の冴弦の右手に渡す。薄紺色の丸いキャンドルは桜和が両手で持った。そのキャンドルの芯に小さく灯される炎。桜和はそっと湯に浮かべる。 「あっ……」  一瞬、倒れるかと焦ったが、丸いキャンドルは想像より安定が良く、ゆらゆらと浮かんでいた。 「じゃあ桜和さん、桜色の方は一緒にライター持って火点けよっか♡」 「お前の妄想、見え見え過ぎて引くわ」 「え、桜和さん普段しないの?おれたちの結婚式妄想とか」 「逆に聞くけどお前してんの?」 「してるけど」  当然だよね、どころか、してない方がおかしくない?というニュアンスで言い切られてしまった。 「実際にネットで式場の検索とかもしてるから、式挙げたかったら言ってね。式場見学も一緒に行こうね」 「ないな」 「何が」 「全部ひっくるめて、あり得ない」 「全部って、それは何かの距離の話なの?それとも何かのキャパ的な話?」 「俺とお前の心の距離とか、お前の小宇宙的思考回路を受け入れられるかどうかの容量的な話?」 「それじゃあゼロ距離どころかくっついて混ざって離れないし、容量は無制限だからお互いに安心だね!」  むっとした様子の冴弦が一気に言って、やや強引に左手を伸ばす。そして蓋の上にある桜色のキャンドルを取ると、桜和の目の前でそれにも火を灯した。 「怒るなよ」  桜和は思わず喉で笑う。そうしながら冴弦の持つ丸いキャンドルとライターを受け取り、ライターは蓋の上に置き、火が揺らめく桜色のキャンドルは薄紺色のキャンドルの隣にそっと浮かべた。 「怒ってないよ。拗ねてるだけ」  そう言った冴弦の素直さも可笑しかったし、口調が〝拗ねている〟の見本のようだったのも可笑しくて、声を上げて笑ってしまった。すると再び両腕でぎゅうぎゅう抱き締められた。桜和は首を回らせて冴弦を見て、そのまま頭を擦り寄せるようにする。 「ほんじゃ俺がその斜めった機嫌直してやるからさ」 「傾かせた張本人でしょーがっ」 「その張本人にキスし放題なんだけど、そういうのいらないん?」  その言葉に冴弦がぐっと詰まる。どうやらもの凄く欲しいらしい。数秒じりじりと見つめ合い、やがて冴弦が桜和から視線を外して大きく息を吐いた。桜和はにっこり笑う。 「なあ冴弦、俺の勝ちだよな?」 「うるさいよ」 「ふふっ」  勝利の爽快感に機嫌よく笑っていたら、次の瞬間、ぐわ、と頭に衝撃が襲って目の前で軽く火花が散った。遅れてやってきた軽い痛みと少しの目眩、そして間近にある瞳に、冴弦の額が桜和の頭めがけて突っ込んできたんだとようやく気づく。しかしそれはいつもとは違い、前方不注意の大事故ですよとツッコミたくなるほどの勢いだった。 「いっ……てぇ……ひづ――」  言いかけた瞬間、ふ、と額が離れて。 (また)  まなざしが近づいて。――重なった、唇同士。 「…っ…」  軽く食まれて頬が熱くなる。桜和は身体を少し捻ってなるべく冴弦の方を向きながら、目を瞑り、重ねられた唇の角度を変えて吸う。すると、ちゅ、と小さな音を立てて唇が解けていった。 「……そんなふうに煽らないでってば……」  我慢してるんだから、と欲を含む瞳で恨みがましく言われたものの、そんなつもりは一切なくて、桜和は慌てて正面を向く。 「いっ、いいか冴弦。……今から、大っ事なこと言うからな。……えと……っ」  噛んで含めるように言った桜和は頭をフル回転させ――そして深く頷いてから口を開いた。 「そこは大きな愛で耐えろ」 「うそおっ⁉違うよね⁉そこは桜和さんの素直な気持ち伝えるとこだよね⁉」  桜和は再び声を上げて笑い、自分を抱く冴弦の手に両手を重ね、背後の胸板に寄りかかるようにした。 「機嫌直せよ冴弦っ、仲直りしないとキャンドル買ってきた意味ないだろっ」 「桜和さんてほんっっっと時々意地悪だよね!」  意地悪すぎる可愛すぎるっ、と桜和をぎゅうぎゅう抱き締める冴弦。どうして最終的に可愛いがつくんだ、と可笑しくて、抱き締められながら笑いが止まらない。笑う度に浮かべた二つのキャンドルが揺れて、ぶつかり、離れて、寄り添うようにまた近づいた。 「意地悪な桜和さんはお嫌い?」  振り返り、上目にいたずらっぽく聞いてみたら、冴弦が桜和をきつく抱いたまま、髪に顔を埋めてきて大きく首を横に振る。 「おれ、桜和さんに関することで想定外なのは、毎瞬アップグレードされる可愛さの更新スピードだけって思ってるし。だから安心して」  不安になったつもりはないが、嬉しいと素直に思える言葉だ。嬉しさのあまり冴弦を振り返り、唇の端にちゅうっとキスをしてしまったほどである。 「まっまあ、でも、さ…っ」  直後、真っ赤なまま呆ける冴弦の顔を見て急激に照れてしまった桜和は、もだもだと正面に向き直って言葉を探して紡ぐ。 「け、けんかした日が多かろーが、五年後も十年後も冴弦の隣にいて一緒に歩いていられたらいいかなあ、って思うんだよな」  流れる街中のイルミネーション。灯り、揺らめくキャンドルの炎。空から舞い落ちる雪。今日交わした笑顔と、温かなまなざし。心の奥に残してしまった傷と、それを癒した優しい時間。そして、叶うと信じている未来。冴弦との過ごした日々、そしてこれから希う明日を、パズルのピースみたく次々に嵌め込んでいきたくて。 「だけど十年後一緒にいるには、良いことも悪いことも、数えられるくらいじゃダメじゃん」 「あー、何かそれはわかる気がするな」  冴弦が微笑う気配がした。続けて、 「遠い未来で一緒に過去を懐かしむ時に、良いことも悪いこともたくさんあったけど、一つ一つの出来事を明確に思い出せなくても、今も一緒に歩いてる、二人でいることが何だかんだ幸せ、って、それくらいに思うのがちょうどいいよね」  その声音に、きゅう、と心臓が甘く締めつけられて。浴室内に静かに響く冴弦の柔らかな声音に耳を傾ける。 「根底に流れる『想い』はきっと、何十年後も変わらずにお互いに向けられるでしょ?そこを大切にして間違わなければ、言葉や枠には縛られない『おれたちだけの関係』でいられるよ。――だから、大切に『今』を紡いでいこう」  断言してくれる冴弦の言葉が嬉しい。今の二人のことを、冴弦がどんなに大切に、愛おしく、これから先も〝守っていきたい〟と思っているかが伝わってくる。 (同じこと思ってる)  桜和はそっと微笑う。  今夜、一人で歩いていた時の泣きそうに寒かった孤独も、冴弦に抱き締められ、触れた唇のぬくもりに安堵したことも、公園で食べたお茶漬けの味と笑い合った時の温かさも、二人で見ているこの炎揺らめきだって、思い出としてしまわれて、そしていつかは忘れてしまうかもしれない。  けれど。 (鮮やかに)  『心』を彩る景色。 (『想い』だけは)  きちんと刻まれているから――。
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