百合子

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 連休は、文也と一緒に食べ歩きをしようと思ってあけていた。失恋の痛手を癒すべく、百合子は連日連夜、二人で行きたかった店に遊びに行った。  最初のうちは、それも楽しかった。短大時代の友人のほとんどは結婚していて、なかなか会うことができないが、まだ百合子と同じく独身を謳歌している友人たちと集まって、女子会と洒落込んだ。  よくこんな店知ってるね、とセンスのよさを褒められて嬉しかったが、文也とのゴールインを夢見て必死になって探したことを思い出すと、憂鬱の波が襲ってくるのだった。  女子会に来られる人数が、一人減り二人減り、明日から仕事だという今日に至っては、誰も捕まらなかった。  百合子はカップルだらけの鉄板焼き店で、一人でステーキを平らげ、会計を済ませた。  今頃、文也は夏織と甘い夜を過ごしているのだろうか。  嫌な想像を打ち消して、百合子はずんずんと、肩を怒らせて予定していたバーへと向かった。  サイトで見たよりも、シックな印象を受けた。女一人ということで、扉を開けるときにはびくびくしたが、バーカウンターでカクテルを作る髭の生えた男性が、百合子を認めてにっこりと笑って招いてくれたので、ほっとした。  照明はギリギリまで暗く、金魚の泳ぐ水槽が、淡いブルーにライトアップされ、間接照明の役割を果たしている。幻想的な光景に、百合子はうっとりと見惚れていた。 「まるで空飛ぶ金魚だわ」  思わず口に出していた。いやだわ。独り言なんて。  恥ずかしくてマスターに視線を向けて様子を窺うと、「ありがとうございます」と穏やかに微笑んでくれた。  優雅にたゆたっている金魚たちは、ひらひらと尾びれを揺らめかせている。赤いドレスを纏って踊っている。  お任せで頼んだこの店のオリジナルのカクテルは、青から紫へのグラデーションが美しく、グラスの底近くは、オレンジ色が燃えていた。  飲むのが勿体ない。そう思ったが、きゃあきゃあとはしゃいだところで相槌を打ってくれる相手もおらず、百合子は黙って、酒を呷った。  見た目どおりの蜜のような味が口いっぱいに広がるが、見た目以上にアルコール度数も高い。舌触りはよいが、喉の奥はカッと熱くなった。それがまた、癖になる。  百合子はそれから、同じカクテルをおかわりし続けた。途中からは、味わうのではなく流し込み、喉を焼き、痛めつけることが目的になっていた。  マスターも「お客様。もうこれ以上は」と止めたが、百合子は聞き入れなかった。 「私には、お酒しか、ないのよぉ」  友人たちとの女子会でも、百合子は自分が失恋したことを、告白できないでいた。  在学中に、彼女たちの恋愛相談や失恋話を真面目に取り合わず、「男なんかに振り回されて、ばかみたい!」と見下していたせいだ。  あの頃の自分と同じようなことを言われ、誰からも慰められなかったら、声を上げて泣いてしまう。  百合子はそう思って、明るくグルメないい女として、いつもどおりに振舞ったのだ。 「マスター、もういっぱいぃ」  呂律が怪しくなってきたが、まだ飲み足りない。渋々マスターが作ったカクテルグラスを掴もうとした百合子の手を、誰かの手が制止する。  重ねられた掌は、硬く、大きかった。男の手だ。指先に熱が伝わってくる気がした。  恐る恐る百合子が顔を上げると、そこには若い男がいた。彼は人懐こい笑みを浮かべると、 「お姉さん。話なら俺が聞くからさ。もう、お酒はやめときなよ」  と、誰にも打ち明けられない苦しい心の内をを見透かして、誘いかけてきた。  普段の百合子ならば、もう少し警戒する。そして、文也への想いがブレーキになって、初対面の軽薄なノリの男に、気を許すことなんてない。  だが、今の百合子はどうしようもない孤独を抱えていて、酒で理性も飛んでいた。  みるみるうちに涙が溢れ、青年の姿が見えなくなる。  百合子はすべて、吐き出してしまおうと思った。
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