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星あかり 街あかり 恋あかり 《前編》
お疲れさまでした、と挨拶を交わしながら後にした市内の公民館。今日はそこで、西野桜和が所属しているアマチュア吹奏楽団のミーティングがあった。夕方過ぎから始まり、数回細かい脱線をしつつ、年明けからの活動について話し合い、確認し合った。それから少し合奏をして解散となったのだ。
ミーティングが終わったのが二十時過ぎ。飲みに行こうよ、という団員の誘いを笑顔で断り、桜和は足早に公民館の正面玄関から外に出る。そのままバス乗り場へ行くと見せかけ、ぐるりと公民館の後ろ側に回り、バス停とは真逆の方向へと歩いて行く。そして街灯の少ない路地をしばらく歩くとようやく大きな道にぶつかった。
今夜もよく冷える。風が出てきたので余計にそう感じるのかもしれない。明日の予想最低気温のマイナス三度へと近づいているのだろう。
(指先痛い)
体感としてはすでに零度くらいにはなっているんじゃないかという確信がある。桜和は交差点の数メートル手前で歩道脇の街路樹に近づくと、邪魔にならない所で立ち止まった。そして鞄の外ポケットを漁る。
「助かった」
ぼそりと呟き外装を破ったそれは、貼らないタイプの使い捨てカイロである。以前、同じサックスパートの団員が他パートにまで配りまくっていたものだ。
「…っと」
カイロを握って再び歩き出そうとしたところで携帯が鳴る。メッセージを受信したのだ。桜和は立ち止まったまま、コートのポケットに入れてあった携帯を取り出して液晶画面を確認する。
「…っ…」
予想通りの――否、期待した通りの人物。一気に体温が上がった気がした。
《お疲れさま!店の駐車場に着いたよ!遅くなってごめんね。桜和さんはもう店内だったりする?》
無機質な文字の羅列にも嬉しさを滲ませる芸当に、俺を喜ばせる天才か!と胸中で突っ込んだ。
今夜は同じ吹奏楽団に所属していて、且つ想い人の阿部冴弦と二人で夕飯を食べる約束だ。今夜のデートは桜和が仲の良い団員から教えてもらった店に行こうと話がまとまっていた。団員の話のよると、公民館から少し離れたところに最近オープンしたばかりの洋食屋があるらしい。座席は半個室で、オススメはビーフシチューだがオムライスもうまいそうだ。酒の種類も多いらしく、その情報をまとめ、ミーティングの休憩中に冴弦に送ったところ、今夜さっそく行ってみようということになったのである。
《お疲れさま。今、店まで歩いてるとこ》
《何してんの⁉》
すぐに返ってきた言葉に桜和は一瞬固まる。
(俺、歩いてるって送ったよな?)
直前の言葉を確認しても、〝歩いてる〟と送ってある。伝わりにくかったかな、と首を傾げ、もう一度言葉を足してメッセージを送った。
《今、冴弦と約束した店まで歩いてんの》
《もしかして予定変更で誰かと一緒だったりする?》
《ひとり》
そう送信した直後、既読がついたと思ったらいきなり冴弦から電話がかかってきた。いい加減寒いので、桜和は歩き出しながら画面をタップし、携帯を耳に押し当てる。
「はい」
〈何してんの?〉
耳に届いた冴弦の声は、ぶつかる空気ほどではないにしろ冷え込んでいた。どうやら機嫌がピサの斜塔を遙かに凌ぐ斜めっぷりのようだ。
「えっと……歩いて、店に向かってる最中、だったり」
〈怒らないから正直に答えてね。――桜和さん今、おれを誘うことなく一人で南の島にでも行ったの?〉
「…や、東京です」
〈東京の季節ってなんだっけ?〉
「…冬…だった気がしないでもない」
〈何してんのっ‼〉
正直に答えたというのにがっつり怒られてしまった。理不尽である。直後、冴弦が大きな大きな溜め息をつく。
〈すっごく謎なんだけど、どうして暖かい喫茶店でおれを待ってるとかタクシー呼ぶとかしないで歩くかなあっ!今の外気温知ってる⁉一桁だよ一桁!昼の一桁と夜の一桁って夜のが断っっっ然寒いはずなんだけど、桜和さん寒くないの⁉〉
「冴弦ほどじゃないと思うけど、まあ、身に染みて寒い」
〈おれと一緒じゃないから寒いんでしょ‼〉
「おまっ…今、外気温がどーとか言っといて…っ、つか本音そこだな⁉単に俺と店に向かいたかったってだけだな⁉」
〈そうだよ‼〉
「おっ…おお、そーか…っ…」
あっさり認められて、桜和は戦意を削がれてしまう。が、すぐに頭の隅から言葉を引っ張り出し、
「だってお前……お前さあ、帰り際、他の団員達とキャッキャしてたじゃん……。だから、それ、長くなるのかなと……」
そう思って、敢えて遠回りで歩いて来た。――理由は複雑なのだけれど。
ミーティング後、団員数人と話して笑っていた冴弦。わざとそちらを見ないように桜和は帰り支度をしていた。桜和もいつもより遅く帰り支度を済ませたのに、それでもまだ珍しく冴弦は話し込んでいた。それならば、待ち合わせの店で無意味に待ってればいい、さらになんで待たされてるのか考えればいい、と遠回りしながら頭の隅で意地の悪いことを思った。が、それは悔しいから言わない。言わないけれど、フェードアウトしていく声が〝ヤキモチ妬きました〟と白状していた。
〈……。迎え行く。今どこ〉
桜和の思考以上に複雑なその声音の語尾に重なるように、車のエンジンがかかる音がする。次にがたがたと携帯の向こうで音がして、それから小さなノイズ。その後に車が動き出すエンジン音を聞きながら、桜和はぼそぼそと今いる場所――近くにある一番目印になりそうな交差点と、その脇にあるファミレスの名前――を告げる。
「その信号を左折して…今、三分くらい歩いたとこにある雑貨屋の前。――あ、道路挟んだ向こう側にあるの、行こうって言ってた店の裏手にある公園じゃね?地図になかったっけ」
〈信じられない〉
小さく吐き捨てるように言う冴弦。意図が掴めずに黙っていたら。
〈おれ、さっきそのファミレス脇の交差点通ったけど。なんで桜和さんに気づかないで追い越してるんだろ。帰り際、嫌な思いさせたことだって自分を呪うよ。そんなことあっていいはずないじゃない。本気で自分が信じられない〉
心底悔しそうに冴弦が呟いた。小さく「ごめん」とも。まるで、どんな場所にいる桜和でも見つけられるのは自分しかいないはずなのに、とでも言うような。
「っ……」
じわじわと温かくなる心と頬を感じた桜和は、思わず周りをきょろきょろと見回してしまう。
「えとっ…いや別に…ここまでけっこう人歩いてたしっ…ふ、ふつーに景色に擬態してて気づかなかったんだろっ?それに、ちょっと裏道から回ったから、その時にでも行き違いが起きたんじゃねーの?あとっ…帰り際のことはもう…、気にしてないしっ……」
〈いろいろ了解。桜和さんの裏道使う習性、甘く見てた。でももう大丈夫。深く刻みこんだから〉
「…………」
どこに刻んだ?とは、恐ろしくて訊けなかった桜和である。
〈公園ぽいの、見えてきた。店の裏手って言ったっけ?〉
「うん。雑貨屋の斜め前くらいに公園の入り口があって、さらに入り口の横に、公園のでかい案内看板がある。桜和さんそこにいるから」
言いながら桜和は何度も左右を確認し、足早に車道を横切る。
ふと背後を振り返り、吐いた息は白くて。
(さみ)
ぎゅっとカイロを握ってみたが、痛すぎる熱が手の中に広がっただけだった。
「――」
早く。
そう唇を動かし囁いて。
(はやくこい)
広がる痛みが心に落ちてしまう前に。
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