桃源郷

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「アホくせえ」 「は?」  頭の中だけで呟いたつもりが、口から出てしまっていた。机を挟んで向かいに座る後輩の平野(ひらの)巡査が、怪訝そうな顔で松島のほうを見てくる。気まずくなった松島は、返事の代わりに筒状のままの週刊誌を平野のほうへ放り投げた。わっと、とキャッチした平野がページの見出しを一瞥すると、さっきまでの松島と同じように嘆息する。 「ああ、これですか。飽きもせずよく書きますよね」 「だが、ずっとくだらねえ与太話だと思ってたら、マジっぽいんだよな。最近はネットでも話題になってきてる」 「でも、客には相当厳しく情報管制してるって話じゃなかったですか? ここ」 「人の口に戸は立てられないって言うだろ。言うなっつわれたら言いたくなるし、ダメだって言われたらやりたくなるのが人間のサガなんだよ」  表向き、そこはただの一般書店。だが、特定の本の題名をレジで伝えると、店のバックヤードに通され、地下に降りていく。そこにはいくつもの個室が設けられており、その中で女性から性的なサービスが提供される……という、いかにもエロ漫画の読み過ぎで義務教育の内容がすべて上書き保存された中学生の考えそうな代物だった。しかしこの「書店」は現実に存在しており、料金こそ高額ではあるものの、一度足を踏み入れると二度と戻れなくなるほどの甘美な体験ができる……と週刊誌の記事の中では謳われていた。女性のレベルもかなり高く、芸能人やアイドルと同等やそれ以上の女性が揃っているという。さすがに誌面で具体的な場所までは明かされていないが、実際に店を訪れた者が「潜入レポ」と題してSNS等で情報をアップしている例がいくつか見受けられた。  松島の机の上に散らばっているのは、同じ生活安全部のサイバー犯罪対策室から提供してもらった、その書店についてインターネットに載っている情報のスクリーンショット。表向きの店名、場所、料金や利用の方法まで書かれている。どれだけバカでかく注意書きをされても、口で念押しされたとしても、こうしてルールを破る者がいる。もっともこの店自体が法律を破っているのには間違いないが、やはり先ほど平野に向かって言った(ことわざ)に間違いはないらしい。
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