5 パンドラの箱

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 私の悲しみを増すように集積所に雨が降った。  夜空に稲妻が走った。暗闇が一瞬、昼のように明るくなった。  それが何度もくりかえされて、集積場に何度も落雷し、集積所に何かが集って降りそそいだ。  すると廃棄物が私のまわりに集まり人の形になった。  頭にはカメラや双眼鏡やボイスレコーダや携帯がある。胸にバッテリー、モーター、身体には多くの配線があり、腕や脚にエアーシリンダーや油圧シリンダーの機械がある。  また、私に落雷し、身体に電流が走った。  電流とともに、記憶が現れた。  私は、身体を作っている機械に、様々な記憶があるのがわかった。  私の身体は機械だ。もっとスマートになりたい。  するとまた落雷して、私はスマートになった。  人のようになりたい。  そう思うと、また落雷して、私の外観は人のようになった。    寒かった。衣類を身に着けていないのを知った。  衣類が欲しいと思った。  落雷とともに、まわりの廃棄物から、衣類が身体の上に現れた。    衣類が古くてボロボロだ。新しい衣類が欲しいと思った。  すると衣類が真新しい衣類に変った。 これで人の社会で暮らせると思った。  すると、私の中に、身体を構成している部品たちに残された記憶が現れた。  これは人の記憶だ・・・。  人は生まれたときから二十年ちかくをかけて言葉や文字を記憶して人社会で必要な知識を身につける。その後も働きながら必要な知識を身につけて働き、働きの代価を得て生活に必要な物を得て暮らす。  その間に人は伴侶を得て子孫を産んで育て、その子孫が人社会で暮らせるように育て当人は死ぬ。  人は生まれて死ぬまでに、必要な物を手に入れて不要な物を廃棄し、新しい物を手に入れる。修理するより新しい物を手に入れる方が代価がかからないためだ。  人社会には人として暮らせない者もいる。人社会の規則を守れなかったり、人社会で暮らす能力のない者たちだ。その人たちはみずから人であるのをやめたり、やめさせられたりしている。これは生産工場で生産されるヘヤードライヤーの不良品に似ている。  人社会では最近、人の身体組織が機械部品のように再利用されるようになった。  私は人社会の複雑さを知った。  私の持主がヘヤードライヤーやヘヤーアイロンを捨てた理由も知った。  人として生きるためには、多くの知識を記憶して様々な体験、とりわけ多くの試験に合格しなければならず、働いてより多くの代価を得なければならないことを知った。  人は働くために生まれ、物を手に入れるために生きているように思えた。  私は、人はほんとうに複雑な人社会の生活を望んでいるのだろうかと思った。  過去の私は、寿命がつきるまで髪を乾かすことが目的だった。  人が何を目的に生きているのか、私はわからなくなった。  私は人として生きられそうにないと思った。  私はヘヤードライヤーなどの物を寿命がつきるまで使いつくす人になりたいと思ったが、人のような身体になった私自身を、寿命がつきるまで使う自信がなかった。  それどころか、人社会でこんなに複雑なことをしなければならないのなら、人にはなりたくないと思った。  隣を見るともう一人、機械の身体を持つ者が私を見ていた。私より肩幅が小さくて胸が大きく、腰がくびれた少しお尻の大きなスタイルで、私とはちがう考えをしているらしかった。 「オレの考えをどう思う?」  私の問いかけに、その機械の身体を持つ者が涙を流した。 「あなたと私には、まだ人のような心がない。子孫を産めない・・・。  だけど、記憶は残せる・・・。機械の身体を持つ者が受け継ぐ様々な記憶を・・・」 「それは、パンドラの箱に残された希望のことか?」  私はノートパソコンの記憶にあったギリシャ神話を思った。 「それに似てるでしょう・・・」 「そうか・・・」  私が残せるのは失望という記憶しかないと思った。  機械や道具として生まれても、人として生まれても、私はこの世界で暮らせそうにない。 そう思う記憶を残そう・・・。   (了)
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