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目を覚ました私は今日に限ってまず勉強机に向かった。寝間着をも着替えもせず、顔も洗わず、目を覚ましてベッドから起き出してすぐ、なぜか机に向かう必要性を感じたのだ。
机の前の椅子を引いて身を乗せ、この身を机に引き寄せる。机の上には一冊の本が置いてあった。それは予期していたとおりにそこにあった。前から知っているような、物珍しくもない体でそこにあった。深い紫の毛羽だった厚めのカバーで覆われていた。右手を置いてみる。毛羽立ってはいないし、毛は抜けないし、うん、手触りはむしろ気持ち良い。だのに私は表紙をめくらない。中身を予想できているからだ。
これ、開いたら私が書かなければならないのだと。
いままでだって自信はなかった。物語を書き連ねたいと思っているくせに、ずっとずっと書けずにいた。試みたことはある。書き出しが気に入らなくて、何度も何度も気に入らなくて、書いては取り消し線を引き、また書いては取り消し線を引き、それでもどうしても気に入らなくて、いよいよそのページを破り捨てたい衝動にかられ、また書き直し始め、何十ページも書ける気になって書き連ねて、ちょっと気になったところがあって後戻りをしてみて見るとストーリーの支離滅裂さが目立ち、誤字、脱字、言い回しの不明瞭さ、その人はそんなこと言わないでしょうとか、会話文のチグハグさ、稚拙さ、起承転結の展開の悪さ、テンポのなさ、スピード感の欠如…、いいところがひとつとして見つけられないどころか、それでも悪あがきを続けて書き連ねる努力をし、なんとくだらない話を書き連ねていることかと身に沁みて心を空回りさせながら、あまりの粗悪さに絶望を覚えたくせに、だのにまだ私は書きたいというのだろうか。
「お前の物語など誰も待ってはいやしないさ。」
そんな声が聞こえてきた。だからこそ、私はもう書くことをやめた。しばらく書くのをやめていた。あの絶望が訪れ打ちひしがれたのは、昨日のことのようにさえ思われ、鮮明に覚えている。この両手はいまも震えている。
だのに、目の前にこうして私の「運命の一冊」が呈されたのだ。この私に物語を綴りなさいと、なにかがそうさせているのだ。この両の手はまたもや震えているが、この震えは歓喜に満ちている。今度こそは書いてやろうじゃないか。私にしか書けない私の物語を。この生命尽きようとも。
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