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08 望まなかったもの
四、五回ほど水を飲まされ、もういいと押し返した。胃がたぷたぷ音が鳴り、きつい匂いにやられた鼻が気にならなくなった。
「この香りは官能を刺激し、思考を鈍らせる作用がある。大聖堂で焚いている香よりも濃度を濃くしているんだ」
「だろうと思ったよ。さっきから頭が働かないんだ。動け動けって命令しても言うことをきかないし理性もぶっこわれてる」
「お前は理性が強いな。意思も強い言うべきか。初めて嗅いだ予備生は呼吸するので精一杯になるんだが」
下着のつけていない下半身は濡れに濡れ、白の羽織と内股を濡らしてしまっている。
「いくつか質問がある」
「なんなりと」
「一つ、予備生に選ばれたってことは、僕が交合をしなければならない。逃れる方法は?」
「微塵もない。ちなみに相手は俺だ。他の人がいいのであれば変えてやるが、俺にしておいた方がいい。理由はあとで判る」
「……二つ。神じゃなく悪魔崇拝の宗教団体だと知っているのは?」
「予備生全員に説明義務があるため、他の生徒ものちに知ることになる。すでに行為に入っているかもな」
「三つ。どうして僕が選ばれた?」
「生まれる前からの神のお告げによるものだ。お前の他にもお告げがあった者がいる」
「神じゃなく悪魔だろ」
「そうだったな」
「質問が四つに増えた。悪魔のお告げで選ばれた予備生とお告げがなく予備生になった生徒がいて、前者はみな神の御子になるのか?」
「身体の相性やその他もろもろによって決まる。結論を言うと、絶対ではない。選ぶのはあくまで悪魔だ。過去にはお告げで選別された予備生が全員、神の御子にならなかったケースがある。後者であれば、もちろん神の御子に選ばれる可能性は充分にある」
「質問は以上だ。服は脱いだ方がいいか?」
リチャードは眉をひそめ、クリスの言葉を待った。
「だいたい、逃げるか暴れるかの二択なんだがな。そのために香を焚いているんだが」
「鍵もかけられて逃げられない状態にある。空高くそびえ立った白塀を上って逃れても、島の外は海だ。どうしたって逃げられないだろ」
「まあ、そうだな。服は脱がなくていい。初めてだろうし、後ろを向いて四つん這いになれ。薬で感覚を麻痺させながら、痛みを与えないようにする」
「……さっき、理由はあとで判るって言ったよな? 信じていいのか?」
リチャードは枕元にある金に縁取った箱を開けた。
「それは大丈夫だ。絶対に。俺が守る。とは言っても、数回しか会話をしたことがない人間を信じろというのは無理があるな」
「そうだな。でも望みは寮長しかいない。儀式までの間、散々逃げる方法を探し回ったけど、何も見つからなかったんだ」
「最悪の結果になっても、最後まで信じろ」
長々と会話をしていたせいで、蝋燭の火が一つが消えた。
敵か味方か──後者だと信じるしかないクリスは、目を瞑って後ろを向いた。
「っつ……う……うぅ…………っ」
唸っても力を込めても足で蹴ろうとしても、リチャードの指の圧力は変わらなかった。
それはとても有り難いことで、さっさと終わらせてもらった方が苦痛も短くて済む。
未経験者であるクリスと多分経験者であるリチャード。経験の差はフルに出て、リチャードには羞恥という言葉が辞書にはない。淡々と進める彼の指に悲しみが生まれる。
身体を慣らしてもらいながら、なぜ交合でなければならないのかと新たな質問が生まれた。会話だとか祈りだとかキスだとか。もっと方法はあるはずなのに。
「クリス」
初めてか久しぶりか。名前を呼ばれた。
甘ったるいケーキを食べたときのように胸焼けが広まり、クリスはかすれる声で返事をした。
「挿入るぞ」
「ひっ」
振り返らなければ良かったと後悔した。
お香を嗅いでいるのは向こうも同じ。それはそうなるだろうという納得も生まれる。悔しさもある。
「壁を見るなよ」
「かべ…………?」
「向こうだ」
出入り口付近にはたくさんの蝋燭、真ん中には台座、そして白い壁。
「あっ……ああっ…………!」
なんの躊躇もなく入ってきた。内襞は蠢き、外へ追いやろうとするも背後の圧迫が勝った。
後ろの男は遠慮という言葉を知らないようで、一気に奥まで叩き込んできた。
「も、少し……ゆっくり…………」
「俺は優柔不断が好きではない。早めに終わらせるぞ」
最奥を突かれるたび、まだ稚さの残す身体は苦悩に満ち、大きく跳ね上がる。
目が朦朧とし始めた。理性で保っていたお香の効果が徐々に身体を蝕んでいく。蜜のように甘く、脳髄にまで淫らな香気が包む。
背後で低い唸り声が聞こえた。体内をあられもなく淫猥に濡らして、クリスはゆっくりと目を開けた。
大きな影が被さっている。クリスは違和感を感じた。交合を始める前はここまで影が大きくなかった。
影が揺らめいている。なのにクリスもリチャードも動いていない。
クリスは時間をかけて顔を右へ傾けた。
「なっ……なんだよ……これ…………!」
クリスでもリチャードの影でもないものが壁の中で生きていた。
正確には、リチャードの影がなにか得体の知れないものとなり、クリスを襲おうとしている。
「や、やめ…………!」
大粒の涙が枕へ垂れた。男として情けなくて、さらに涙が止まらなくなった。
クリスは身体の重みにも耐えられず、意識を手放した。
甘ったるい香りに包まれて目を覚ますと、薄暗い部屋の中にいた。
思考は鈍ったままだが、昨夜の無力な涙と悽惨な珍事は忘れたくても忘れられなかった。
「起きたか?」
あまりに優しい声が聞こえて、クリスはまたもや鼻の奥が痛くなった。
「夢から覚めたくなかった……」
「残念ながら現実だ。起きられるか?」
グラスの中には透明な液体が揺れている。
ひと口飲むと、苦みが口いっぱいに広がった。
「げほっ……なんだこれっ……!」
「痛み止めの薬だ。全部飲め。軟膏も塗っておいたが、痛みが引かないようなら守衛所へ来い」
豪快に飲み干し、平気だと言わんばかりにグラスを押しつけた。
「……話がしたい」
思い出すのは白壁へ映ったこの世の者ではない何かだ。細い腕から爪がクリスの影の首へ伸びていた。笑っているようにも見えた。
「儀式が交合でなければならないのは、理由ははっきりしない。どうやら悪魔は神が差し出した息子に似た子を捜しているようだ」
「似てるって顔が?」
「容姿または性格だ」
「質問がさらに増えたよ。あの影はなんだったんだ?」
「予備生と繋がった男に悪魔が宿る。宿ったかどうかは影に現れるんだ」
「それでこんな手の込んだ蝋燭やらなんやら用意されているんだな」
リチャードはもう一度グラスを寄越した。
飲みたくないと首を振るが、今度はただの水だと押しつけられた。
冷たく甘い。唯一の癒しだ。
「神の御子は繋がる男に悪魔を宿し、お告げを聞く。宿った男が何かお前に伝えるはずだ」
「その間、意識はあるのか?」
「あるが、口が勝手に動くイメージをもってもらえれば。繋がった男の理性が失いやすければ、意識を手放す」
「……何か言ってた気がする。忘れたけど。俺は……選ばれたんだな……」
「おめでとうと言うべきか?」
「っ……冗談じゃない! 俺は望んでいなかった!」
「望む生徒が神の御子になれたらいいのにな。こればかりは悪魔の意思に基づくものだ。どうしようもない」
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