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龍一が元の仕事の勘を忘れていくのは、とても平和で良いことのはずだが、もちろん、そんなこともけっして口にしない。
言ったらそれこそ、龍一のおへそが斜め45度に曲がってしまうだろう。
なのに、
「日々の訓練を怠った記憶はない」
龍一は、美百合の頭の中を読みきってムッとした顔をした。
それに加えて、
「ホワイエに誰かいただろう。そいつらと示し合わせて、俺を出し抜いたのか」
なんて言うものだから、あまりの勘ぐり具合に笑えてしまった。
「示し合わせるって何よ。あの人たちもきっと、ちょっと退屈して出てきただけよ」
そう言いながら振り返ったが、さっきまでそこにいたはずの4人の姿は、もうどこにもなかった。
「世界最高の交響曲を退屈する人種が美百合の他にいるとは思えない」
とても失礼なことを言われたが、気にしないことにして、
「ホラ、きっともう席に戻っちゃったのよ。私たちも戻ろう。この指揮者の人のこと、龍一好きなんでしょう」
龍一の背中を押して促したが、
「別に好きなわけじゃない」
今さらな嘘をつく。
龍一の嘘ぐらい、美百合にはすぐにわかるというのに。
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